一日参観なのだ!

6/14

小学2年生と5年生の子供がいるわけなのですが、

今日は、小学校の一日参観日なのです。

一日参観って言うのは、一日中いつ行っても良い参観日です。

給食や、休み時間、朝の会とかもOKよん!(^^)ってやつです。

2年生の方は、まだ小さいので、どんな授業も見てて面白いのですが

5年生の方は、子供のほうで親に「来ないで!」って言う子も多いらしく、

教室に行ってもほどんど見ている親って居ないんですよねぇ。。。

 

道徳の時間にちょっと行ってみたのですが、

見ている親は誰もおらず、

なんだか教室全体から「入ってくるなパワー」を感じで

教室に入れませんでした。(^^;;

結構シャイなわたし。。。

 

でもって授業内容もなんと

「いじめについて」

「命について」

で、教室内はしーーーんとしちゃっているし、、、

 

このテーマはどうなんでしょう???

とか思いました。

もちろん大事なテーマではあるけれど、

参観には不向きではないかなぁ。。。なんて。。。

だって、子供も親が見てたら言いたいことも言えないんじゃないでしょうかね?

まぁ、もちろん、

親が見てないからって、学校で自分の本当の意見を発表するかどうかも

わかんないですが、、、、

と、、、とにかく、、、

私は教室に足を踏み入れることが出来ず、

かといって重々しい空気の教室を廊下から眺めているのも

盗み見しているような気がして、居心地が悪く

下の子の教室へ避難したのでした(^^;;

 

授業が終わったころ

もう一度5年生の教室へ行ったら

先生が一人の男の子を怒鳴りつけていたのですねぇ、、、、

あら?

最近ではめずらしく、こんどの担任の先生は怒鳴る先生なんだって

聞いてはいたのですが、、、

間近だと迫力です(^^;;

って言うか怒られている子は、わりと、怒られるときは怒鳴られるような

怒られ方をされても大丈夫な子、、、、です。

先生も、そのへんは計算しているんでしょうね。

 

だって以前「ふれあいの集い」のときにその子と同じ班で

私、その子のお尻をかさで引っ叩いたときありますし(^^;;

で、そのときの担任の先生(女)に

「先生はひっぱたけないから大変ですね(^^)」

って言ったのでした。

あ、ちなみにその子は良い面も沢山もってますよ(^^)

で、かさでひっ叩いた後、私その子のお母さんに逢ったとき

「ごめん、かさでひっ叩いちゃった。」

って言ったら

「もぉーーーすみません。どんどんひっ叩いてくださいね。(^^;;

あの子は優しく注意されると付け上がる子なんですよねぇ。」

って言ってたのでした。(^^;;;

 

でもって話をもとにもどして

先生が怒っている原因は

大切な命の話をしているときにその子が笑ったから、、、

だそうです。

私は、自分が保護者として、学校と関わっていないでその話だけ聞いたとすれば

「何それ?考え方は自由じゃない?怒ったからって何になるの?

先生ってそんなにエライわけ?子供だって思想の自由があるのよ!」

くらい思ってたかもしれないです。

それに、自分が子供のころのことを考えても

命の大切さ、、、、って言うのって、

あまりわかっていなかったと思いますし。。。

でもって、命の大切さなんて

教えられてわかるような簡単なもんかい???

みたいなさ。

 

でも、、、、

どうなんでしょうね?

やっぱり、重い話題の授業中にそう言う部分を茶化すって言うのって

ある意味変かなぁ。。。やっぱり。。。

とか思います。

周りの空気を読む、、、、、って言うか、

思想うんぬんとかじゃなくて、

言っても良い場所とマズイ場所

って言うのはやっぱりありますよね。

こういうものの延長線上が

ほら、成人式でおちゃらけて暴れた、、、、って言うような感じに

繋がって行くのかなぁ。。。。と。

わかんないでけど。

 

こういう場では茶化してはいけない。。。

と言う意味でも、先生が怒るって言うのって意味があるかなぁ、、、と。

解釈違うかな???(^^;;

 

まぁ、子供なんて、こう行って欲しいと思う方向へ押したとしても

ちゃんとそっちの方向へ行くかどうかなんてぜんぜんわかんない

訳で、、、、

難しいですよね。

 

ただ、思うのですが、学校って、児童ひとりひとりの個性重視とかなんとかで

何でもありになって来ちゃった部分ってあるような気がします。

それって本当に良いのかな?って。

保護者の意見もどんどん取り入れて良い学校へ、、、

みたいな感じですが

なんだか、つかみ所がなくなっちゃてる感じがします。

 

学校が軍隊みたいなものだったら、

その型にはまった部分からの抜け道を見つけたり、批判したりもしやすいのですが

今って「学校ってこういうところ。」の定義が

今ひとつないんですよね。

かなり流動的。

これって、良いようで悪いんじゃない???

って思います。

 

子供が成長するにつれて学校のような型にはまったものへ疑問をもち、反感をもち、、、、

って言う展開が今ひとつ、、、そう言う展開になりにくいんじゃないかな。。。って

なんだか型にはまってませんもん。学校。、

学校の型が色々で流動的に思えます。

型にはまった中で、押さえつけられた中で、だんだん個性が芽生えていく

って言うのって成長の過程なんじゃないかなぁ。。。と。。。思ったり。

 

もしかして、

学校って以前のように

一般社会とは違って極端な変なところ

で良かったのではないかしら?、、、、

「馬鹿もん!廊下は走ってはいけないんだ!!!それがきまりなんだ!!」

とか。

「どうして廊下を走ってはいけないのですか?

急いでいるときは走るのではないですか?」

と、今どきの保護者は言う人も多いですが。。。。

 

そう言うときは、

「それが学校なんです!」

と言いましょう!学校(^^)

「廊下を走ることは犯罪なのです!!!」、、、と(^^;;

 

下手に保護者や児童に好かれようとせず、

嫌われることにも価値がある

のではないでしょうかねぇ。。。。(^^;;

だって、そしたら私も母として

「そうよね。学校って変だよね。

でも廊下を走らないって言う決まりを守るのが学校だけど、

普通は急いでいるときは走ったりして良いんだよねぇ。

先生の話は、学校だけでの話だよ。世の中そう言うもんよ。」

とか批判できちゃうんだけどさ。

なんか、、、違います????わたし(^^;;

 

 

おまけ、、、

帰ってきて子供と話をしたのですが、

その、「命の話の時に笑って怒られた子」は、

別に茶化したわけじゃないみたいでした。

命の話のとき、突然笑い出したんだって。

「なんで笑い出したんだろう?」

とか、うちの子は言ってましたが、

ふと、思ったのでした。

もしかして。。。

 

「命!」

とかって、誰かつぶやいたんじゃないの???

ゴルゴ風に。。。。

わかります???ゴルゴ。。。

違うかな?