主治医との意思疎通

 たまたま、色んな同病の方と、お話をしたり、医療関係の方とお話して思うことが感じることがあります。

 医師と患者の意思の疎通って物凄く難しいなって。

 患者の立場から見ると、医師って、とりあえずとっつきにくくて、「医師にとっては、患者と言っても所詮他人よね。。。」などど思ってしまいがちでした。

 患者として、診察を受けた場合、お話をする部分ってとても限られますから。

 しかし、病歴も長くなって、複数の医師と会話をしたりして「それぞれに患者のためを思って、その医師が一番良かれと思う治療をしている。」という部分が多いことにびっくりします。

 これって、私は「意外」に思う部分でした。

 あらら、、、、って。

 私は患者として、治療を受けていた場合、医師の行動や治療にそう言う部分を感じることってあまりないので、驚きました。失礼ですが、「まぁ、この程度の病状なら、こんな治療でどうかなぁぁああ。。。」くらいの意識で治療をしているように見えることが多いからです。

 で、改めて、きちんと話を聞いてみると、ひとつひとつの治療には、その先生なりにきちんとした理由があることにまたびっくり!

 こりゃぁーー、、、ただ、ひとつの治療の道を決めるために、結構な時間を使っているなぁ、、、、などど関心してしまったのです。

 そして思ったのでした。

 「先生が沢山の時間を使って出した治療」は「患者さんのために」と言う気持ちが大きいのに、その「思い」の部分が伝わらなくて、「駄目だな、この医者」のような態度が重なると、患者が「良い医師に成長する可能性がある医師」をつぶすとこになってしまうのではないか。。。って。

 勝手に一人で心配して「もったいない!」「もったいない!」とか思っていました。

 大学病院なんかに入院すると特に思うのですが、若いお医者さんのボランティア精神には、「感動!」に値するものがあります。

 ずーーーっと、そう言う気持ちのまま年齢を重ねていけば、すばらしい医者だらけになってしまうのに、、、、って。

 「先生の思い」と、「患者の思い」がピッタリ合うと言うのってなかなかないです。

 ですから、患者はとりあえず「医師の治療の意図」を理解すべきです。

 その上でその医師が合わないのだったら、医師を変えれば良いのです。

 もちろん、医師には「治療の意図を説明する義務」があるのかもしれませんが、それを説明するには、患者自身が大まかな意味で病気を理解していなければ、とても困難です。って言うか不可能に近いんじゃないかな?と思います。

 そこまで医師の義務ということになるのは、ちょっと可愛そうな気がします。

 

 具体例を少し載せます。

 例えば、この病気は「プレドニン」の使い方って重要になってくるのですが、普通の単発の怪我だったら、怪我したら薬を塗って治る。。。で終わりですよね。

 ところが、この病気は緩解と再燃をくりかえしますから、下血したらそのたびごとにスパッと効くプレドニンをすぐつかって治しておしまい。と言うような簡単なものではありません。

 切り札として使うときに、今ひとつになってしまってもこまりますし、何度もつかっているうちに重篤な副作用が出てもこまります。

 闇雲につかって良いお薬ではないのです。

 後々のことを考えて、この程度の炎症ならプレドニンを使わないで、気にしないで生活するなり、サラゾピリンやペンタサとか言った、プレドニンよりは問題の少ない薬を使ったり、時に、少し我慢をしてもらったり、、、、

 長い目で見た治療だとそう言うことが出てきます。

 医師の目でみて、「この程度の病状なら、少し気にしないで我慢してもらったほうが、長い目で見て患者のためだな。」と言う考えの元に。

 それが、患者の立場からすると、「とにかく今辛いので、ピタッと治したい。」と。。「それなのに、効く薬をくれない。。。わかってくれない、、、」。

 これは、よくあるタイプのすれ違いです。

 何かの事情があって、とにかく今、炎症をすっぱり止めたいのであれば、その部分の事情や、希望は言ってみるべきです。

 

 「患者の思う辛い部分」と、医者の目でみた「病気としての重篤さ」は必ずしも一致しないのです。