宗教について思うこと

 

 宗教については、思うところが沢山あります。

 35歳の現在、私は特定の宗教は持っていません。「無宗教」です。

  「否宗教」ではありません。

 「全く宗教について考えていない。」と言うことでもありません。

 「無宗教」と言うのは、「ひとつの宗教をもっている。」人と同じように、それはひとつの宗教だと

思います。

 

 宗教について語るとき、どうしても、「宗教を持っている人を馬鹿にしたり。」「自分が持っている

宗教以外の宗教を否定したり。」と言うことがおこりがちです。

 「宗教を持っている人を馬鹿にする方々。」は、「科学に基づくこと」を出してくることが多いです。

「この世界は神が創ったとか言うが、進化論をしらないのか?」とか。

 また、「自分が持っている宗教以外の宗教を否定する方々。」は、、、ひとつの宗教を信じると

他の宗教は、自分が持っている宗教と教えが違うので、否定せざるを得ない状況になってしまう

と思います。

 もちろん、宗教によっては、「この教祖が唯一無二の絶対のものである。」とか

「信じるものだけが救われる。」と言うものではなくて、「信じる人も信じない人も、みんな幸せに

なれる。」みたいなものがあるようですが。。。

 

 私は、進化論や、神や仏、どれも「絶対にこうだ!」と信じることができません。

 「だって、ほんとうのところはわかんないじゃない?」

と思ってしまうのです。

 

 ひとつの宗教を持っている方々は、人生の意味、生きることの意味、存在の意味

愛の意味、、、、そう言ったものを「教え」と言う形で答えを持っている人が多いので、

私のように、そう言うものに関する堂堂巡りに考える時間が、最初からないので、

そう言う意味では、精神的にとても、楽なのではないかと思います。

 その宗教の「唯一の神だけを信じることは、楽ではなく大変なのではないか。」言う

考えもあるかもしれないのですが、「どうしても信じられないのに、その唯一の神を信じ

なければならない。」、、、、と言う状況とは違うと思いますので、やはり、楽だと思います。

 

 生きていくということは、いつ、何があるかわかりませんし、悩みや苦しみもときには

あると思います。

 そう言った、「自分では、抜け道が見つけられないような、どうしようもないとき」、

宗教によって救われたとしたら、それはその人にとって、とてもすばらしいことだと思います。

 それを他人が否定したり馬鹿にしたりする権利はないと思います。

 ただ、排他的、攻撃的過ぎる新興宗教となると、話は別ですが、、、、。

 

 私は子供の頃は、普通に神様や仏様を信じていました。

 部活動の大会の時には、きちんと自宅の神棚にお祈りしたりとか。

 お祈りによって、良い成績が残せたような気がしたこともあるし、「せっかくお祈りしたのに

駄目だったじゃないの!神様の馬鹿!」なんてことを思ったこともあります。

 

 私の母方の祖母は、宗教関係のことにとても神経質で、家を建てるときも、

家相を気にして、ちょっと不思議な、使い勝手の悪い家を建てました。

 なぜか、家を新築したとたん、おじいちゃんが亡くなり、おじさんが亡くなり、、、そして

いとこもなくなり、、、おばあちゃんも亡くなり、、、

 その家から、おばさんやいとこ達が去り、家を他の人へ貸すと、借りた方にも

亡くなったり、、、などと言うこともおこりました。

 周りの人たちは、「その家のせいだ」、、、と言うようなことをおっしゃります。

 私は、確かに偶然にしては、ちょっと重なりすぎるな、、、とは思いましたが、

はっきりと家のせいだとは思いませんでした。

 ほんとうのところは、わからないからです。

 ただ、「祖母が、あの家相に費やしたパワーはなんだったんだろう???」

とは、思いました。

 

 また、私が病気になって、入院し、先が見えなくて絶望的な日々を送っていた頃

案外、そう言う真っ只中にいると、ただ淡々と日々が過ぎていくだけで、

友達などが気の毒がって、「あなたのために祈ってきたの。」なんて言われると、

その気持には感謝しなければならないと思いつつも、

自分の気持とのギャップに冷めた感想を持ったものでした。

 

 また、母は、「私の病気は、私の家(建物)のせい。」だと、言われたそうで、

お払いに一生懸命でした。

 そのとき私は、

「じゃあ、私の病気はバチがあたったって言う解釈なわけ???」

と、なんとも不思議な思いを抱きました。

 

 内科治療のリズムがわかってからは、何年かに一度入院したとしても

私自身は、「病気を持っているので、普通に生活するためのエネルギー補給。」と言うような

考え方になって行ったので、それほど辛いとは思いませんでしたが、相変わらず母は

「また入院してしまった!今度は何が悪かったんだろう??」

と言うような方向の考え方でした。

「いや、そうじゃなくて、そう言う病気なのよ。」

と、言っても、なかなか周りの人たちには理解しにくいようです。

 病気をすっかり受け入れて生き生き生きられるようになってからは、私の入院のたび

母が宗教に傾倒するのが、憂鬱でした。

 もちろん、心配をかけているのは子供である私ですので、母の心配する気持が

宗教によって少しでも軽減されるのなら、それはありがたいことです。

 ただ、そのままの価値観で私に接しないで欲しい、、、と思いました。

「いつまでも入院していられないんだから、これをおなかに貼って早く治しなさい。」

と、おふだを渡されたりするのは、とても対処に困りました。

 

 そうそう、お寺の息子さんと喧嘩したこともあります。

「輪廻応報について。」話をして、

まぁ、良いことをすれば、良いことが返ってくるし、悪いことをすれば悪いことが返ってくると。

そう言う話ですよね。

 確かに、ニコニコしてればニコニコは返ってくるものですが(^^)

 

 私のように病気を持ってたりすると、

「すると何かい?この病気って言うのは、何かの返り血のようなもんだっつー訳かい?」

みたいに思ってしまうので、輪廻応報って言うのは、なんでもかんでもそうだ、、、てこと

ではないと思ってしまうのです。良い言葉だし、私も教訓として好きですが、、、。

それで、その彼に、「生まれてから生きている間ってことですか?」

なんて話をしたら

「ご先祖様とか子孫とか全部です。」

と、おっしゃるので、

「あぁ、そのくらい長いサイクルだったら、トータルでありえるかなぁ。。。」

なんていうような方向で話をしたら、そのお寺の息子さん、

「輪廻応報は事実です!」

とか、怒ってしまいました。

事実かなぁ???????????

 

 話はそれましたが、

絶望的な日々や、病室で同じ部屋だった方々との話や、その後の人生など

色々なものを見ていると、

「やっぱり、みんな色々あるんだよね。。。」

ってことに行き着きます。

 

そして、私は霊感が強いほうなので、死後の世界とかそういったものをまるっきり否定

しているのでもありません。

「霊?いるでしょう(^^)」

 と思います。

 ただ、だからと言って、仏様うんぬんの死後の世界を信じられるかというとそうでもなくて

「だって、わかなんないじゃない!(^^)」

と思うのです。

 天国も地獄も、あるかもしれないけど、私にはわかんないわぁ。。。と。見たこと無いし。

 

 また、某宗教を持った方と雑談をしているとき、人にものを教える話になり、私は

「教えなければいけないことを教える場合、優しく教え諭す場合と

引っ叩いて教える場合と、場合によって両方あって、その見極めってとても難しい。」

と言う話をしました。

 これは私は子育てで学んだことで、多分同じように子育てしているお母さんなら

当たり前にそう思っていると思うのですが、

その、宗教を持ってらっしゃる方は、とても驚愕なされました。

「それはナニナニ教の教えの重要な部分です。それを自ら発見するとは。」

のように。

 私は、、、、子育てしているお母さんなら普通に感覚的にわかると思う、、、と

思ったのですが、お母さん方、どうでしょう?

 

 結局やはり、生きていればいろいろあって、その中で考え方も変わるし、

その、「自分で傷ついたり経験したり考えたりして得た結論」が、何かの宗教の教えに

似ていたとしても、実際に自分で経験をつんで得た答えとは、同じであって同じじゃないと

思っています。

 

 生きていくということは、苦しいことも沢山あります。

 もちろん、楽しいことも沢山ある。

 そう言うことを先入観なしに、ひとつひとつ経験して行ければ良いかな、、、

と私は思います。

 ひとつひとつ学んでいって、人生を終える頃には、私は、どんな人間に完成されている

のか楽しみです。