遡行について   羽賀正太郎  S27 丹澤の山と谷より

丹澤の澤は、僅かな例外を除いて、大部分が棚とその詰め上げにガレ場を持っている。

丹澤の澤歩きといっても、格別他の澤歩きと異なった特有のものがあるわけではない。

強いていえば、風化した脆岩が他の山地より多いこと、

最後に、赤土の崩れやガレ場が待ち受けているくらいのものだろう。

ただ、他に較べて目立つことは、何処の澤でも丹澤の澤は未完成な感じの荒れ果てた

ものであることだ。

同じ丹澤であっても、東部と中部西部では大分条件が異なってくるから、

勘七の澤や水無川、それに加えて葛葉川くらいを数回遡行した位で、西丹澤も同じ様

なところに考えて入ると苦労するし、とんだ失敗をしてしまう。

それは、澤そのものに登攀困難な棚が後者に多いことに加え、

東丹澤のように、山稜に達してから道があるわけではなく、

遡行を終え、山頂に達してから帰路の厄介なものが多い。

したがって、東丹澤を一応歩き、その上で安易なユーシン上流の各澤から玄倉川流域、

神の川支流の澤へと、入られるようにされるがよい。

時期的には、冬以外いつの季節でも遡行条件に大差ない。

豪雨の直後など入れぬことは、一般澤歩きの常識である。

さて、悠々遡行を開始するが、不安がって岩に手の力を強くかけることは、

風化の激しい丹澤あたりの澤では危険である。

深淵を過ぎると、すぐまた元のゴーロの河原歩きと想定しよう。

ここで注意することは、うかつに岩石に乗ると不安定なものがあり、

詰まらぬところで足首を挫く。

まもなく二股に分かれるとする。

本支流の見分けがつかぬ似たような出合いでは、河床の低い方が本流である。

また水量の少ない方が支流であるが、例外もわりにある。

本流は涸澤になっていることなど、上流地帯に見られる異例である。

やがて滝が現れる。

丹澤では棚と呼んでいるが、この棚のあることが澤歩きの興味の焦点なのである。

澤歩きは、岩登りと同じといえば暴言に聞こえるが、気脈通ずるものがある。

さればこそ、東丹澤の枝澤でザイルさばきに浮き身をやつし、ハーケンならぬ五寸釘

を所きらわずどこへでも下手な打ち込み方をしている人がいる次第で、之が

練習でなく、登攀のためであり、やがて西丹澤の同角ザンザ洞を無事辿り終えると、

一の倉に入って自殺志願にまで発展するものがときにはあるようである。

遡行中に現れる棚であれば、絶対直登主義、何とか登ってやろう、駄目なら腕ずくでも、

という張り切り方は、悪場でそう無理は利かないし危険だ。

棚に突き当たったら先ず直登ルートを求めるが、それを見る目を養わなければならない。

恐れていては登れるものでなく、“細心にして大胆なれ”という名句があるように、

しっかり見極めてクライミングを開始する。

小刻みなグリップは、案外水際にもある。

注意することは、水の飛沫で濡れていたり、苔が生えていて滑りやすい

また見た目はがっちりしたホールドが、手をかけたり、一寸足を乗せる

だけで、脆くも崩れ落ちるものがある。

私達の仲間であり、アヒルのニックネームのある奥多摩の澤を歩いた宮内敏雄は、亀の子タワシが有効だといって好んで使用していた。

登る前に棚の下からよくルートを見極めることで、登った途中で行き詰まる場合

等も考慮すべきだ。

丹澤に限らず、何処の棚でも同様だが、棚の左右水身よりにルートが多いものである。

自分の技術では無理だと思われるときは、高巻きルートに入る。

決して恥や外聞が悪いからなど、と誤った考えで出来もしない直登はやらないことだ。

ハッタリや衒うことで、生死をかけるのは慎むべきである。

岩登りや棚の登攀は人に見せるものではないし、面白半分でする業ではない。

下から見て登れそうな棚も、実際にあたって行き詰まるときもあり、甘い気持ちで行動

すると、上部で動けなくなり、墜落のもとである。

しっかり観察した上で、自己の実力以上と判断したら巻くのである。

この場合、あまり高く巻くと再び河床に降りれなくなるところがある。

両岸絶壁で巻きようもないところは、少し下流に戻って、小澤か窪を探し出し、

それから入って山肌をへずり、悪場をすぎる。

さて悠々源流だが、水が涸れて急ピッチなガレ場にかかる。

足を掛けるとグズグズとずり落ち、小石が崩落していく。

うっかり、登っていると、先に登ったものが落とす小石を頭部に受けて、

以外に大きな事故を起こす。

ガレ場登りでは、人偽的な落石を起こさないよう注意し、

また、先行者の真下を外れて登るようにする。

,3人のパーティーなら横並び、また多人数の場合は上と下とあまり離れぬほうがよい。

トップに立って登るものは、浮石がある場合それを落とさず、むしろその場に安定

させるようにする。

慣れない人はただガムシャラに登ろうとするが、之は労力を費やす限りで効果は少なく、

また落石を多く起こし、下にいるものに甚だしく危険を与える。

一歩一歩を確実に、時としては指先でバランスを保つ。

また、澤のつめからガレ場に入るころは、もう稜線に近いところが多い。

こんなところでは、ガレ場に入ったら際に切れ、ガレとヤブの界をルートに求めるがよい。

だが、ガレをさけることを考えて草付の山肌に逃げ込んでも、そこにはスズ竹の猛襲

があって、之ではガレを登ったほうが優れていることがあるから、その辺はよく

気をつけて行動する。

ガレ場をようやく突破すると、赤土の崩れが構えている。

足つきでほじくるくらいでは受け付けず、四つん這いでもロ−ム状では

手がかりなく厄介なものである。

傾斜の強い赤土のくどれは、微妙なバランスが強要されるのである。

こういうところでは、指が鈎であってくれればと思う。

鈎に変わるものとして、植木いじり用の小さなスコップが、利用価値を発揮する。

使用方法は、記すまでもあるまい。

さて、尾根上まで僅かの間だがヤブがある。

ヤブに入る前に、成るべく薄すそうなところを目当てにしておく。

案内書にあるような谷では、大体かすかではあるが、前に登った人の踏跡があるものである。

丹沢における、沢登りの位置づけを、的確な表現で描き現していた文であり、掲載しました