槍ヶ岳〜穂高縦走


・1日目 7月15日(月)曇り後大雨 台風による大雨警報でる、3時頃から上高地通行止    沢渡駐車場泊
・2日目 7月16日(火)雨後晴れ  午前11時まで大雨警報、12時まで上高地通行止    槍沢ロッジ泊
・3日目 7月17日(水)雨後曇り  午前中霧雨、午後2時間晴れ、のちガスが巻く      槍ヶ岳山荘泊
・4日目 7月18日(木)晴れ後曇り 朝霧のち晴れ、午前中は晴れたが午後曇り        北穂高山荘泊
・5日目 7月19日(金)雨     1日中、10M以上の強風と雨              穂高山荘泊
・6日目 7月20日(土)雨後曇り  午前中強風と霧雨、午後少し晴れ間もでる        夜半すぎ自宅

序章

あこがれの槍、穂高に一度は登りたいと夢に描いていたが、やっとその夢が実現することになった。
今まで、金をかけない山行に徹し、ここ数年丹沢オンリーに集中していた。
色々な事情で退職金が出たので、一生に一度の退職金なんだから、一度贅沢な旅行に使わせてくれ、 とかってな解釈を女房に言って、今回の計画をしたのだ。
今までで、3000Mを越す山に登った経験は富士山だけ。
北アルプスはというと、高校生だったころ、重いテントを背負って、黒四ダムから剣岳を登った経験だけだ。 しかも、3003Mあった剣岳も、数年後には2998Mになってしまった。
槍だ穂高というまえに、ほとんど北アルプス経験ゼロの状態である。 しかも単独登山、はたして計画どうりいけるのか、それにしても無謀な計画か、いきなり槍〜穂高縦走なんて、はたして登れるんだろうか。
第一段階は長期休暇
これは1ヶ月前に1週間の休暇予定を出し、夏休み前の7月13日〜7月20までを取った。 天候しだいだが、20日の海の日の前までに下山したい。
次はルートの研究
これは関係する本を図書館で借り、どこで泊まるか、どういうルートで回るか、色々案を練ってみた。 地図を買いルート研究、関連するホームページさいとを覗いて見る。
さて、行く交通機関はどうする。
マイカー、電車、さわやか信州号利用か、それぞれの一長一短を比較してみる。 マイカーは登るところと降りてくるところが一緒でなければならない。 電車は金がかかるし、自由があまりきかない。 さわやか信州号利用は、一番安上がりだが、あまり眠れないし、帰る日も決まってしまう。 結局、一番自由のきくマイカーに決める。
行く交通手段が決まれば、次はルートだ。 1日目はどこまで入ってどこで泊まるか。
槍沢ルート(涸沢ルート)か岳沢ルートか、車を沢渡駐車場に止め、朝一番のバスに乗ると、上高地に6時ころ着く。 槍沢ルートだと、泊まるところは殺生ヒュッテあたりか、無理をして行くと、1日で槍ヶ岳山荘まで行けるらしい。 今の自分の体力からすると、殺生ヒュッテが妥当だろう。
岳沢ルートは、上高地から一気に奥穂高山頂を越え、穂高山荘まで、時間的にみると行けそうだ。 人に聞いたり、本を読んだりして見ると、一般的には槍沢ルートが標準で、大キレットも槍から穂高方面がいいらしい。 岳沢ルートは登りがきつく、天候次第で、1日で登るのはきつく、寝不足では難しいようだ。
検討の結果、中高年にやさしい槍沢からルートに決め、岳沢と涸沢(一周ルートが難しい)からの入山はやめる。 こうして予定は決まった、あとは天候次第だ。
一日目は沢渡駐車場で仮眠し朝一番(5時30分)のバスで上高地に入る。
二日目は殺生ヒュッテか槍ヶ岳山荘に泊まる(ご来光と朝焼けの槍ヶ岳を見る)。
三日目は槍ヶ岳に登り、南岳山荘か北穂高山荘に泊まる(北穂から見る槍ヶ岳とご来光)。
四日目は穂高山荘か岳沢ヒュッテに泊まる(ご来光と奥穂からの眺め)。
五日目は上高地に早めに降り、中ノ湯の露天風呂に浸かって汗を流し、一気に家まで帰る。
以上のように計画し、天候によって宿泊場所を変え、予備に二日ほど見、込まない20日前までに家に帰るようにした。 こうして予定は決まった、はたしてこの通り行けるだろうか。
次は装備の計画
基本的には何も買わない予定だ。 いつもの20リットルのデイバッグに、着替えとセーターだけを追加で入れ、食料は持たず、山小屋泊まりに徹底する。
今回特別に買ったのはラジオ、家に適当なラジオがなかったので、天気予報を聞くためのラジオを、出発当日購入する。
計画は決まったが、出発日をいつにするか、できるだけ早めに出て早く帰りたい、とりあえず7月13日(土)と仮に決めておく。
1日目
台風7号が去ったが引き続き8号の動きがきになる。
当初、7月13日(土)出発予定だったが、進路予想をみて、一時出発見合わせ、7月15日(月)に自宅をでた。
台風は小型になり、足早に進み、翌日は台風一過の晴れになるだろうと予想、とりあえず上高地めざして出発。 高速道路を使わず、ゆっくりと国道20号線を行く。
諏訪市内を走っていた3時頃から、土砂降りの大雨が降ってきた。 側溝から水が溢れ出し、暗い空になり、低速運転。 この大雨は塩尻市内に入るまで続いた。
ラジオでは、上高地線や安房峠トンネルが通行止になったと伝えていて、少し明日の予定が不安になってくる。 市内で早めの飯を食べ終わってでるころに、ようやく雨は小降りになってきた。
塩尻から県道25号線を走り、国道158号線にでる。 沢渡の村営第一駐車場に着いたのは6時ころ。
夏休み前の普通の日ということで、止まっている車は3台だけ、しかも車には人影もなし、登っていて帰れないのだろうか。
今日はここで仮眠なので、寝袋を敷き、寝る準備をしておいてから、コンビニで買ってきたビールを飲みながら、気になる台風情報 を聞いていた。
2日目
夜半すぎまで強く降っていた雨はやみ、午前3時ころ星が見えてきた。 台風はまだ四国沖にいるが、勢力が衰えてきたので大丈夫のようだ。
5時すぎバス停の係員に、始発バス時間を聞きに行ったところ、通行止が続いているため、見こみなしといわれた。
雨があがっているのに、いらいらしながら車の中で時間をすごす。 タクシーがうろちょろしているが、運ちゃんも時間を持て余している。 一時雨が降ったが、その後ぐんぐん晴れてきた。
まだかまだかと待っていると、11時すぎに大雨警報解除のニュースがラジオから流れた。 運ちゃんからの情報だと、通行止解除は12時くらいになるとの話しだ、「お役所だからねえ、すぐには開かないんだよ」という。
やっと上高地に入れる、できれば11時までに入りたかった、今日泊まる場所が大いに狂う。 運ちゃんは「横尾まで行ければ、いいんじゃない」と言ったが、冗談じゃない、最低槍沢ロッジまで行きたい、かなり日程も狂っているんだから。 台風は伊豆半島に上陸したが、風はそよともふかなかった。
12時始発のバスに乗る、客は10人前後。 釜トンネルを抜け、12時半に上高地駐車場にやっと到着。
大正池は茶色く濁り、遊歩道は水につかり、通行不能、バス の運ちゃんからの情報だと、河童橋から左岸の道が通れないので治山林道沿い の道しか行けないらしい。
清流の梓川は濁流と化していた。 天気は大分晴れ間も出てきて上々なんだが。
5時までに槍沢ロッジまで行こうと思い、水も飲まず、わき目もふらず、早足で、歩く。
横尾までは車も通れる道路なので短縮しやすい。 大雨の影響での通りにくいこともなく、4時半に槍沢ロッジに着き、一安心。 どうやら、私が今日、最初の客らしい。
山小屋の人に登りの道の状態を聞かれたが「そう問題はないでしょう」と答えた。 とりあえずビールを一杯いただく。
だーれもいない一番風呂に入り、大きく手足を伸ばす、いいい気持ちだ。
夕食のみそ汁は美味しかった。 今日の泊まりは、私を含め3パーティー6人のみ。
聞くと、涸沢への登山道が崖崩れで通れなかった、との話しだ。 あっちへ行く計画じゃなくて良かった、また予定が狂ってしまう。
32人泊まれる部屋にたった一人で寝る。 ラジオで聞く20年ぶりのジェットストリームに、まだ続いているのかと、思わず感激した。
3日目
朝4時すぎころから明るくなったが、空はドン曇り。
5時ころ外で散歩をしていたら、ポツリポツリ雨が落ちてきた。 雷鳴が1回鳴ると、突然どしゃ降りの雨になる。 この雨は7時ころまで降り続いた。
団らん室のテレビで、今日の天気予報を見ていると、曇り時々雨とぱっとしない天気だ。 雨が小止みになった7時すぎに出発。
他の人はまだ様子をみているようだ。 小雨が降る中をババ平、大曲と進む。
今日はゆっくりと時間をかけて歩く、大曲までは周りの景色も見え、西岳や常念も見えているが、槍の方角は霧がかかり、全然見えない。 だんだん視界がわるくなり、2,30M先しかみえなくなった。
雨も少し強くなり、少しでも休んでいると体が冷えてくる。 雪渓を幾つか渡り、殺生ヒュッテに近づいたが、エンジン音がするだけで何も見えない。
そのうち、岩に数字が書いてあるようになり、上までの距離の目安のようだ。 残り、100Mになっても肩の小屋の姿は見えない。
石の階段のようになって、ようやく霧の中に山小屋が出てきた。
槍ヶ岳山荘に入り、濡れたカッパを脱ぐ。
結構冷えていたので、山小屋の中の暖かさは身にしみて嬉しい。
着いたのは11時半ころ、客らしい姿はない。 もうこれ以上今日は歩くつもりはないので早々に宿泊の手続きをする。
濡れた服は乾燥室に入れ、着替えて、弁当を食べる。 遠慮していたら、従業員の人がお茶を入れてくれた、この時飲んだ暖かいお茶のおいしかったこと。
槍沢ロッジの弁当は竹の子の皮に包んだちらし寿司だ、まあまあの味である。
槍ヶ岳山荘は現在増築工事中で、大工さんが一杯はいっていた。
昼食を食べ終え、ザックを部屋において休んでいると、窓の外が明るくなり、急速に霧が晴れてきた。 すると、目の前に突然、槍の姿が現れた。
先ほど歩いてきた登山道や、殺生ヒュッテ、ヒュッテ大槍が、眼下に見える。 あわてて飛び出し、槍ヶ岳や遠くに見える景色を見に出る。
青空が見え出し、二時間ほど、周りの景色が見えていた。 この間ヘリも飛び、改築中の荷物を運んできた。
これで夕焼けと、あわよくば朝日が見えるかと期待したが、3時すぎ、また霧に包まれる。 景色が見えるうちに頂上まで行ってくればよかったがもう遅い。
とりあえず、また晴れるのを期待し槍に登る。 槍の頂上は先発の3人と私だけ。
しばらく粘ったが霧が晴れず、なにもみえないまま降りる、明日の朝に期待しよう。
人がいないため、登り20分、下り10分の往復である。
今日の宿泊者は20人程度、沢山泊まれる山荘にたったこれだけだ。 そのうちの12人は、私達が食事を食べているときは入って来た、中高年グループだ。 横尾から登ってきたといい、あとで食事のとき、一人のおばさんが「あなたたちのおかげでやっとここまでこれました」 と酒を注ぎまくっていた。 明日、かれらも槍に登るらしいので、その前に登ろう。
今日も一つの布団に大の字になって寝る。
昨日、部屋が別で話しをしなかった3人の男女パーティと話しをし、たまたま故郷の群馬だということで、 しばらく話しをした、明日晴れれば、キレットを行くが彼らは戻るとのこと。
単独行の一人は双六方面に降り、もう一人の単独者は同じキレット越えをするとのこと。 天気予報をラジオで聞きながら眠りにつく。
4日目
4時すぎ、少し明るくなったところで、窓の外を見る。 霧だ、何も見えない。
ご来光は諦め、朝食まで布団にくるまっている。 朝食を食べる頃少し槍の影が見えてきた。
朝食後、太陽も少し顔をだすようになったので、もう一度槍に登ることにした。 あの中高年の団体が登る前にいこう。
頂上には下から来た青年一人と、キレット越え単独行の一人と計三人。 雲の流れが速く、滝雲のように流れ、次々とガスが湧いてくる。
結局、周りの景色はあまり見えず、下に降りる。 降りる途中、例の12人パーティーが登りにへばりついていた、あの調子だと登り下りに倍の時間がかかるだろう。
さあ、先に進もう。
天候は順調に回復、今日1日はいい天気のようだ。
さあ、キレット越えに挑戦だ、どんなところだろうか。 大喰岳、中岳とわけのわからない3000Mピークを越えて行く。
だんだん霞んで消えて行く槍ヶ岳を、なごりおしく写真に撮る。 すこしだけ北鎌尾根が見える。
途中、雪渓から溶け出して小さな川になっているところがあるが、これが雲上の水場だろう。
歩きやすい尾根道を歩いて行くと、小さな南岳のピーク、ここからは、これから行く北穂高の荒荒しい岩壁が正面に見える。 奥穂高岳は、雲の流れの中に時々霞んで見える。
ゆっくり写真を撮っていると、あとから来た単独者と外人さん二人連れに抜かれてしまった。 外人さんは歩くのが早い、にこっと笑って挨拶し、とっとといってしまった。
すぐ下には南岳小屋が見えている。 小屋まで降り、さあ、これからキレット、ストックをザック横にしまい、気合をいれて、下りにかかる。
獅子鼻からの下りは。梯子と鎖があるが、ゆっくり降りていけば、それほど心配ない、楽に降りられた。 途中、ほとんど下りきったところで、北穂からきた単独者とすれ違った。
しばらくは、歩きやすいやせ尾根が続く、はるか下に蒲田川の白い流れが見え、小屋の屋根なども太陽に光ってみえる。
遠くで叫ぶ声がした、先ほどの外人さんのようだ。 しばらくすると、最低鞍部を越え、馬の背状のナイフ・リッジにでた。
外人さんが思わず声を出したのはここのようだ、今までと違って、緊張感がはしり、やっと日本の屋根たる、岩場が出てきたので、 同行者に叫んだようだ。

鎖はあるが、切れ落ちており、岩一枚の下は、はるか1000M下だ。 少し、尻の下からむず痒い感じがしてきた。
あまり、下をみないようにして、太い鎖をつかみ、ゆっくりと進む。 あまり、休めるようなところがないので、のどが乾き、水を飲みたいのだが、ザックをおろせない。 しばらくして、A沢のコル地点でようやく水を飲む、のどがカラカラ。
今までは水を飲まなかったが、ここの歩きでは緊張感でのどが乾く、しばらくは、休めるところで水を飲みながら、登る。
飛騨泣き部分も、鎖と狭い岩の間の歩きになるが、慎重にいけばどうってことはない。
正面にはガレガレの北穂が見える、どこのルートに登山道があるのか。 北穂の小屋までは、きつい登りばかり続くので、休み休みしながら、ゆっくり登る。
小屋が頭の上に見えているのだが、ちちとして進まない。 やっとゼイゼイいいながら北穂小屋に着いた。
キレットではナイフ・リッジの部分が一番怖かったようだ。 さきほどの外人さんは、昼ねをしていた。
のどがからからなので、ビールを飲みたいが、息を整えるまでしばらくベンチに横になる。
持ってきた500mlの水は、キレット越えですべて飲み干してしまった。
少し休んで、やっとビールが飲めるようになったところで、売店からビールを買う。 ビールの美味しいこと、ああ、満足満足!!。
今日のキレット越えは北穂からが一人、槍からは私が最後のようだった。
時間はまだ、午前中で早いのだが、今日はここでおしまい、もう動きたくない。
弁当を出し、まわりの景色を眺めながら、ゆっくり食べる。 天気は晴れて暑いのだが、あまり遠くは見えない。 槍はぜんぜんみえないし、涸沢や前穂高が時々みえるていど。

小屋に入り、少し布団にくるまって、休む。 ここの小屋は、横になっていて、部屋の窓から丁度常念方面が眺められる、見晴らしのいい部屋だ、槍もチェックできる。
少し散歩して、頂上で横になっていたが、奥穂方面の展望はゼロ、夕食まで槍の姿は見えなかった。
夕食はバロックを聴きながら、名物のしょうが焼きとサラダをいただく、下から比べると、だんだん食事がよくなっているようだ。 今まで、どこの山小屋でも、味噌汁は美味しい。
外を見ながら、食べていると、ガスが流れ、ちらちら槍も見えるようになってきた。 食べ終わって、すぐにカメラ片手の外に出、雲の間からかいまみる槍ヶ岳を撮る。 夕日はとても無理。
結局、今日、1日は、夕方少しだけだけど槍ヶ岳が見えたようだった。 今日の泊まりも20人程度、布団を二枚敷いて、早めに寝る。
5日目
朝から雨と強風。 宿泊者はみんな今日はどうしようかと考えている。私もしばらくは様子みで、天気予報を聞く、長野県地方は雨。 前線が横たわり、梅雨が明ける気配がない。
ここに連泊する人や、涸沢に降りる人ばかりだ。 なんとか最低次の穂高山荘まで行きたいと思い、カッパを着、フードをかぶり出るが、霧と雨、風が強く、980円 のビニールカッパが持つか心配だ。 しかし、いかなくちゃ、と気合をいれ出かける、7時出発。
北穂山荘をでて、すぐに岩と鎖の連続するルートが始まる。 鎖が雨に濡れているので、足元と持つ手は慎重に、一つ一つ越えて行く。
鞍部のところ、下からの吹き上げが強く、風が弱まるのを待って通過。 このコースも以外とハードだ、霧が巻きまわりの景色は見えない。
もくもくと、白まる印と矢印をたよりに、強風の尾根を登り、下りして進んで行く。 前からも後ろからも登山者はいない。
やっと岩場が切れ、ガレ場になったところで、穂高山荘からきた単独行者に出会った。 なれたかんじの人じゃないようだったので「雨、風が強く、岩場と鎖が続き、おまけに下りになるので、大変ですよ」といっておいたが、 大丈夫だっただろうか。
逆に小屋までを聞くと、「下って、すぐそこですよ」と教えてくれた。
なるほど、あとは楽なガレの下り、ヘリポートが見えてきた。 あとで聞いたところによると、そこからすぐが涸沢岳で、昨日は奥穂高が良く見えたとのこと。 9時半、穂高山荘に入る。
山荘のなかにはかなりの人がいる、もうこの天気では出かけないようだ。 カッパを脱ぎ、しばらくはストーブで暖まっていたが、寒さで少しふるえがきた。
今日は岳沢ヒュッテまで行く予定だったが、ちょっと難しくなった。 奥穂へ登ると出かけた人も、ほとんど途中で引き返してくる。 決めた。今日はここまで。宿泊の手続きをする。
雨脚はどんどん強くなっている、下から登ってくる人、あきらめて連泊する人等、昼間から山小屋は大忙し。
さて、時間をつぶすのが大変、 しかしこの小屋は今までで一番立派で、本やビデオが豊富にある。 夕方まで写真集や本を読んですごした。
部屋で隣りの単独行の人は、今日は連泊とのこと、明日天気が良ければ北穂からキレットを越え、飛騨側に降りたいといっていた。 「雨と風さえなければねぇ」と話したが、天気予報は相変わらず良くない。
今日の泊まりは80人程度、昨日は40人くらいだったという。それでも、今日も布団は一人一枚ずつ、きれいな布団だ。 夕食(ここが一番いい)後、思わぬスライドショーがあった。 世界的に有名な写真家(名前は忘れた)が泊まっているので、その人の撮った穂高とヒマラヤのスライドをやるという。 コダック、テクニカルパン2415で撮った35mmの白黒写真は、すごい迫力だった。 超微粒子で、畳2畳ほどのばしても、するどいピントである。天体写真ではかなり使われているが、なるほど35mmでも撮れるんだ、 とあらためて感じた。 その人の説明も、朴訥とした説明で非常に感じよかった。
今まで夜は、夕食後すぐに寝ていたが、ここは色々あってよかった。 しばらく、隣りと話しながら眠りについた。
6日目
朝起きると霧雨。
ときおり、ゴーゴーと風の音。
天気予報は少しもはずれない、今日1日も良くないようだ。 隣りのおばさんから「いつごろ出られます」と聞かれたが、「まだ、わからない」と答えた。 予報では午後は良くなるとあったので、準備をして、おもむろに出る。 風が強い。
梯子を上り、奥穂山頂まではさえぎるものがないので、10M以上の風がビュービュー吹きつけ、飛ばされそうだ。 カッパもバタバタ膨らみちぎれそう。
そうそうに下ってくる人3人、奥穂頂上には誰もいない。 カメラを出すのも億劫、方向指示板の後ろで雨、風を避け、かろうじて2枚ほど写真をとる。 すぐに前穂方面に出発。
しばらくして、7,8人の中高年グループに追いつく。 結構、最後から行く人はつらそうな感じだ。 先に行かせてもらい、どんどん降りる。
雨、風は強いが、昨日までのコースと比べると格段に歩き安い。 少し腹が痛くなってきてやばくなってきた。 とてもトイレをするようなところはない、2回目の腹痛がきた。
そろそろ考えなくては、と思っていたやさき、紀美子平に着く。 風も少しおさまり、雨はやんできた。
少し下にできそうなところがあり、下り始めると人の声。 下から上がってきた人らしい。 声をかけ「ちょっと下でトイレ休憩しますのでよろしく」と声をかける。 すっきりしたところで上に戻る。
夫婦者二人でこれから、前穂に登るらしい。 私もザックを置き、先行して、前穂頂上まで登る。
風はときおり吹き、濃霧状態になってきた。 寒さは和らぎ、だんだん暖かくなってきたようだ。
頂上でも何も見えず、しばらくいて、紀美子平まで戻る。
このころになると、下からの登山者が結構増えてきた。 少しガスが晴れ、上高地が時々見えるようになる。
カッパを脱ぎ、急な重太郎新道を、ゆっくり下る。 途中、お花畑があり写真を撮りながら降りる。 ときおり見える上高地の姿や、岳沢の姿は美しい。
あとで調べて見ると、この重太郎新道が一番の急傾斜と標高差があるらしい、登りに使わなくてよかった。 岳沢ヒュッテに11時40分到着、ビールと食事休憩。
あとは膝を痛めないように上高地に降りるだけだ。 岳沢を悠々とかっぽする、かもしかに出会った、写真を拡大したら、横にあんぱんまんのような石があった。
今日は20日海の日、今日の午後は降りたくなかったのだが、下は込んでいるだろうなあ。 途中あった夫婦は、大正池からバスが動かないので歩かされたとのこと。
遊歩道に出ると、いるいる、老いも若きもうば車まで、うじゃうじゃ人がいる。 河童橋は人で一杯、2時到着。
バスを待っている人に聞くと、3時間も並んでいるという。
ザックを持って並ぶ気にもならず、二階ベンチで荷物整理をし、横になって昼ねする。 2時から4時ころがピークで、出入りの観光バス、タクシー、路線バスと狭い駐車スペースにニッチもサッチも動かないらしい。
5時ころ、ようやく列が動き出したので、沢渡行きの列に並ぶ。 並んでいるのはここだけ、マイカーでくる人が一番わりをくっているようだ。 沢渡駐車場に着いたのは6時すぎ。
温泉に入るきにもならず、着替えをしてそのまま帰途に着く。 自宅に着いたのは12時すぎ、運転は眠くて疲れ、途中30分ほど仮眠して着く。
総括
天気はあまり良く無かったが、予定通りのコースをまわれておおむね満足。
残念なのは、一度もご来光がみられなかったことと、ジャンダルムが見られなかったことだ。
携帯電話は槍、北穂、穂高、各山荘では十分通じる。
気がついたことは、みんな結構大きめのザックを背負っている、山小屋泊まりであれば大きいのはいらないと思う、 できるだけ軽くするべきだ。
靴は立派なハイカットの革靴がほとんどだったが、重く、かえって足首を痛めるのではないか、私のような運動靴まがい の人はいなかった、靴は軽いのにかぎる。
雨具、高そうなのを着ている、安いので十分役に立つ。 おおむね、ゆっくり目に歩いていて、コースタイム程度で行けるようだ。

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