『 週刊 Hanko 』 709号

◆富岡市吹創立30周年記念演奏会

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 朝の寒さが一段と厳しくなってきました。家は建ったけれど駐車場はまだない斎藤家、野ざらしの車が凍り付いて、朝出掛ける前にやかんのお湯をかけてやらないと前が見えない!という状況です。クラを買わずに駐車場を作るべきだったかしら??(^_^;)

◆富岡市吹創立30周年記念演奏会◆
 今年は30周年記念、第25回目の定期演奏会ということで、並々ならぬ力のいれ具合!当日に辿り着くまでに色々なことがあったけれど、初挑戦のステージショーを始め、本当にみんなで心を合わせて頑張った!という演奏会になり、来場者も例年を上回る900人以上(インフルエンザでどうなることかと思ったけど!!)、本番、思わず涙した団員がたくさんいたみたいです。
http://www.raijin.com/news/a/13/news10.htm

 私は、というと…。
 確かに涙したけど、みんなとはちょっと違う。。。かも。。
 まず、朝起きて、ベッドから出る前に泣き(この日を迎えられて良かった、忙しい中ここまで練習に参加し続けてこれたのも、家族の理解あってこそ! 良い家族に恵まれて幸せだなぁ…!!(*_*))
 次にリハーサルで泣き(う、いよいよ本番なんだ、すごい、みんなが一致団結してるのって美しい!)
 そして本番前の総決起集会で泣き(後ろの方でこっそり泣いてました。みんな熱い!こういうの、中学生の娘にも味わわせてやりたかったなぁ…中学の部活で不完全燃焼なんてかわいそう…;)
 さらに本番中に何度か泣き(やっぱり市吹っていいなぁ。こうしてメンバーの一人でいられて良かったなぁぁぁ!!)

 もう、本当に人知れずずっとうるうる状態でした。(*_*)

 実は今年、消防の音楽隊や、南中保護者のドリームバンドという新しい環境が私には刺激的で、市吹の方はあまり燃えてもいなかったし、定期演奏会に期待もしていなかったのです(ごめんなさい)。
 でも、ステージショーの練習が佳境に入り、たくさんの旗や小物が手作りで用意されているのを見たり、踊りの振り付けに熱が入っていたり、色々な場面で意見が対立する中なんとかみんなで気持ち良く本番を迎えよう、お客さんに楽しんでもらおうと頑張っている仲間の姿を見ているうちに、だんだん市吹のメンバーとしての責任感を思い出し、そしてやっと本番の二週間くらい前に、私も楽しもう、という前向きな気持ちになれたのでした。

 間に合った…!という感じ。
 今回は本当に、「みんなのお陰で…!!」を実感しました。
 
 思えば30年前、吹奏楽部のない高校に入学してもんもんとしていた時、この市吹が誕生しました。25才くらいの若きY先生が産みの親で。
 以来、高校時代はもちろん、大学でブラス三昧の日々を送っている間も、就職して横浜楽友協会というバンドに在籍してからも、市吹の練習のために週末帰ってきました。頭が痛くても、風邪気味でも、市吹の練習に行くと治っちゃう、そんな場所でした。

 その後、結婚出産で退団したあと、団員がぐっと減って、市吹の氷河期と言われる時代もあったけれど、それをなんとか乗り越えてきてくれた当時のメンバーのお陰で今日があり、子育てに一段落して戻ってくることができた、そして30年前には生まれてもいなかった10代20代の若い人たちと、同じ目的のために同じステージにたてるとは、なんとも不思議なことだなぁ…と。

 みんなのお陰で、市吹の創立30年という節目を一緒に迎えることができたのだと、心から感謝です。

 私にとって市吹とは。
 なんだろう。「お母さん」みたいなものかなぁ。
 育んでくれて、いつでも迎え入れてくれて、力を与えてくれて。
 長い間、本当にありがとう、です。

 ところで、第1回からの定期演奏会のパンフレットをY先生が保存していて、今回特別にずらりと展示されました。最初のころは写真入りで、あぁ、高校生の私が…!!(o^^o)
 「きゃぁ、これ斎藤さん???(@_@)」
 あんまりビックリしてくれる人がいるものだから、いつも「全然変わらないねぇ」って言われてるのが大ウソだったってバレちゃったじゃない!!
写真の中には意外な人もいて、実は消防音楽隊の楽長と、かなり昔に一度共演していたことが判明しました。(^。^)

 そういえば、市吹と消防を掛け持ちしているのは、私の他に2人いますが、1人はこの定演で市吹を退団し、1人は今年度いっぱいで消防をやめるそうで、ちょっと淋しい!? 私もいつまで両立できるかわからないけど、吹ける間に悔いなくしっかり吹いておきたい、と改めて思いました。

 その後、市吹の定演の記事があちこちに載って、それを見るたび、あぁいい演奏会だったんだな、と確認できます。何より、「子供ほったらかして笛吹きに行くのもいいかげんにしなさーい!定演終わったらもうやめなさ〜い!!」と騒いでいた母が、「こんな素晴らしい演奏会をやる団体じゃ、やめろとは言えないねぇ…」と言ってくれましたもの。
 今回も弦バスで参加したパパと共に、2人そろってゲネプロ・本番だったから、子供は母にまかせっきりでした。仕事も趣味も、母なしでは続けられません。(._.) 頭が上がりませんが、いつも本当にありがとう!! で、これからも、よろしくね!? (^_^;)

2009. 12. 17  斎藤 範子(Hanko)



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