マラソン大会 感想記 A

 
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2010年伊南川100qウルトラ遠足   100km(初完走)10/10/23 福島県南会津

2010年いわて銀河チャレンジマラソン   100km(リタイヤ66km) 10/6/13 岩手県

●2009年野馬追の里健康マラソン    ハーフ 09/12/6 南相馬市 

2009年阿武隈リバーサイドマラソン     ハーフ 09/11/1 角田市 

2009年いわて銀河チャレンジマラソン
   100km(リタイヤ73km) 09/6/14 岩手県

2009年かすみがうらマラソン       フル 09/4/19 土浦市 

2009年東北ブロック新春マラソン    フル 09/1/11 名取市 

2008年阿武隈リバーサイドマラソン
     ハーフ 08/11/2 角田市

2008年いわて銀河チャレンジマラソン   100km(リタイヤ61km) 08/6/8 岩手県

2008年かすみがうらマラソン       フル 08/4/20 土浦市

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         ●伊南川100qウルトラ遠足 第1回

          2010.10.23(土)参加費:100` 14000円
           参加賞:Tシャツ、岩魚の甘露煮、ウルトラ饅頭
                伯方の塩、レーズン、清酒花泉、トマトジュース

                
伊南川マップ、手ぬぐい等その他沢山
             エイド:(17箇所)バナナ、オレンジ、トマト、豚汁、
                  俵おにぎり、ミニパン、飴 他色々
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  ★スタート前日

 金曜日の正午に集合、車2台に分乗して福島県南会津町伊南村めざして出発。仙台南ICから白川ICへ。平日なので通行料3100円。白川ICから国道289号で甲子温泉に向かう。昔(26年前、那須登山後に入浴)は行き止りだったが、甲子山を貫きさらに内陸に導く甲子トンネル(2008年に開通)ができた。カーブが多いトンネルを抜け、下郷町を経て、会津田島へ入る。意外に大きな町。(南会津町の人口は約2万)田島から駒止トンネルで南郷村に入り、その隣の伊南村に到着。4時半頃だったと思います。


               ↑赤点部分を走りました(福島県)

 受付の役場前には、出店のテントにそぞろランナーが集まっていた。ゼッケンやTシャツの他に、地場産品詰合せの箱(参加賞)が手渡され、にっこり。桧枝岐御苑の岩魚の甘露煮、ウルトラ饅頭伯方の塩、レーズン、清酒.花泉、トマトジュース等々どっさりだ。味噌や、お酒、漬物、梅干などの販売があったが、私は試食して美味しかったしいたけ饅頭を購入。主催者の海宝さんの健康教室にも参加。アットホームで楽しい雰囲気に包まれた。

 お宿は受付の役場やゴールスタート地点から、歩いても近い民宿。夕飯は舞茸ご飯やトンカツなどボリューム満点。7時には部屋に戻り、明日のしたく。(背負って走るザックの中に、参加賞の薄手の赤Tシャツ、簡易雨具、地図、薬品、カットキネシオテープ、飴、ココアプリン、大福、シュークリーム、栄養補助食品、ティシュペーパー、保険証、現金を入れる。)

 足指、足首、すね、膝、大腿、肩に念入りにテーピング。腰と背中には、S針灸院ですでにテープを張ってもらっている。かなり時間がかかり、同室のAさんに30分位遅れて、8時過ぎに就寝。よく眠れました。

 朝2時50分起床。3時半からお膳の朝食を出してもらい、なるべくたくさん食べる。急いで支度し、4時半にスタート地点の伊南小学校グランドに到着。中間点への規定の荷物袋(替えシューズ、携帯、ユンケル、アイススプレー、飲み物、好物の食べ物、ヘッドランプ他色々)を預ける。寒いので体育館内で待機。館内のトイレの列に並び、5分前にスタート地点へ。外気は予想外に冷たく、長袖ランシャツ、風防ベスト、薄手長袖フリース、7分タイツにハイソックスといういでたち。背中にはラン用のザック。

  伊南小学校スタート地点 標高550m

 5時スタート。真っ暗。小さな豆ライトを持ってAさんと並んで走る。後ろには数人しか居ない。民宿の前ではご主人が手を振ってくれていた。伊南川を渡って、暗い川を左下に見ながら進む。ロックシェットのトンネルがあり、温度計は2℃の表示。どうりで寒いはず。


  ★第1エイド(6.2km)内山生活改善センター 標高608m 走路の左側

 水分のみのエイド。少し明るくなってきた。日の出は5時54分。正面に朝焼けの山を見る。尖った姿が燧ケ岳かと思い、途中で応援のお爺さんにあの山は?と聞いたら、会津駒ヶ岳から派生する峰だろうとの事だった。


  ★第2エイド(11.5km)大桃民宿高畑 標高700m 走路の左側

 すっかり明るくなり、オレンジとバナナを頂く。ここでフルート?を吹いていた女性がいた。(後で聞いた話では、ご本人も走る予定が出走できずに応援に回った)県道を少し外れて、細い道を一時走るが橋を渡ってまた県道に出る。旗を担いで走っておられる年配の殿方がいらしたので、「ご苦労様です」と声を掛けると、「好きでしているので、ご苦労様と言われても何とも返答の仕様が無い」との事でした。ごもっとも。でも、凄いパワー。

 朱色の逆毛カツラをかぶった男子もいた。前後して走る中で、彼が対岸の木々を見て「紅葉が奇麗ですねえ」と話かけてきた。「貴方の頭も紅葉してるわよ〜」と言うと、彼が「えへへっ」と笑顔を返す。こんな交流も楽しい。


  ★第3エイド(17.0km)駒の茶屋 標高800m 走路の左側

 ここには、トマトがあってすごくおいしかった。駒の茶屋は本格手打十割蕎麦が名物とか。でも広い駐車場だったのか、トマトの感動に消されて店舗の記憶がない。
 暖かくなってきたのでフリースを脱いで、長袖ランシャツと風防ベストのみにする。2つのロックシェルトを抜けると、木賊(とくさ)温泉への左折の林道が。帰りはここを曲がっていくのだ、と認識する。

  ★第4エイド(23.1km)アルザ尾瀬の郷  標高920m 走路の右側

 道の右手にあるこの施設は、温泉とプールもあるらしい。広い駐車場の道路側にエイドがある。オレンジとバナナを頂き、ストレッチをする。この辺りまではAさんの後ろを走ったが、次第に離れる。この時はまだ周りに走っている人はいた。

 このあたりから桧枝岐に入り、道脇に民家が点在。会津駒ケ岳の登山口は確認したが、六地蔵は見逃してしまう。Bさんの写真ではとても愛らしい。水子地蔵とか。さて、走っているのは国道352号。地図には沼田街道との記載が。沼田は群馬からの尾瀬への登山口だ。後日不思議に思ってネットで調べると、昔は上州から尾瀬を通って会津に抜けていたそうだ。沼田からの街道って訳ね。


  ★第5エイド(26.1km)ミニ尾瀬公園 標高960m 走路の右側

 道路の右手のミニ尾瀬公園駐車場にエイドがあった。公園は走路左の川向こうにあり、尾瀬の植物が見られるそうだが、走っていては全く気がつかなかった。桧枝岐周辺は全て公園みたいな所なのだ。
 駐車場にあるモダンな多角形のトイレに初めて寄る。靴のまま入れる奇麗な水洗トイレだ。ここで背負ってきたココアプリンを食べる。すっきりして走り出す。
 少しペースを意識的に落とす。昨年、余力があるうちにペースを落とすと長く走れることが記憶にあった。休憩の間に走者はぐんと減った。

 写真を撮りながら走る女子と後先になりながら進む。彼女が「これ白樺ですか?」と道脇の木をさす。「たぶんそうかな〜」なんていい加減な返事をする。以前白樺と思っていたら、岳樺だったことがあるからだ(笑)。ヘリコプターの爆音のような音が右手の河原から聞こえる。川沿いの駐車スペースでストレッチをして走り出すと、間もなく右手が実川荘のエイドだった。


  ★第6エイド(30.1km)七入・実川荘 標高1100m 走路の右側

ここから沼山峠まで、登山地図では登り2時間45分の山道だ。(山道だけど昔の街道)エイドでペットボトルは?と聞くと上の峠で貰えるとの事。あら〜(涙)山中で水が無いのは走るどころか命にかかわる大ピンチ!小さくても空のボトルを持参すればよかった、と悔やむ。考えて水分補給にトマト2個を頂く。確か登山道は沢を数回渡るはずだから、喉が渇いたら沢の水で何とか凌ごうと思った。サバイバル〜。

 急いでエイドを出て、舗装道から左折して山道に入る。沼山峠の道標がある。(ここから峠までは走るのを禁止されている)二人の若者を抜いて早足で平坦な道を進む。時計を見ると9時半。しばらく刈払いされた道を行くと、左手は開け、沢(実川)と対岸の山と送電線の鉄塔が見える場所に出る。見晴らしのいい場所とはしばらくお別れ。人の気配が全く無い。

 いよいよ登りのきつい登山道に分け入る。3時半に朝食だったので、お腹が減ってきた。ザックから大福とトマトを出して歩きながら食べる。喉が渇いたので、3度目の沢を渡る手前で沢の水を飲む。上流に沼山峠のトイレがある事は判っていたが、仕方ない。あとで地図をみると、沼山峠からの沢ではないのは1〜2番目の沢のみ。飲むなら2番目に渡る沢(赤法華沢)まで(上流は沢が深く、沢に降りるのは時間もかかり危険と思われます。)

 登山道は、3度目の沢から沼山峠から流れる道行沢に入り、抱返ノ滝迄は、沢沿いの道だ。地図では県道から合計で沢は7回渡った事になっている。沢を渡るたびに道標があり、道を違えていない事にホッとする。30分位は、山中一人旅。熊が怖いので熊鈴をじゃらじゃら鳴らし、歌を歌いながら登る。途中で木を拾い杖にする。ふいに♪杖を頼りに一日がかり〜♪と双葉百合子の歌が思い浮かんだが、これは流石に歌わなかった。
 
 やっと前方に人の気配。見ると、視覚障害の女性と伴走の男性のペア。「右足を前に置いて」とか一歩一歩の指示をしながらだ。走力はかなりある方なのだろうが、流石に山道は橋や根っこ、石や下りの段差等さまざまな障害物があり、ご本人も伴走の方もかなり難儀をして遅れてきていた。大変だなあ、と思いながら道を譲ってもらう。後ろからは数回「きゃ〜」という叫び声が聞こえた。滑って足を踏み外しているのだろうか。ああ、励ましの声掛けを忘れちゃった、と悔やむ。

 登山道に入り1時間余りで、35kmの表示。(まだ35kmかぁとほほ・・)かなり疲れてきた。残りのトマトを食べながらしばし休憩。数人に抜かれる。この時私は即席杖を両手に持って登っていて、「下から見たら、ダブルストックで準備良いなあと思いましたよ」と言われる。でも、ダブル杖も木の重さで手が疲れてきて、一本にする。タダだと思って欲張ってはいけません。ずっと広葉樹林帯の眺望のない登山道です。

 落ち葉もブナが多くなる。このあたりの沢は右下に深くなっている。しばらくして滝の表示。登山地図では滝への分岐の道標から峠まで45分になっている。道標からしばらく登ると上から下ってくる人がいて、あとどの位ですか?と尋ねると「そうねえ25分位かな」との事。柑橘系の粒ゼリーも頂き、俄然元気に。
 
 右手に眺望が開けた所(後半はここだけ)に出て、会津駒と思しき山を見る。正面に燧ケ岳も見えた。少し尾根に出た感があり、峠も間近と思われる。平坦になった笹の道を行くと、ほぼ25分後に小屋が見えてきた。

                        スタート ↓ ゴール

             ↑赤点がコースです

  ★第7エイド(36.5km)沼山峠休憩所 標高1700m 走路の右側
 
 登山口から約2時間で沼山峠休憩所に到着。トイレと小屋が別棟。舗装のバスプールにバスが2台。エイドでゼッケンにチェックを受け、ペットボトルの水を頂く。ザックの中から好物のシュークリームを出し、バス停で食べる。バスの運転手さんが2人いらしたので、つい「バスに乗りたいな〜」と言うと、「どうぞ〜」と。「やめればいいのに、バカだからやめられないんです。日没までに木賊温泉までは行きたいんですけど」と言うと、「大丈夫じゃないの、まだ昼前だし。でもあそこは凄い坂だよ」との事。「夜は寒いですか」と聞くと、「暗いうち(4時半)に田島を出て、今朝ここに着いたら、霜で真っ白だったよ」と。これは大変。急がないと。

 手早く食べ終わり、トイレに寄るも、時間はあっと間に過ぎるもの。到着は11時40分頃と思うが、出発は12時近くになっていた。

 峠からは下り。最近体重が2kg痩せたので足にも負担が少ないような気がした。燧ケ岳の上部は落葉していたが、沼山峠から御池ゲートまでの青空に映えた紅葉が素晴らしかった。本日一番の絶景。

 下りばかりと思いきや、たまに登りもあったりして、疲れてちょっと歩く。ここは普通車は通らず、シャトルバスが数台しか通らなかったので、安心して走れた。ただ、のちに聞いた話では、ランナーが左端走行を守らず、道の真ん中や右を走っていて、バスの運転手さんから主催者にクレームがあったとか。

 又ここはエイド間10kmもあるそうだが、きつい登山道のあとの車道の下り(標高差200m)だったので、そう長く感じなかったのは幸いだった。



  ★第8エイド(46.5km)御池ゲート駐車場 標高1500m 走路の左側

 御池ゲートに到着。ここは、沼山峠を経て尾瀬沼に向かう一般車輌の駐車場だ。沼山峠行きのシャトルバスも数台あり、峠で話したバスの運転手さんの笑顔の出迎えに元気を貰う。
 エイドにはパンが残り一つしか無く、後から来た方と半分に分けて食べる。最初はスポーツドリンクを飲んでいたが、疲れてくると水が欲しくなった。大きなレストハウスがあったが、時間が無いし、次のエイドにはデポの食料があるので、寄らずに前進。


 ここから下り6.5km(標高差400m)の後半は急カーブの多い道で、特に下りの車が多く、走行には結構注意を要した。下りなので何とか走れたが、傾斜が急な下り坂だったので、足に負担がかかり、段々と疲れを感じた。道路の右脇に沸き水もあったが、ひたすら下る。


  ★第9エイド(53.0km)七入・実川荘 標高1100m 走路の左側

 エイドに到着。ここで、出発するAさんとすれ違う。「頑張ったね〜」と褒められ嬉しくなる。まず荷物を置くブルーのシートがあったので、そこで寝転んで背中と腰のストレッチをする。その後、豚汁の汁だけを貰い、おにぎりを入れて食べる。握力が無くなり、注意力も散漫になって、コップの汁をこぼして、もう一回もらう。
 荷物を受け取り、ザックから不用品を出し、後半に備えて、ヘッドランプ、団子、プリン、スープ、ブドウジュース等を入れた。足の甲が痛かったので、靴を脱いでテープを張る。
(その後は痛まなかった!キネシオ威力大!)ついでにふくらはぎに冷却スプレー。知人のEさんご夫妻とも会ったので、スプレーをお貸しする。

 急いだつもりだが、25分もエイドに逗留。午後2時5分にエイド出発。行きと違う砂利道をしばらく走る。数百メートルだったが疲れた足に砂利がまとわりついてなかなか進まなかった。国道に出て走り出すが、段々お腹が下り加減になった。通常なら問題ないが、疲れ+噛まずに飲んだ汁ご飯の影響か。道路右手にオートキャンプ場の管理小屋が見えたので、迷わす駆け込む。「お手洗いお借りしたいんですが」血相を変えた私を見て、女ご主人と思われる方が、どうそ早く!とトイレを指さす。

 靴を脱ぐトイレだったが我家のトイレより清潔でペーパーもあった。急いだつもりだが、たぶん12〜3分はかかってしまう。トイレは寄るたびに時間のロスとなる。お腹の管理は大事だと痛感。
 さてこれでよし。気分を変えて走り出す。ここからはまばらだが道脇に人家もある。


  ★第10エイド(57.0km)ミニ尾瀬公園 標高960m 走路の左側

 2時45分頃到着。このエイドは午後2時半迄なので、朝あった机は片付けられて無かった。Cさんに追いつく。リタイヤした場合のタクシー代を心配なさっていたのでお貸しする。私はタクシー代や万が一の救急病院搬送を想定して多目にお札を入れてきたのだ。
 そこへ後ろから審判車が来て、「もうこの先エイドは無いですよ〜」と告げられる。はぁ・・・でも行きたいなあ〜。


  ★第11エイド(60.0km)アルザ尾瀬の郷 標高920m 走路の左側

 3時15分到着。ここのエイドは3時にクローズなので関係者が撤収の最中。でも机にお水等は残しておいて下さっていた。飲んでから出発しようとすると、審判車の方が車から降りて来た。

 ここから木賊温泉までは人家も自販機もなくエイドも閉まってしまう事、峠の小繋トンネルまでは10kmずっと登りで、木賊温泉の手前で日没になってしまう事、リタイヤしても回収の車は来ないかもしれない為やめたほうがいい事、もし走るならこれから先は自己責任になってしまうかも、という内容だった。
 でもダメです、という感じでなく、暗くて寒くなるし、水もないのでは危険ですよ、という気遣いの勧告だった。こんなに優しく言われると、行けばこの方々に迷惑かけそうで悪いなあ、という思いにもなってきた。


 でも私は、まだ少し余力があった。完走は無理でも、できれば自己最長(73km)よりも長い距離をこのチャンスに走っておきたかった。
 そこで「距離を延ばしたいので、このまま木賊温泉の山道を走らず、往路の県道を行ってゴールしてもいいか」と聞いてみた。すると、「そういう人も前に居ますし、県道なら路線バスもあるので、それでもいいですよ」との事。
 「そうしませんか?」と同じく迷っている隣の男性をお誘いすると、その方は「規定のコースを外れ、距離を延ばすだけなら自分には意味が無い」とおっしゃる。
 はあ、それもそうだなあ、と思った時、道路の向こう側を走って木賊温泉に向かう男性が見えた。(一人じゃないなら行けるかも!)迷っているより走ろう!


 すぐさま、走り出した。つまり、私はリタイヤ勧告を振り切って、木賊温泉に行ってしまった訳です。本当にすいませ〜〜ん。

 県道から右折すると、すぐ上り坂になった。必死に走って、前の男性に追いつき、すぐさま交渉。「もうこの先はエイドが無く、リタイヤしても収容車はなく自己責任だそうです。私はリタイヤ時にはタクシーを呼ぶつもりです。でも、山道で熊が怖いので、行ける所まで後ろから付いて行ってもいいですか?」と。すると彼は「僕は平らになったら走りますけど」とやや難色を示されたので、勿論結構ですと伝える。二人で坂を歩き出す。

 しばらくすると、後ろからすーっと車が来た。窓から顔を出した殿方が、「もうエイド閉まってるけど、木賊温泉の先のログハウスでバーべキューしてるから、どうせなら頑張ってそこまでおいでよ〜」とおっしゃっる。ログハウスの御当主のようだ。
 二人ともログハウスまで行けば何とかなるかも、という思いになり、黙々と歩く。

 又、しばらく経つとバイクの青年がやってきて、「もうエイドが閉まっているので、とりあえずこれを」と言って、レモンとお茶を我々に1本下さった。私は自分の食料は背負っていたので、「食料も持ってますし、あとは自己責任で対応しますから」とこの先も進む意向を示した。

 65km付近で前に歩く若者を発見。これで3人旅となる。私はザックからお団子(3本パック)を出し、3人で歩きながら食べた。左下の見通川は段々と渓谷が深くなり、見上げると対岸の上部に山を削って通るトンネルに続く道が見えた。あんな所まで登るのかとため息が出た。三人で黙々と歩く。

 かなり歩いて時間をロスしている。コースと到着予定時刻表を(エクセルで作った)ポケットから出してみると、1時間は遅れていた。私は、完走は無理でもなるべく距離を延ばしたい、できればログハウスまでは何としても行き、83.5kmを自己最長記録にしたいと思っていた。
 上空はまだ青かったが、深い谷には夕闇が迫っていた。



  ★第12エイド(66.5km)岩茸橋の上 標高1200m

 見通川を渡る。ここは舗装されているが山道で、16時終了なのでエイドの形跡は全くなかった。ここで若者が「足がダメなので先に行って下さい」との事で、又二人で坂道を歩き始めた。
 この男性はお話ぶりが穏やかでほんわかとしたムードを持っておられた。以前に100kmも完走なさっておられるとか。まず、このホンワカさんのお陰で、一人旅にならず薄暗くなった夜道も心強かった。「ちょっと休みますか」と貰ったお茶を私に分けて下さり、お団子のお礼なのか、干し杏を頂く。意外に酸っぱくて活力となる。

 やっと小繋トンネルが見えた。峠を越えると道が下り坂になったので走り出す。するとトンネル内で又バイク青年が追ってきた。「買ってきました!どれいいですか?」と前バックを開ける。数種のペットボトルの中から水と板チョコも頂く。もしかして自腹を切っての差し入れかと心配になる。きっと岩茸橋のエイドが閉まっていたので、我々を気遣って水とエネルギー源をとのご配慮だろう。勧告を振り切っての決行だったので、何とも申し訳なかったが、実に有難かった。「ここまで来たのだからゴールしてくださいね!!みんな待ってますよ」とエールを残しバイク青年が去る。今想いだしても涙が出そうになる。

 4時51分が日没だったので、5時半前にはLEDヘッドランプを出した。同行のホンワカさんの懐電は少し元気が無かったので、私は後ろから走って彼を照らした(つもり)。70kmで5時だったと思う。暗くなって寒くなったので、薄手のフリースを着る。ずっと山間の舗装の下りみち。

 ★第13エイド(72.3km)道路脇駐車スペース 標高1350m 走路の右側

 小繋トンネル(標高1440m)から3〜4km下った道の脇に、明かりがゆれて声援が聞こえる。若い男女のサポート隊で、暗い中でも熱気があり華やいでいる。ここは5時でエイド終了のはず。かなり過ぎたが待っていてくれた。あのバイク青年の連絡で判っていたのか、おにぎりも「ちゃんと残してましたから」と4つあった。我々の後ろに2人いたのかも。ありがたく一つ頂き、バイク青年から貰ったお茶でそれを流し込んだ。お茶が美味しかった。

 エイドから下はくねくねとした道が続き、山から月が出た。ぼんやりだったが、もし電池が切れても月明かりで大丈夫かもと少しホッとする。

  ★第14エイド(77.3km)木賊温泉平野物産前 標高800m走路の右側

 温泉手前の分岐から1km程で、とくさ温泉到着。このエイドは18時で終了で、時刻は過ぎていたと思うが、多くのスタッフが待機していた。トイレに寄る。どうも私の場合、おにぎり+水分=お腹が下る、ようだ。(ここは靴を脱ぐトイレなので手間取った)トイレから出ると、何とホンワカさんが待っていてくれた。
 急いで出発しようとすると、ボランティアの若い女性が、「これは佐藤商店さんのご好意でブービー(最下位から2番目)賞のお二人にプレゼントだそうです」と高級蜂蜜を手渡してくれた。凄いご褒美!と二人とも重さは気にせずザックに入れた。


 ホンワカさんの情報では、ログハウスのエイド迄 あと6.2kmで、到着が17時過ぎるともう回収車が来ないかもしれないとの事。私が「行ってダメだったらタクシーを呼びましょう」と言うと、エイドの方が「ここはタクシーなんか来ないよ」と。あらら、そうだったの〜。こりゃ、県道まで走るしかない。ホンワカさんはログハウス迄は走りますとおっしゃり、又二人でエイドを出発した。

 そのうち彼が、肩が痛いと言って数m遅れて走った。たぶん瓶詰の蜂蜜の重み(600g位か)がザックの紐に食い込んできたのだろう。私も紐ザックではなかったが、重さに耐えかねて、ザックから出し、手に持って走った。折角のご好意を無駄にはできない。でも、重い。

 

  ★第15エイド(83.5km)河村邸ログハウス 標高680m走路の右側

 午後7時は少し過ぎていたと思うが、焚き火のあるログハウスに到着。一緒に到着したホンワカさんはここで終わりを告げた。彼はお宿が大桃の民宿で、そこはゴール地点から11.5kmの第2エイドがあった場所。「電話すれば宿で迎えに来てくれるが、ゴールがあんまり遅いと迷惑かけてしまうので。」との気遣いの末の決断だったみたい。幸い少し待てば、最終便の収容車が来てくれるらしい。
 私は彼にはお世話になったし、佐藤商店さんのご好意を無駄にしないで済むので、彼に蜂蜜を渡した。「有難く頂きます」と彼は静かに言った。ごめんね、私は先に行きます・・・。


 まだ気力はあった。83kmは自己最高なので、あと17kmとなれば、できればもっとゴールに近づきたかった。行ける所まで行こう。県道に出れば、何とかなるはず。
 その前に腹ごしらえ。ザックから好物のプリンを出して食べる。夜目にも美しい奥様が、色々と食べ物をすすめ、バナナをラップに包んで下さった。河村邸は、お昼から夜7時までランナーのお世話で休む暇もなかったことだろう。


 そこへ最後のランナーとおぼしき殿方が到着。なんとリタイアを申告。後ろにいたはずの青年もトイレの間に追い越して言ったそうで、ここで完全に私が最後のランナーとなる
 
ご迷惑でしょうが、9時までは、行ける所まで行きます。ザックを背負って立ち上がると「熊に気をつけてね〜」と拍手で送られる。(熊も出るのか・・トホホ)

 走りだすと、何とうしろの車もゆっくり走り出す。最後のランナーの伴走車だった。まだ山間地で人家は無いし、夜道だし、熊も居るしで、車のライトで背後から照らされた道路を走らせて貰えるのには、正直ホッとした
 車を伴って最後尾を走るのは4年ぶりだったが、マラソンを始めたばかりの頃は何回か経験済みなので、恥ずかしいという気持ちは全くなかった。今回は殊に安全が確保されたので、ただひたすらに有難かった。走らせてもらって幸せ〜〜と、心から嬉しかった。


 とはいえ、2時間弱で残り17kmはきつい。後半の1kmの辛さは判っている。疲れた頭での計算では数分オーバーするが下り坂だし行けそうだ、と思った。この勘違いが私に諦めることをさせず、幸いした。ともかく走ることのみに集中。

 「左に曲がってくださ〜い、もうすぐエイドですよ〜、道路の向こう側に渡ってくださ〜い・・・」とその度に的確な車からのマイクの声。エールに励まされながらひたすら走る。

 ★第16エイド(88.6km)内山生活改善センター 標高608m走路の右側

 エイドは若者チームだった。暖かいレモンティーを出してくださり、それが凄く美味しかった。ログハウスの奥さんのバナナをここで食べる。時計はもう見なくなっていた。ただ時間が無いことだけは判っていた。「あと何キロですか」と聞くと「11kmですよ、頑張って!」との声援。ここまで来たら、もうやめられない。行くしかない。

 しかしここからが本当の試練だった。道が平坦になってきたからだ。でも川上から川下に走っているので、少しは下りだ、と思い込んで走る。「○○さん、いいペースですよ」と車からの声援にも押される。
 県道に出たので
他の車もまばらに通る。背後から右側をのろのろ走る人をライトアップしながら運転するのは、難儀だったと思う。何か別の照明器具があったのだろうか。

 浜野ロックシェットを過ぎ、橋を渡る。町の明かりはまだ遠い。足は鉛のように重い。疲れてきて、時折道脇のガードレールなどを利用して足と腰のストレッチをする。「だいじょうぶですか〜」と気遣いのエール。若い男性の声がとても暖かい。ともかく早くゴールしなくては。この人達を遅くまで拘束できない。
 やっと街中に入ってきた。一人の奥さんが寒いのに道脇で声援を送ってくれている。「遅くまで有難うございま〜す」車からの声。そう、本当に恐縮です。


 一段と明るい場所に来た。ゴールの小学校だ。8時40分位だったと思う。丁度ゴールしたランナーを祝福する声がスピーカーから聞こえる。早く行きたいと思うが、あと5kmはあるはず。この分では時間内完走は無理。15分はオーバーだ。でも、行く。必ず、あそこまで。コースは小学校を通り過ぎて町外れまで行き、橋を渡って対岸を回ってから、小学校に戻るのだった。


  ★第17エイド(95.8km)道城公民館 標高550m 走路の左側

 やっと最後のエイドに到着。8時半の撤収時間は過ぎていたが、年配の殿方が待っていて下さった。コーラを頂き少し気分転換する。「遅くまですいません、有難うございます」と言って又すぐ走り出す。ここから残り4.2kmが長かった。なかなか渡るはずの橋にたどり着かない。

 やっと橋を渡りきった頃に制限時刻の9時になってしまった。しかし車からはここで辞めて下さいとのコールはない。そのまま私を照らし伴走を続けて下さったのだ。道脇の民家方々も拍手と頑張って〜の声援。有難うと言いたくても声が届かないので、思わず帽子を取って最敬礼。「又来てね〜」と言われる。9時を回っても沿道の声援は尚も続く。

 車からの指示で舗装道路から山手の砂利道に入るとあと2kmの表示。
この砂利道でとたんに速度が落ちる。もう少しなので我慢。街灯がない寂しい道に所々に灯篭がともり順路が示されていた。ランナーも大変な夜道だが、このライトの設置作業も大変だったと思う。でも私はナビとライト付きなので、走るだけでよかった。
 おまけに、「もうすぐ砂利道はおわりですよ〜」とか「○○さん、大銀杏見えましたよ〜頑張って〜〜」と車からの声に、ずっと励まし続けられていた。少し涙が出た。ここまで来れたのは夢のようだ!4年越しの夢の100kmが達成できる!しあわせ〜〜!

 舗装道の走り易さを改めて感じながら、最後の橋を渡る。今日一日何度この伊南川を渡った事だろう。あれっ?橋で前を歩くランナーを発見。
 そして、もうゴールまで僅かという所で、同宿のDさんの姿が!何と、宿に戻らないのは私だけで、最後のランナーが女性と聞き、もしやと思って寒い中待っていたとの
事。いやあ、嬉しかった。

  ★伊南小学校ゴール地点(100km 標高550m

 ほぼ前のランナーと同時に大銀杏に到着。9:20頃ゴール。暗くて顔がよく見えなかったが、たぶんお団子を一緒に食べた若者かなあ、と思う。足がダメといっていたのに復活して100kmに到達したのだ。

 制限時刻を過ぎたゴールでは撤収が始まっていて、ゴールテープは無かったが、バナナを頂き、海宝さんがご苦労さんのハグをしてくれた。もう充分満足です。皆さん本当に有難う!達成感、感謝、感動。

 ところで・・・あれ?伴走車はどこ?ログハウスからずっと道案内をし、足元を照らし、応援頂いた方々だ。殊に9時を回っても最後まで走ることを許して下さった事への御礼は何としても言いたい、と思ったが見つけられなかった。一番お世話になったのに・・・。(夜遅くまでご迷惑お掛けしスイマセン、そして有難うございました)後半粘れたのは、伴走車のお陰でした。

 幸せ一杯で歩いて宿に戻る。ゴール手前の数百mを伴走して下さったDさんが、ゴールで返却された中間点の荷物を持って下さった。宿までは近いとはいえ、デポ食糧が5kg余あったので有難かった。Aさんも疲れた体で出迎えに駆けつけてくれた。

 宿に着くと先輩の皆さんに「おめでとう」を言われ又嬉しさがこみあげた。Fさんはじめ皆さんウルトラの常連さんなので、余裕で到着していたのでした。

 部屋でどっかと腰をおろし、ゴールした興奮から冷めると、胃がむかむかして来た。こりゃまずい。人に迷惑掛けずに何とか自力で対処しなくては。宿では夕飯もちゃんと用意してくれていたが、食べない旨を告げ、お膳は下げて頂く。
 体を引きずるようにしてやっとの思いで風呂から上がる。布団に体を横たえるが、気持ちが悪くて眠るどころではない。トイレで少し吐いて胃薬と睡眠薬を飲んだ。しばらくしてやっと落ち着き、眠りにつく。
 こうして朝2:50〜夜11:30頃、長い一日が終わったのでした。

 幸い、翌朝には体調も食欲も戻った。
 8時半過ぎに宿を発とうとすると、宿の前をボランティアの方々が軽トラで通りかかった。旗や道案内の用具などの撤収作業中だったのだ。見覚えのある面々。本当にお世話になりました。最後まで感謝感謝の良い大会でした。これで当分は、幸せ気分に浸って元気に過ごせそうです。
 Fさんの運転で、午後早い時刻に仙台に到着しました。


    ※練習期間 約4ヶ月、 練習距離 499km、
     記録 100km 16時間20分位(プライベートタイム)制限時間内完走はならず

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★伊南川を終えて
  
 足腰のダメージは、1週間程で治った。特に痛めた箇所も無かった。2月からずっと通い続けた整骨院の先生方の治療とアドバイスのお陰。
 4年越しの100km完走の夢が達成できたのは、沢山の人の助けがあったから。その他にも色々と偶然が重なっての事。少ない努力で人頼みの目標達成は褒められたものではない。距離はもうこれが限界かとも思うが、走る事は好きなので、自分の体や気力と相談して、走ることは続けようと思っています。

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   ※練習期間 約6ヶ月で、練習距離 たったの527km(歩きも含む)
     記録  16:22:00(プライベートタイム) 制限時間16時間


                     

     ●いわて銀河100qチャレンジマラソン 第6回


         2010.6.13(日) 参加費:100` 12000円
         参加賞:Tシャツスポーツゼリー・食券その他色々
         エイド:(前半13箇所だけ体験)
    
   水とスポーツ飲料、バナナ、パン、飴、梅干、チョコ、氷砂糖、塩、飴 
      ゼリー、レモン、オレンジ、リンゴ、ネタ無しの握り寿司、漬物、等
      高下集落でコーラ、ビスケットのてんぷら、味噌汁、ゆでアスパラマヨ付
      ※実際にはもっと種類があるが、遅い人は品切れになって食べれない

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 2009年12月20日以来、右中殿筋の痛みで、東北ブロックマラソンも10Kでリタイヤ。1月は全く走れず。2月から2週間の整骨院通いで、痛みが治まり、3月から走るも、4月中旬に両内転筋の痛みで、10回の鍼灸院通い。やっと痛みが引いたのが、大会直前の3週間前。僅かに走っただけで、1週間前に右殿筋の痛みが再発。

 2010年の上期は、故障と治療の繰り返しだった。原因は、体が硬くて柔軟性がない上に、殆んど走る前後のストレッチや筋トレをしないで走っていた事。又長い年月の生活習慣で、骨盤がゆがんだまま走った為に、股関節やそけい部周辺の筋肉に負担がかかり痛みが生じた、という事らしい。

 大会前日には臀部に鍼、腰にテーピングをして貰っての参加。ここ一ヶ月で最長走ったのが15km。とほほのほ。これじゃあ、参加する事に異議はあっても意義は無し。家族はあきれ果て、バカにつける薬はないという面持ち。「無理すんなよ」と夫の一言。

 本当に自分でもバカをしている、と思う。鍼灸院は保険がきかないので、大変な散財をした。走るのを止めれば、済む事なのに。すまない。しおらしく、「すいません、行ってきます」と答える。

 新幹線で北上に午後3時32分に到着。急いで駅前のホテルにチェックインして、4時発車のバスで前夜祭会場へ。もうお開きに近い時間帯に到着したが、それでも何とか走友会の方々と挨拶だけは交わすことが出来た。ホッとする。皆さんの頑張ってらっしゃる姿を見ると、元気が貰えた。

 朝食と土産の買い物をし、駅前の北上観光物産館の地下で、親子丼とラーメンセット500円也で、夕食を済ます。ホテルのロビーで、同宿の方々と楽しいコーヒータイム。6時過ぎに、明日の仕度にかかる。これがいつも時間がかかる。お風呂とテーピングを済ませて、横になったのが8時20分。(来年は5時に部屋に戻ればいいかも)

 10時ごろには眠りに付いたと思うが、1時40分に起床。それからせわしく仕度をして、顔に厚塗りして、2時45分にロビーへ集合。皆さんを待たせたみたい。すいません。土産をヤマト便でフロントに。ホテル手配等のお世話役のB子さん、有難う。

 暗い競技場に3時15分到着。皆さんと合流。グランドホテルご一行様は、今回も屋内で眠れたようで、良かったですね。写真などを撮って頂き、トイレを済ませ、スタート地点へ。(今年は66kmまで行けないと判断し、高下への荷物は預けなかった。)

 朝4時スタート。朝霧の中を走り出す。お久しぶりのA子さんとずっと近況報告しながら走る。10kmを5時10分通過、20kmを6時20分。目標だった20kmまで走れて最高に嬉しい。A子さんにはしゃべり疲れさせてしまったかも。遅い私に付き合って(その他色々お気使い)下さりどーも有難う。

 横川目のサンクスに寄り、恒例のプリンを食べて、ここから一人となる。鍼やテーピングをした殿筋はまだ痛くなかったが、次第に右の足首が痛くなってきた。練習してないからやっぱり最初は足に来るんだな。30kmを7時45分に通過。予定より早いが、息が上がってきて、辛くなってきた

 30km過ぎから、無理しないで35kmまで行って終わりにしようかな、どこでリタイヤしようかな、とマイナス思考に陥りはじめる。そんな時に、走友会のCさんと出会う。正直嬉しかった。この方について行けば、もう少し走れるかも。Cさんに懇願して、(無理やり)一緒に走らせて頂く

 Cさんは足を痛めていても、きっちりと同じペースを刻んで走る方だった。私は、辛かったペースを一段下にギアチェンジしてから、楽になり元気が出てきた。もうダメだ気分が、もっと長く走れるかも、と思えるようになった。こんな事は初めて。

 Cさんとは33〜37k位までご一緒して頂いた。志戸平からじわじわと登りになった所で、「大丈夫だからそのペースで、先に走ってみなよ」とCさんにお尻を押される。少し不安もあったが、並走もご迷惑かと思い、思い切ってお先に。Cさんお世話になりました。

 少し走ると、Dさんと出会う。Dさんも足の故障のようです。何度か前後しながら走り、お話もできてとても気分が紛れました。大沢温泉の最後のお店でオレンジゼリーを食べているうちにはぐれる。

 40kmを9時15分通過。これでも予想よりは早い。治療中の殿筋の痛みは無く、足首の痛みだけ。こんなに走れるとは思ってなかったので、鼻歌が出るくらい幸せな気分。中間地点の第一関門まで行きたい

 ダム下のエイド(44.2km)に来る。ご飯は品切れだったが、暖かいサイダーと空のペットボトルを頂く。中に水を入れ、持って走った。日が照ってきたし、もう自販機はない。飲み物なしにエイド間の5kmを走るのは厳しいと思ったからだ。
 これは、案外自分の心の支えとなった。途中で「スイマセンが水をもらえますか?」という女性がいて、ボトルの水を分けて飲んだ。私は役に立ててとても嬉しかった。

 又、ダムの下から、前後して走る中年男性がいた。私が抜くたびに、「抜かれると我にかえるんです」と言って走り出すが、また歩くので私が抜くという感じ。群馬から初めての出場とか。私はまだのろのろでも走れていて、余裕もあったので、コースの説明をしたりした。一人じゃないって素敵なことね〜♪ おしゃべりのおかげで、ダム下からダム湖畔にある第一関門までの約5kmが短く感じた。

 関門は10時40分無事通過。腰の痛みにおびえ、スタート時にはとても無理と思っていた50kmまで来た。こうなったら高下まで行きたい。腹応えのある食べ物が品切れだったので、ゼリーを5個位頂く。かぶり水も毎回使い、頭や首だけでなく、長袖の腕部にもかけた。気化熱でけっこう涼しく感じた。

 だが、この先には、去年歩いてしまったトンネル前の坂がある。坂の手前で、M井さんご推薦のユンケルを飲む坂対策として詰め替えて大事に持ってきたものだ。去年の轍を踏まぬよう、ここの坂はいつものナスパの坂と同じ位の距離で大した事ないのだ、と頭に指令を出す。ユンケルも飲んだし、大丈夫、走れる!と思い込む。

 この頃には、かなり気温も上昇していて、私以外の人は皆歩いていた。途中の道脇で、横になって休んでいる女性もいた。次のエイドで係の方に報告しよう、と思ったがストンと忘れた。私は歩くのと変わらない早さだが、それでも歩かずになんとか走った。嬉しかった。

 去年よりは早くトンネルの入口が見えてきた。去年と同様に、トンネル手前のトイレに寄る。群馬の男性が「やっと追いついた!」とにこにこしてやってきた。私は「トンネルの先は下り坂で、トンネルで涼んで気分転換して去年は元気に走れた」などと話をした。その方は気分転換できたようで、出口付近から走り去った。私は、練習不足の足の痛みがますます酷くなってきた。

 トンネル出口が57.5kmのエイドだった。予定より30分遅れの12時10分到着。なんとテントにE子さんF子さんがいらして、ここで大事をとってリタイヤします、との事。わたしも、あとで足の痛みが長引くのは嫌だな、と思って迷ったが、先に行くことにした。下りだし、何とかもう少しだけ行けそうな気がしたから。

 が、下りは足に響き、4.4km先の第12エイドまで走るのがやっとだった。エイドでは、やっと本日初の寿司飯にありついた。持ってきたフリカケを掛けて食べ、後から来た方にも好評だった。どこから寿司飯があったのか確認しないが大沢温泉からは既に品切れだったと思う。山中でご飯がないのはちょっと精神的に堪えた。(コンビニでもっと買い食いをしておけば良かった)

 このエイドで12時45分になっていた。足が痛くてもう走れそうにもない。13時40分が高下の第二関門タイムだ。5km(実際は4.6km)と思っていたので、この足では無理と思い、早々に諦めた。治療中の腰は何ともなかったが、足が耐えられないのだ。もうこれ以上痛い所を増やしたくなかった。でも、時間までは歩こう。

 足は痛かったが、歩いた林の中は、とても気持ちが良かった。黄色いキンポウゲのような花やルリソウに似た青い可憐な花、白いムシカリが咲き、太いフキが、誰にも採取されずわんさか茂っていた。ここまで到達できて、とても満足していたし、すごく楽しめた。こんな贅沢で幸せな時間が日常にあるだろうか家族に感謝した。

 県道に出る前に、去年も出ていた美味しいお水の私設のエイドがある。いつもありがとう。お祖父ちゃんとお孫さんとおぼしき女の子に、「本当に美味しい水ですね。」とお礼を言う。写真の撮影ポイントも通過。
 高下集落手前には、和賀岳の登山口があり、走路から左手奥に見える、雪を残した山並みの清清しさは、疲れた体も癒されるようでした。

 たぶん、66.5kmkmの高下の関門の1km手前位で、13時40分になってしまった。途中で水を分けて飲んだ女性が、「過ぎてしまったけど」と笑顔で走っていった。そうだ、最後は私も走ろうと思い、最後は少し走った。高下のテントが見えてきた。
 13時50分。タイムオーバーで関門不通過ですが、到達だけはできました。めでたし、66.5km故障中の割には頑張れました

 エイドのテントには、まだ残っていたアスパラのマヨネーズ添え、味噌汁、揚げたビスケットとか、コーラとか、バナナ等残っていたものを沢山頂く。けっこう、お腹が空いていたのだ。時間が過ぎていたので、片付けの時間となり、リタイヤ組はバスに乗り込む。

 間もなく出発し、次の関門目指して走っている人を見ながらの走行。最後に歩いた私を追い抜いていた数人が、73.3kmの銀河ホテルを目指して走っている。時間的にはもう厳しいが、頑張っている姿が少しだけ羨ましかった

 バスは、銀河ホテルを経由後、予想に反してランナーのコースを走った。トンネルの手前でB子さん、Gさん、Hさん、Iさんの走る姿を確認、Jさんは賢治ワールドのエイドでお見かけした。ああ〜凄いな〜。みなさん、苦しい最後の20kmを頑張っていらっしゃった。朱色のウエアに心の中でエールを送った。(皆さん、完走を果たしたようです。)

 ゴールの雫石体育館に3時少し前に到着。今回はバス酔や貧血もなく、足も何とか大丈夫だった。シャワーを浴び、給食所に行くと、先に到着していた皆さんとの再会。やっぱりホッとする。

 特に、30km付近で潰れそうになっていた私を立ち直らせてくれた救世主のCさんには、何度お礼を言っても足りない位だった。ギアチェンジを意識的に早めにする貴重な経験をさせて頂き、有難うございました。

 その後、M井さんのゴールに立ち合えたあと、17時に予約したタクシーで(820円)雫石駅へ。17:22発のこまち号も指定席の空席があり、運良く乗れました。こまちは、盛岡の次がノンストップで、18時25分に仙台着。自宅には7時10分に到着。
 家族にはどこも痛くないかのように、にこやかにふるまい、その日のうちに洗濯も干せて、これまた満足でした。

 今回は、故障のおかげで、自分の体を見直すいいきっかけになりました。治りたい一心で、半年で8ヶ所も治療院を転々とした為、自分の環境や痛みに適した治療院を探せた。又走っていて痛めそうな予感もつかめたし、何より休養も練習のうち、という事が判った。整骨院で教わった故障予防のストレッチも筋トレもするようになる。以前は自分は案外丈夫と思っていたので、準備運動すらしなかったのでした。

 それから不謹慎だが、練習不足でも、ある程度迄は走れるって事も今回体験した。いや、これは鍼灸院での針とテーピングで、運良くたまたま走れただけかも。やっぱり足が出来てない状態で走れば、足がまず痛む事を思い知るべきですね。早く(でもあせらず)足腰の痛みを治して、又走りたいと思っています。

 ※練習期間 約6ヶ月で、練習距離 たったの527km(歩きも含む)
    記録 66.5kmリタイヤ  9:50:00(プライベートタイム)


                       

       ●野馬追の里健康マラソン大会 第23回

        2009.12.6(日) 参加費:ハーフ 2500円
        参加賞:スポーツタオル豚汁ヤクルト
            給水所:(4箇所)水・スポーツドリンク・スポンジ

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  6時45分にBさん号に便乗。約1時間半位?で、雲雀ヶ原陸上競技場に到着。初めて来ましたが、なかなか広々とした競馬場?でした。野馬追い祭りの会場のようです。白毛と栗毛二頭の馬に鎧兜の武者が股がって居ました。

 早速ゼッケンをもらいに行くと、ゼッケン番号の抽選がある。同行の方2名に漬物が当たったが、私は外れたので、走る前に土産物のテントでゆべしや漬物をお土産に購入した。少し腹ごしらえもする。次に走る仕度にかかる。

 寒いと思って厚着をしていったが、晴れで気温も高かったので、皆さんのご意見を参考に、長袖1枚に。いつもと勝手が違ったのは、計測チップが厚紙で、穴4つをビニタイ2本で通し靴紐に結ぶ というタイプだった事。割と簡単でした。

 10時。軽い準備体操のみでスタート。風も無く澄んだ青空で、師走というのに、給水所のスポンジで頭を冷やしても寒くなく、気持ちいいと感じる気温でした。

 時折ある集落での声援も暖かい。ロケーションも良く、暖かな太平洋沿いの山里の風情は、走っていてとても心が和んだ。
 コースは、おおまかに言えば、台地から川沿いの田園地帯に下って、川の下流から上流を廻り、最後に登り返して台地でゴール、というコースでした。

 6分位のペースで5Kまで。最初早過ぎたので段々ゆっくりになる。呑気に行ってしまっても良かったけれど、18キロ地点で2時間10分の関門があるので、6キロ付近から少しピッチを上げる。後半のペースの落ち込みも心配になるが、行ける所まで行こうと思う。少し息が苦しい位のペースの維持を心がけた。

 ハーフといってもそれなりに長く感じる。田園を流れる川を右に見ながら上流に向かって走る。山地が迫ってくると、谷間に架かる橋を渡って周り込み、今度は下流に向かって走る。見通しのいい長〜い下りのあとの(関門手前の急な上り坂!これがきつかった。
 でも坂の上で、係の方が、「もうここで坂は終わりだよ、頑張って、もう少し!」と教えて下さったので、元気付けられた。あとの3kmは、がまん。ゴール間際の仲間の声援が嬉しい

 2時間15分でゴール。でも、後半の急激なペースダウンはなかったので、私にしては上出来でした。というより張りきり過ぎて、この時から中殿筋を痛め、果てないスランプに突入したのでした。

 後日郵送された完走者記録集によると、エントリー数2918名、当日完走者2368名、AM8:30 晴れ・12℃・湿度88%・西の風・風速1.2m/sだったそうです。沿道の声援が暖かくて、いい大会でした。

 帰りに鹿狼山に寄り道をして貰い、帰路につきました。




                       
        ●阿武隈リバーサイドマラソン 第22回

         2009.11.1(日) 参加費:ハーフ 2500円
        参加賞:Tシャツ(今年は黒地)豚汁
            給水所:(6箇所)水(一箇所スポーツドリンクあり)
            バナナ、チョコ、梅干、他

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 家を7時30分に出発。今日はAさんと同行。約45分で角田市総合体育館に到着。昨年アンケートに書いたからか、地場産品の売店が充実している。特産のりんご、梅干、カリン、漬物、ゴボウ、だんご、餡餅、ゆべし、納豆、フランクフルト、コロッケ、浜焼き、クッキー、ポン菓子、等など色々あった。野菜も欲しかったけれど、昨年より品数が多く、夕飯の買い物も出来て私は助かりました。

 ところで、角田市は目下インフルエンザが流行っているとか。最初は人ごみの館内を避け、外の芝生に陣取ったが、雲行きが怪しくなってきたので、体育館内の通路に移動した。館内には手洗いの消毒液も置いてある。
 身支度をしながら、今年から計測のチップがゼッケンに貼ってあるタイプになり、便利になったと感じた。

 又、今年から、ハーフの制限時間が緩和され、12.5kmを1時間半、16kmを1時間50分で通過すれば良くなり、参加し易くなった。でも、キロ7分で走らないと2時間30分のゴールの時間アウトになる。10時スタート。

 最初のトラック内から、早くも息切れ。周りにつられ6分位のペース。関門が緩くなったとはいえ、やっぱり私には厳しいレース。日が照ってきて暑くなったので、頭を冷やして脳疲労を軽減しようと、2回目の給水所がらは、頭に水を掛けた。

 5Kで30分、10kmで62分、第一関門の12.5kmが1時間18分だった。「あと何分ありますか?」と関門の係の人に聞いたら、時計係でなかったのか判らない様子。でも、静止されなかったので通過した。

 4番目の給水所にきた。何と去年まで無かった食べ物があった!!小さいバナナもある。お腹も減ってきていたので、頂きましたよ、しっかり。想定外だったので、このサービスには救われた思い。
 バナナのあと欲張ってチョコを2つ取って走りながら食べたら、少し気持ち悪くなってきた。かなり疲労してきているのだろう。その他の給水所は水のみだったので、ポケットに飴もあったが水だけ飲んだ。

 やっと第2関門の枝野橋に来た。16km通過が1時間44分だった。去年は関門時間の設定が1時間36分なので、ここでリタイヤだったはずだが、関門時間が1時間50分になったので、時間の余裕があっての通過となった。

 でも かなり疲れてきて、ここから安心してゆっくりペースになってしまった。前に見えていたAさんの姿がどんどん小さくなっていった。
 が、何とか歩かずには済んだ。前を走っていたので目標にしていた75歳の殿方と最終給水所で並んだので、ここからやや気力が回復。土手に上がると体育館が見え、東から少し風もあって、気持ちよく感じた。

 運動公園内に入る。あと1km弱だ、と思うと気が楽になる。競技場の近くで、走友会の方々から応援を受け、恥ずかしかったが、元気を頂き、ラストスパートできた(つもり)。ゴールが2時間18分57秒でした。ゴールでAさんやBさんから言葉を掛けていただき、感謝感謝。

 シャワーを浴び、豚汁をかなり遅くなってから貰いに行った。でも今年は豚汁は豊富に作ったらしく、「お代わりできますよ」との事。数年前は、せっかく完走しても遅い人は豚汁が品切れで、食べれない事も数回あったが、今回はOK!でした。昨年アンケートに書いた事が生かされていて、今回はとても満足でした。
 流石に疲れて豚汁のお代わりには手が出ませんでしたが、関係者の皆様、ボランティアスタッフの方々、どうもお世話になりました。

 体育館の外のテントの地場産品売り場で、揚げたてコロッケ、納豆、漬物、お菓子などを買い、疲れたので車で少し横になってから、家路につきました。風邪気味で練習不足だったので、きつかったけれど、何とか気力が途切れず時間内に完走できたのは、やっぱり仲間の存在。皆様、有難うございました。
 
                      



        ●いわて銀河100qチャレンジマラソン 第5回


         2009.6.14(日) 参加費:100` 12000円
         参加賞:Tシャツスポーツドリンク・食券
         エイド:(前半16箇所だけ体験)
    
   水とスポーツ飲料、バナナ、パン、飴、梅干、チョコ、氷砂糖、塩、飴 
      レモン、オレンジ、ネタ無しの握り寿司、漬物、ほうじ茶 等

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 6月13日(土)昼過ぎ、A子さんと仙台から新幹線で北上へ。今年は改札を右に出たので西口駅前にすんなり到着。徒歩5分でホテルに到着。身支度をして、2時半発の前夜祭行きのバス停に向かう。

駅前には、バスを待つ行列が出来ていた。昨年より参加者が多いせいかも。(昨年555人→今年865人エントリー)2時半のバスには乗り切れず、3時過ぎのバスで前夜祭会場へ。ゼッケンを貰い、立食パーティ会場で走友会の皆さんと合流
 

 乾杯するとすぐに、テーブルの軽食はランナーのお腹におさまる。(軽食だけでは足りず、帰りに駅前で牛丼を食べた)お酒も入って、楽しいひとときとなる。前夜祭の抽選会で、私は昨年の前沢牛に続き、菓子が当たり、びっくり。この大会は付いてるけど、運をここで使い果たしたかも・・・。

 送迎バスと徒歩でホテル(くさのイン北上)に戻る。建物は古いが、設備等サービスは◎でした。朝食無し4800円。ただ、大浴場が男性のみ、というのがちょっとがっかり。でもかえって部屋のお風呂の方が時間も短縮でき、くつろげたかも。7時半に床につき、9時ごろに眠った。

 夜中1時半起床。荷物の整理やテーピングは寝る前に済ませていたが、待ち合わせたチェックアウトの2時40分にギリギリ。お土産や不要の荷物を、フロントにてヤマト便で送る。北上駅から3時発の送迎バスに乗り、15分弱でスタート地点の運動公園へ到着。

 レスト行きとゴール行き二つの荷物を預ける。出発前に記念撮影や、準備運動の時間も充分あった。100kmの女子は85人いたが、女子トイレは混雑することはなかった。
 
監督のMさんから、遠慮して最後尾からからスタートしないように、とのご忠告があったので、皆さんと同じ場所に混ぜて頂く。何だか楽しいなあ〜と思っているうちに朝4時スタート。曇りで涼しく、快適だ。良い姿勢だけ心がけて走る。諦めないで行ける所まで行こう。今年は銀河ホテル迄は距離を延ばしたい。

 制限時間14時間は840分だから、1kmを平均8分で走り、40分の休憩時間で時間内完走!最初は7分半位で、最後は8分半でゴール!と計画だけはしっかりたてていた。(ゼッケンの裏に関門通過時刻票を貼り付けした)
 10Kmが1時間10分。20kmが2時間26分。ここまでは順調。

 20キロ過ぎてからの横川目のサンクスでプリンを購入。食べられるうちに早めに食べておくようにとのKさんのアドバイスがもっともだと思ったからだ。あらかじめサンクスカードとファミマやローソンで使えるクオカードも小銭と一緒に用意。(小銭は自動販売機用)荷物は、この他 ちり紙・薬品・バンドエイドをズボンのポケットに。(ポシェットは、後半擦れてお腹が痛くなるのでやめた)

 プリンを食べているうちに、一緒だったA子さんと離れ一人旅となる。ここからなめとこライン入口の35キロまでが長く感じた。長いはずだ。15kmもある。去年はわりとすぐだったような気がしたが、記憶とはあいまいなものだ。最初だから前の人の背中を見て、夢中で走っていたのだ。

 今回は、夏油温泉の入口や、高村光太郎記念館の看板を、初めて認識した。智恵子を失った晩年の光太郎は、この山や空をどんな思いで仰いだことだろう、な〜んて想いは一瞬で、あの光る森の向こうがなめとこ・・・だったらいいな〜と思いながら走っていた。(記念館看板から3km)

 やっと信号機と、見覚えのあるコンビニが見えた。横断歩道を渡るとファミマなのだが、時間が惜しいので寄るのはやめた。37号線を左折して、いよいよだらだら登りのなめとこライン。角から100mで35.4kmのエイドF。ここで御寿司にお塩を付けて食べる。4時間半経過。予想通りのタイム。

 でも、早朝は雲って涼しかったが、この頃には日も照って暑くなってきた。エイドでは必ずかぶり水で、頭・背中・腕に水をかけた。頭を冷やすと脳の疲労を緩和できると本で読んだからだ。

 1.6km程で、去年ヤクルトを買った(かぶり水もある)松倉商店を懐かしく通過。ほどなく志戸平温泉ホテルを過ぎると、あれ?左手にローソンがある。こんな所にコンビニあったっけ?去年の記憶には全く無い。(ローソンは奥まった所にあるとの認識)本当に記憶ってあいまい。

 でも、迷わずにすぐさま突入。パイン100%ジュースと磯辺餅を食べる。まだ食欲はあった。ともかく今回は、胃が疲れないうちにコンビニを利用しエネルギーを蓄えておこうと思った。エイドの食べ物は、(私は梅干と漬物が苦手なので)あまり期待できないからだ。

 ここでビタミンCと炭水化物を補給したつもりになり、パワーアップ!トイレも寄ってしばらくは安心だ。去年はこの辺りから歩いたが、大丈夫走れた。歩き始める人もいて、この坂で何人か追い抜く。

 志戸平のローソンから1.1kmで、渡り温泉。そこから1.2kmで大沢温泉の警察署手前のエイド。どこのエイドも暖かだが、2年とも大沢温泉のエイドGが賑やかで元気付けられた。ここ(40.1km)で5時間20分。予定通り。8分/km(休憩込)で走っていたので、私にとっては最高のペースだった。
 日差しが去年よりは弱く、さほどは暑くなかった。又、去年は歩いていた所を、走れているのが嬉しかった。

 大沢温泉から3.6kmで鉛温泉スキー場到着。山に入ると民家も無く、自販機も最後と記憶していたので、鉛温泉の自販機でファンタグレープを購入。全部は飲めないが、冷たく美味しかった。気分転換になり、体の中を冷やせたので良かったと思う。

 スキー場から800m程で、愛隣館駐車場(44.2km)のエイドHに到着。ここから5.4kmで第一関門だが、登りがきつかった記憶があった。坂対策で、ここでMさんご推薦のユンケル黄帝液を飲む。30mgの液体を小さなチューブの容器に入れ、帽子の中に貼って運んできた、取っておきの品。
 ご飯も食べたかったが、ここ(エイドH)では既に品切れだったので、我慢。レモンを食べる。

 豊沢ダムを過ぎ、ダム湖の縁を関門めざして走る。何とか走れていたし、まだ余力はあった。49.6kmの第一関門では、10時35分到着。予定通りだったので、青いシートに寝転んで背中を伸ばし、しばしストレッチ。横になって休んでいる人もいたが、私は起き上がって走り出す。残念なのは、このエイドIでもご飯が品切れだったこと。仕方なく、ゼリーを食べる。スタッフがゼリーのフタを開けて下さったので助かった。

 第一関門から下りになり、橋を渡ると宮沢賢治ゆかりの「なめとこ山」の看板がある。右の写真は、昨年撮った写真。

 関門から2キロ半程、雫石への分岐を過ぎると、道脇の空き地にかぶり水がある。去年は暑くて、ここはかぶり水も無くなっていたが、今年はまだ残っていた。
 
 川沿いを走る道になり、左側が開けると、たおやかな尾根が見える。地図では小倉山、毒ガ森と続く尾根のようだ。
 ここから登り坂になった。トンネル出口まで5kmは登りだったなあ・・・と思うと足が止まった。前に見える全員が歩いている。「坂で無理して走って体力を消耗しないように、早く歩けば走るのと同じだからから」という、Mさんのにこやかな顔が浮かぶ。よ〜し、歩いちゃお〜っと。

 で、だいぶ歩いた。ところがなかなか進まない。トンネルがあるはずの小倉山の稜線が近ついて来ないのだ。一人頑張って走って抜いていく女性が居たので、早足にギアチェンジしてついていこうとするが、やっぱり歩きは遅い。まずいなあ〜このままでは、完走はおろか銀河ホテルまで行けないかも・・・でも、高下まで行ければいいかなあ・・・。目標が段々消極的になる。どうもこの時、脳が疲労し「走ってはダメよ」と体に指令を出してしまったようだ。

 実は、大会1週間前に「勝負脳の鍛え方」 林成之著 という本に、運良くめぐり合った。本には(順不同)、

1、目標を明確にし、具体的な方法を実行し、それを目的達成まで辞めない。
2、脳の温度上昇を防ぐ。
3、脳を疲労させないように、楽しいこと(友や景色)を思い浮かべる。
4、勝負中にリラックスし過ぎない。
5、酸素を沢山取り入れる。
6、良い姿勢を保つ。
7、笑顔で走る。
9、結果を意識しないで、今できることをする。

 などなど、ウルトラマラソン完走の為に、レース中に生かせる事が沢山書いてあった。今年はこれで行けるかも!

 その中で、特に意識したのは脳を疲れさせない事だった。
 まず、今までしなかったかぶり水を利用した。次に、去年はあと何キロと残りの距離の多さにめげてしまったので、結果を意識しないで、今できる作戦に集中し、姿勢よく走った。
 そして、5月は目標の300kmを練習できたし、今年は疲れずに走れそうだ!と思い込むことにした。最後に、一緒に走っている仲間のことを思い浮かべて、苦しくても、こんなに走れて楽しいわ〜と、時々笑うことにした。

  見てくれはどうあれ、つい先ほどまでは、想定内のペースで来ていたので、それらがうまくできていたのだと思う。ところが、トンネル手前の5Kmの坂で集中が途切れ、とたんに走れなくなった。

 ここが一番の山場(難所)だったのに、坂を攻略する具体的な作戦を立てていなかったし、歩いてもさほど影響しないと思っていたのが大間違い。5Kmは長かった。というか、長いと思い込んでしまい、脳を疲労させた
 あとで距離測で見ると、坂が始まって最初のトンネルまでは、2.8km程しかない。いつも練習しているナスパの坂と同じ、と思えば、もっと頑張れたと思う。坂の傾斜は緩い位なのだ。

 と、言う訳でトンネル手前まですっかり歩いてしまい、2.8kmの坂にに40分も費やす。もともと完走にはギリギリのペース配分なので、通過予想時刻が5分でも過ぎれば、完走は難しくなる。
 でも、歩いてはいたが、ダメだと思わずに「いつか復活する」というAさんの言葉を思い出し、自分に言い聞かせていた。

 歩きついでに、道脇にトイレの出来そうな場所を探したが、適当な場所はなかった。やっとトンネルにたどり着く。今年は運良くトンネルの手前右に、 トイレを見つけ、急いで入る。かぶり水もあったが、お腹が冷えそうなのでここではやめておく。

 トンネル内は涼しかった。少し登り坂だったがここから走ることにする。長いトンネルだったが、体が冷やされ気力が復活した。 な〜んだ、結構まだ走れるじゃん。

 12時20分になってやっと、小倉山トンネルの出口のエイドJに来た。
 ほうじ茶が嬉しかったが、ここでもご飯が無い。ガ〜〜ン。非常にガッカリしたので、「3回連続でご飯が品切れで、お腹がすいてしまった。審判車に連絡し、前のエイドで余ったご飯を、次のエイドまで運ぶよう頼んでもらえないか」とお願いしてみた。
 「残念ながら、ここは山で携帯が通じないんです」とのお返事。仕方なく、バナナを食べた。(でも私はコンビニでの備蓄があったので、そんなに飢餓状態にはならずに済みました)

 後ろの人が次の関門に間にあうかスタッフに尋ねていた。はて?と胸の計画票を見ると、あと9kmで1時間20分しかなかった。まずい・・・せめて銀河ホテルまで行かねば・・・と強く思った。足が痛むB子さんでさえ先を走っているのだ。「そりゃ苦しいけど、走れて楽しい、嬉しいと思って走るのよ〜」と彼女の笑顔が浮かぶ。ここで、奥の手のエスタックイブ(鎮痛剤)を飲む。
 
 ここからは気力が湧き上がり、順調に下る。もう完走は無理なので、後半に備えて下り坂で足をかばうこともないと思い、ガンガンドタドタ 走る。前回道端トイレに行った所を過ぎ、車に乗せられた所にも差し掛かる。下りは順調で、復活した感じがした

 途中、真昼岳に続く尾根の雪渓が、くっきりと白く見えた。一箇所Z字の登りがあり、木陰の多い森の道を進むと、ひばさわトンネルの手前にエイドKがあった。
 ここでは、しそふりかけの寿司飯が残っていて、ホッとする。次は高下集落センターのエイドなので、時間を惜しんでご飯を食べない人が居たのでしょう。

 力をつけ、前進すると、去年の目標だった50kmとの合流点に出る。橋の下には一昨年と変わらず豊かな雪解け水が流れている。懐かしく嬉しい。やった〜!3年目でやっと50kmと100kmのコースをつなげる事が出来た!
 県道に出る手前で、私設のエイドがあり、ご年配の方にお水を頂く。喉も渇いていたので、有難かった。

 県道に出て1.6km走ると、高下集落センターレストステーションのテントが見えた。12時20分に到着。関門時間にはまだ20分余裕があった。
 エイドにコップの汁ものがあったので、御寿司2個を入れ、テントの空いた椅子に座って食べていると、なんと男の子が私の預けた荷物を持ってきてくれた。まあ〜なんて有難い!こんなサービスがあるなんて!

 すぐさま、好物のブドウ100%ジュースとプリンと大福とユンケルを飲む。急いで荷物を又男の子に預けて走り出す。急いだつもりだが、出発したのは12時半。あとから思うと、ここで食い意地を押さえ、時間配分する頭が働けば、もっと先まで走れたかも・・・。

 次の関門は13時20分。あと7kmで、50分あるから大丈夫。と計算もせずに楽観してしまう。しばらく走るとB子さんの姿が見えた。足が痛そうだが笑顔だった。スゴイ人だなあと感心する。69.4kmのエイドNにくる。レモンとかぶり水を頂く。レモンは疲労回復の為に、あれば毎回頂いていた。でも、急いで食べるので下唇にレモンの種が刺さり、しみた。

 70kmの標示が見えた。14時だ。あと3.3kmを20分?!あれ〜〜もうそんな時間!!慌てる。無理かなと思ったが、まだ走れたので諦めずに速度を上げた。

 A子さんが見えた。出会えて嬉しくて背中に声を掛ける。「頑張れば関門に間にあうかもよ〜」自分にも言い聞かせていた。
 銀河ホテルの入口まで来た。あと1kmだが、緩い登り。時計を見ると気持ちがなえそうなので、坂を息を切らして走る。ダメでもいい!最後まで走ろうと思った。

 関門Bのテントが見えたが、銀河ホテル玄関前を通ってから関門Bに向かうコースになっていた。ふぅ〜やっと到着!
 すぐさま時計をさして「だめですか?」と係員に聞くと、「4分オーバーです」との事。ああ〜やっぱり、と思ったが、不思議と達成感があった。

 5〜6人がすでに関門不通過でリタイヤとなりエイドの周りに腰を下ろしていた。程なくA子さん、B子さんが到着。A子さんは関門時間を間違えて呑気に走っていたらしい。B子さんは「ここまで走れて幸せ〜」と笑顔だ。二人ともアクシデントが無ければ完走できたはずなのに。
 こうして、度々一緒に練習をしてきた私達3人は、仲良く73.3kmの銀河ホテルでゴールしたのでした。

 バスに乗せられ、3時半過ぎに雫石の体育館に到着。キャッシュバックをし、荷物を受け取り、シャワーを済ませた所で、100kmをゴールしたばかりの、Oさん、Sさんとバッタリ。その後次々とYさん、C子さん、Aさん、Yさんのゴールに立ち会う。皆さん、笑顔が最高に輝いていた。監督のMさん、Dさん見逃してごめんなさい
 
 その後、6時半過ぎに体育館を出発。C子さんのご主人のご好意に甘え、A子さんとともに車で送って頂き、9時に帰宅。夜中1時半からの長い一日が終わった。


  ※練習期間 約2ヶ月、 練習距離 455km
    記録 73.3kmリタイヤ  10:24:30(プライベートタイム)


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 ★有限会社かきや菓子舗 の和菓子「北上夜曲」10個入り1050円★
    小豆とクリームチーズ、フジリンゴとくるみをパイで包んだ2種類の
   焼き菓子。抽選会で当たりました。菓子博でも受賞しているそう。
   美味しかったので、次回はこれをお土産にします。

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 ★銀河を終えて・・・

 レース後、3日は冷シップをして、ラジオ体操やストレッチ、栄養補給に注意した。1週間たった今は、ひどく痛む箇所も無くなった。また走りたくなってきた。(前には家族に内緒で整骨院に行ったりしていたので)これも練習の成果かと思う。

 この大会前の3ヶ月は、週3〜4日の朝練習と、土曜か日曜にロングラン練習。仕事があるので、余暇の大半は走る時間となった。ウルトラマラソンとは、時間を取られる趣味だと判った。他の趣味の時間がなくなり、自分でも今年で挑戦はやめようと思っていた。

 家族もあきれ顔だ。夫にまで、労力の割りに依然目標に達しないので、「人生短いのだから、もっと自分に適した趣味(得意分野の趣味)をした方がいい」と言われてしまう。完走には程遠いし、走ればいつもビリだし、そう思われて当然なのだ。

 でも、ここまでの積み重ねを無駄にしたくないし、やはり完走してみたい。それに、銀河を経験した自分は、前の自分とは変化している。学んだ事も多く、何より練習が楽しく、毎日が充実していた・・・。

 だから、たぶん・・・・・時間をやりくりして、また挑戦するような気がしています。

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            ●かすみがうらマラソン 2009
 
        2009.4.19(日) 参加費:フル 4000円
       参加賞:イエローTシャツ、れんこん麺、栄養ドリンクりゲイン等 
   エイド: 15箇所、水とスポーツ飲料、バナナ、人形焼?、飴、梅干 等
         私設エイド多数
私設ホースシャワー(有難かった!)

 
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 朝4時前仙台市内発。(M神様運転、Aさん同乗)国道6号を経て、常磐道は土浦北ICで降りて、8時半頃会場に到着。今年は少し余裕があったので、ゆっくりと身支度をしトイレに行き、体操もした。 5時間以内のプラカードの前に並んだが、スタートからチップの反応まで11分かかった。後ろの人が「早い人はもう2キロ走り終わってるよ」とぼやくのを聞いて なるほど と思う。でも、私はどっち道マイペースなんだから気にならない。10分引き算すればいいので簡単だ。

 スタート地点からしばらくして、のろのろ歩きから急に走り出す。暑いなあ、少し早いかなあ、と思いながら走る。1キロ通過辺りで、なぜか頭部に寒気がした。この感じは30km練習で 最後にバテた時の感覚だった。1km地点で早くも末期症状とは、弱ったなぁと 滅入る。

 風が少しあり、帽子が飛ばされそうになる。頭周りをきつくしようとして、ハッと気付く。もしかして帽子で頭を締め過ぎ?そういえば、今日は日よけのフードの上から帽子をかぶっていて、いつもよりはキツめだった。直してから、寒気は無くなった。頭に血が行かなかったのかも。いやはや・・・

 そのうち、今度は頭部が熱くなってきた。紫外線防備の為、フードの縁にさらに、日よけを縫い付けてきた。暑いのはコレだ。それを走りながら引きちぎり、ポケットに入れる。通気性が良くなり、いくらか暑いのが解消する。まだ、5km位だ。

 次に、体が耐えがたく熱くなってきた。日焼けアレルギーの為、夏場でも私は長袖が常だが、今日はキャミソール(下着)を着てきてしまった。極薄地だがやはり暑い。これを脱がねば、と思い沿道に着替えができそうな場所を探しながら走る。
 10km手前だったか、(病院か学校のような建物で)臨時のトイレとの表示があった。「靴を脱がずにどうぞ」と言われ、施設内のトイレに駆け込む。トイレの鏡を見てびっくり!顔が暑さで真っ赤になっていた。熱中症寸前という感じ。

 着替えと給水で、やっと生気が戻る。5分余りロスをしたと思うが、これがなければ暑さに参って、早い段階でリタイヤだった。

 給水といえば、5時間台のランナーには、水が飲めない給水所があった。暑さで想定外の人が水を飲み、紙コップが無いのだった。前半2回程飲めず、仕方なくゴミ箱に投げられたコップや、人が飲んだあとのペットボトル等を数回使用した。又私設エイドで水を頂いたのには助けられた。

 気力も回復し、少し早く走れた。10〜20km間が唯一6分台で走っていた。でも、あとで振り返ると、ここで少し抑えて余裕を持って走れば、後半のダメージを少なくできたのかな、とも思う。やはり次第に疲れてきた。

 20kmでMさんお薦めのユンケルを飲んだ。ポリ容器に移し変えて携帯したが、シェイクされ黄色く泡立っていた。水で薄めて飲む。25km位までは、足が止まらず効目ありやと思えた。後半も粘れたのは、ユンケル効果かと思う。
 又、走る直前にM神様に頂いた大福のお陰で、25kmまでは給水のみで、お腹が減らなかった。

 いつもの事だが、辛かったのは25km〜35kmの10kmだ。あと17km、あと16km、あと15kmも有るのか〜〜。気が遠くなり、弱気になる。5時間半の目標時間はどうでも良くなり、時計も見ない放心状態となる。

 ひたすら前を走る同じペースの人を見つけ、付いて走る。この頃になると、周りの半数は歩いている。結構人も多いので、誰かに付くと、人を避けてのコース取りの労力が省けて呑気なのだ。でも、疲れて足元だけを見るようになり、ますます前傾姿勢になった。

 同じペースのランナーとは、エイドの逗留時間で抜かれたり抜いたりしながら、進む。特徴あるウエアの人は、自分の速さを確認するためにも有り難い存在となる。今年は女性のランスカが多く、その色やデザインの多様さに驚く。
 去年会ったハッピ姿のお兄さんと遭遇し、話もしたが、メイドスタイルの萌え〜のお姉さんには出会えなかった。その他、亀仙人?、キツネさん、女学生、河童さんも走っていた。でも今年の暑さは扮装ランナーには厳しかったと思う。

 〇〇プロレスのプロレスラーと思しきガッチリ体型の若者もいた。足が重そうだった。自分だけじゃない、皆苦しんで走っているんだ、と自分を慰めてみたり。でも、今までより練習してもこんなに苦しいのなら、もう止めようか、自分に向いてないのかな〜と、逃げ腰になったりしながら走っていた。

 さて、32kmまで来た。あと10kmだ。時計を見ると、14時。10分のロスタイムがあるから、70分で10kmを走れれば、5時間を切れるかも?という、淡い目標ができた。気力が少し戻った。
 でも、20km過ぎから肩が凝って痛い。(これは背筋が弱いのが原因と同乗のAさんに教わる)何度も背伸びと腕回しをする。いつも重い足はストレッチをすると、何とか動いてくれた。

 あと9km、8km、7km・・・・・土浦の高層ビルが見える。歩きの人が7割となり、遅いながらも走れるのは練習の成果かと、少し嬉しく思えた。沿道のホースのシャワーや、持参の塩飴に元気づけられながら、進む。この間ほとんど記憶がない

 最後の残り2km位で15時になり、5時間内完走は無理と判るが、5時間8分の自己ベスト更新をしたいと思った。このままマイペースだと失速する一方なので、またもや他力本願を計る。周りの9割は歩きの人だが、中にはラストスパートをする人もいるので、その人にぴったり付く。息も絶え絶えとなる。

 記録では、30〜40km間が、7分35秒/kmで走っていたが、最後の2kmは7分06秒/kmとラストスパートが出来たようだ。苦しんで、やっとの思いでゴール!結果としては、以前より3分程早く走れたのでした。

 まあ、完走できて進歩があったのだから喜ぼう。でも、5時間を切れるかも?な〜んて思った自分が恥ずかしかった。マラソンは甘くないなあ〜としみじみ思いました。

 反省は、気温に適したウエアの選択が出来なかったこと。又、エイドに水が無かったので、自販機で飲み物を買う小銭を持って走ればよかった事。着替え時の汗拭き用ウエットティッシュを忘れた事。尚、会場の仮設トイレに手洗の水がないので、持参するか、公園のトイレを利用した方がいいと感じました。

 16時過ぎに会場の陣地で、走友会の方々とお別れし、復路もM神様の運転で仙台へ。朝に寄って頂いた夜ノ森の桜はもう散り際でしたが、磐越道の山間の山桜は、夕闇にも ほの白く見えていました。(こんな時、Aさん流に一句浮かべば良いのですが・・・)

 帰りの車内では、「ビギナーの為のマラソン質問箱」に、お二人からご回答を賜りまして、大変勉強になりました。お疲れの所、本当に有難うございました。


  ※練習期間 約2ヶ月、 練習距離 398km、 記録 5:04:44(プライベートタイム)


                         
       ●東北ブロック新春マラソン 第27回

         2009.1.11(日) 参加費:フル 2500円
        参加賞:タオル、バームゼリー、小冊子
        給食所:(プール前に1箇所)お湯、温かいスポーツドリンクやレモン水、
             ビスケット、飴、バナナ、ホワイトチョコ等

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 今年から、フルで遅い人の為の1時間早出スタートが、女子に限りなくなってしまった。(事前に電話連絡あり)本当に5時間以上掛かる遅い私には、辛い現実。10時にスタートすると、ゴールは夕方4時近くになり、日も傾き余計に寒くなる。暗くなった松林は、前後に誰も走っておらず、寂しい事この上ないのだった。
 でも、この大会は遅い人も参加できる、近場での唯一のフルマラソン大会。走らせて貰えるだけでもありがたい。寒い中を、遅いランナーを待っているスタッフもいるのだ。
 
 そんな訳で、10時に合わせ呑気に出かけた。9時に到着すると、駐車場が、港と松林の間ではなく、松林と海岸の間に誘導される。そういえば、昨年から変わった事を思い出す。コースには、早出スタートのフルの男子ランナーが既にスタートしており、ちらほら見えた。
 本部前に来てから、ナンバーカード(はがき)を忘れたことに気づく。その旨を係の方に申告すると、参加者があいうえお順に書かれた表があり、ちゃんとゼッケン番号を検索できるようになっていた。「〇〇番の〇〇さんね。ハイ頑張って」とゼッケンや参加賞の入った封筒を渡された。寝ぼけた人にもちゃんと配慮があり、ほっとする。
 私設エードに、風で倒れないようにポットや食料、塗り薬などを置く。更衣室で身支度をし、荷物はお会いしたFさんやTさんの階段の陣地に置かせて頂く。

 10時にスタート。晴れで仙台の気温は3.9℃。例年より暖かい感じがする。フルは最初に2.195kmを逆走し終えてから、1周4kmのサイクリングコースを10周する。
残り40kmのスタート地点で、既に15分経過。1kmを7分半かかっている。当初は4キロ×7分/qで1周28分。エード休憩や後半の疲れを入れて、1周30分で走れば、3時15分にはゴールできるかも・・・と目標を立てたが、計算通りになった試しはない。
 最初の1周が30分かかった。ああ、やはり7分半のペース。これがマイペース。いつもよりは頑張って走ってる位だったから、まあよし。後半バテるよりも、ずっとこの調子でできるだけ走ってみようと思った。

 そこで、時間がかかる分、休憩を少なくしよう、と思いつく。いつもは、大福やドーナツ、シュークリーム、だんご等を私設エードに置き、毎周食べるものを変えて、それを楽しみに(笑)走っていたのだった。だから休憩は毎周1分以上で10分はエードでくつろいで居たことになる。
 でも、今年は、たまたま朝にお餅を食べたので、お腹が空かず、お腹の調子も良くてトイレにも行かずに済んだ。これでけっこう時間が短縮できたようだ。
 2〜5周までは、1周にかかる時間が28分位、6〜7周が29分くらい、8〜10周が30分位で、休憩は30秒以内で済ました。

 ただ、精神的に4周目が一番辛く感じた。「ああ、疲れた〜まだ3周か〜」って感じ。5周が終わると「やっと半分まできた〜」と少しほっとする。6周7周は、残りを指折り数えて希望が持てるが、全身にダメージが出てくる。肩は痛いし、首は回らない、足が重くなった。

 こうなると、どんどんマイペースが落ち込んでくるので、他力本願となる。自分を抜いていく人のピッチをできるだけまねしてみるのだった。
 速い人は、歩の運びが速かった。タタタタタ・・・と小刻みに早いピッチだ。まねてみるが、数10mも続かない。とたんに苦しくなる。でも、ドッタラ、ドッタラ、ドッタラ・・・よりは、ドッタ、ドッタ・・・位には改善し、いくらかはピッチも上がってくる。もう歩幅は伸びなくなっているので、この方法で何とか歩を進めていった。

 こんな中で救いなのが、抜いていく時に声をかけてくださる方々。Mさん、Yさん、Oさん、Fさん、Tさん・・・。一人旅ではあるが、道中苦しんでいるのは自分だけではない、と思えて元気が出る。皆さまのお声掛けに感謝。
 しかし皆さまは、私より数周回早いので、2時前にはもうゴールなさっておられ、徐々にコース走る人の姿もまばらになり、寂しくなった。

 8周からは、ペースを維持するのに息が切れた。呼吸を整え、呼吸とピッチを同じにして、ついて行けそうなペースの人を追いかける努力をする。あと10km、あと6kmと減っていくのが唯一の楽しみとなる。
 休息時間も僅かにし、その分足のストレッチをした。後半は食欲も無くなり、飴だけ。ただエードで貰う暖かいレモン湯が有難かった。

 あと残り1周付近で、Aさんのゴール姿が見えた。遠かったので心で「お疲れ様」を言う。
 最終周は、3時20分前だった。かなりペースが落ちていたが、たまたまいいペースの殿方が前にいたので、追いかけて頑張って走った。自分としては無理をしたので、少し気持ち悪くなった所でゴールとなる。午後3時を過ぎていた。

 ゴールでは、思いがけずFさんのお出迎え。夕焼けを背にしたFさんが、霞んだ目にも優しく写った。ヘロヘロだったので、御礼を言うのを忘れてしまう。Fさん有難うございました。
 このあと少ししてTさんのゴールにFさんと立ち会う。とても満足そうなお顔だった。

 私も今回はとても満足だった。なぜなら、今まで5時間28分かかっていたのが、今回は5時間8分弱。同じペースで完走できたのも初めてのこと。
 自己練習はサボっていたが、角田のハーフの後に、亘理のロングランと塩釜のロングランの練習会に参加した成果だと思う。
 一人ではとても40qもの練習は出来ないが、一緒に走ってもらうと、つられて何とか走り通せた。なまけものには、練習に誘ってもらえる走友が不可欠だと実感した。

 又、昨年のこの大会は、風邪のため14キロまで走って途中棄権だった。今回体調を崩さずに参加できたのも、皆さんに混ぜて頂き、年末年始に長く走る練習を無理せずにできたことが良かったと思う。

 しかし・・・帰宅途中に、自分で運転しながら、車酔いする。やっと家にたどり着くや、吐く。きっと疲れきってしまったのだろう。これは他力本願で自主練習をサボっていたツケだゎ、と反省。まだまだ、フルを楽に走りきる体力が無いのだった。

 これから冬の寒さも本番なので、夜の練習はついつい怠ける。せめて室内のエアロバイクで頑張ろう。しばらく大会参加も無いので、日曜はなるべく長く走る時間をとろう、と思ったのでした。

    ※練習期間 約1ヶ月半、 練習距離 117km、 記録 5:07:57


                       
        ●阿武隈リバーサイドマラソン 第21回

         2008.11.2(日) 参加費:ハーフ 2500円
        参加賞:Tシャツ(今年は紺地)豚汁
            給水所:(6箇所)水(最後にチョコあり) のみ

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 家を7時15分に出発。今日は同じ市内のYさんと同行。角田までは約45分で到着。去年より地場産品の売店が充実している。昨年アンケートに書いたからかな。詰め放題500円のリンゴを競技前に購入。まだスタートまで2時間あったので、Yさんと体育館の周辺を二人で軽くジョギング。準備をして15分前に集合場所へ。

 10時スタート。気温も20度位で天気も良い。いつもの調子で走り始めると、トラック内で南走友会のKさん達に名前を呼ばれドキッとする。慣れてはいるものの、最後尾なので流石にちょっと赤面。呑気に走っているのではなく、真面目に走っても最後尾。恥ずかしいけれど、これが現実。

 実は、今回も練習不足。1週間前に風邪を引き、やっと治りかけの状態。さらにこの大会は、ハーフはキロ6分で走らないと、12.5km地点1時間15分と16キロ地点1時間36分の関門を通過できない。過去5回参加で3回はタイムオーバーで完走できないでいた。練習はキロ8分位の私にとっては、元々レベルの高い大会だった。

 競技場から土手のコースに出ると、もう息が弾んできて、前を走るオレンジのシャツのYさんの姿がだんだん遠くなる。何とかついていかなくちゃ。5キロで、27分位。道理で苦しいはず。最近こんなに早く走った事が無い。でも後半の落ち込みを考えるとこのペースで行かないと、関門でひっかかる。喉も渇いてきた。

 給水所は水だけだったが、ちょっと暑かったので、毎回水分補給した。水色の東根橋を渡り、土手を降りて集落に入ると応援が多くなった。今回は余裕がなく、手は振れなかったが、何とか会釈と笑顔だけは返したつもり。「ハイ、どうも!」と言っているつもりだが、息が苦しくて言葉にならない。崩れた姿勢を時折何とか立て直そうとしてみる。又ダメかなあ・・と弱気になる。

 でも、こうしてずっと苦しいまま走ってきたが、数分前の苦しみは忘れている。そうだ、今の苦しみだけ耐えればいいのだ!と思いつく。何とか走れた。
 10キロは58分で通過。去年は第一関門の12.5キロでタイムオーバーだったので、気が抜けない。集落を抜けると、潟Pイヒンの横を通り、大通りを走る。直線コースだ。

 前を走るYさんとは、もう200mは離れてしまったが、彼女を見失わなければ、ゴールまで行けるかも・・・。小さくなったオレンジの背中がまるでかすかな希望のともし火のように思われた。やっと12.5キロ通過。1時間13分位か。次は第2関門の16キロを目指す。何とかなるかも・・・。この調子で16キロの枝野橋まで頑張れば、完走ができるのだ。

 後にいたたぶん2〜3人位が関門不通過で、また私が最後尾。最後を走る審判車を後に従えての旅となる。途中の小橋で車から「道路の左側を走って下さい」と注意を受ける。すんません。
 橋が見えてからも長いし、枝野橋は渡ってからも長い。前のYさんもペースを上げて必死の走りなのが判る。もう時計を見る余裕もなく、ともかく前に、早く早く!気力も体力も120パーセントの状態。橋を渡りきって、右カーブを下った所が16キロの関門。やっと審判員の姿が見えた。

 「ハイ1分前、関門通過!」の声。有り難い!夢のようだった。あとは2時間20分までにゴールすればいいので、キロ8分で走っても大丈夫なのだ。
 ホッすると吐き気がした。かなりのダメージだったが、喜びの方が大きかった。嬉しくて感謝の気持ちが湧き上がった。何故か、夏に亡くなった父が空の上から自分を見守ってくれているような気がした。「お父さんありがと」涙が出できた。
 
 間もなく給水所だったので、そこで初めてストレッチをして息を整え、また走り出した。急にペースダウンはしたが、のろのろは走れた。

 前のYさんの姿は、もう400m先を走っていて豆粒のようになった。彼女は先週フルを走って4日前にも20キロを走っておられ、ペースが落ちない。私は足が重くなってしまったが、ともかく歩かないでと思いながら走った。最終(第6)給水所でチョコレートをご馳走になり、少し元気が出た。

 審判車に護られながら土手に再び上がると、競技場が見える。車を駐車した運動公園内に入ると、その審判車ともお別れ。「ご苦労様でした。規制解除します」等と、係の方々も撤収作業に忙しい。12時は過ぎていたが、大会役員はきっとこれから昼食なのだろう。

 コース脇の誘導役の方が私を見て、「最終ランナー、トンネル手前、間もなく競技場に向かいます」と連絡すると、場内放送で「さあ、間もなく最終ランナーの入場です・・・。」とのアナウンス。まだゴールまで500m以上ある。間もなくなんて到底無理です。しばらくお待ち下され〜。

 疲れていたが、あんまり待たせても・・と思い、少しペースを上げた。トラックに入ると「さあ、ゼッケン番号〇〇番の選手、入場です。皆様最後まで声援を・・・」との声。ピりは慣れてはいるものの、やはり何とも気恥ずかしかった。でもアナウンス嬢が氏名を公表しなかったのでほっとした。(誰も聞いてないんですけどね)

 ゴールでは、ご自分も疲れているのにYさんが出迎えて下さり、恥ずかしさも吹き飛んだ。嬉しかった。自分では奇跡的な関門突破の完走だった。これも先行するYさんのコンスタントなペース配分のお陰だった。又、練習不足ではあったけれど、春から夏にかけて少し走っていたのを足が覚えていたのかも。

 またいつもの通り、抽選に外れ、リンゴを買って帰った。だた今回は最後まで走っても豚汁が無くなることがなく、シャワーも浴びた。体育館にシャワーもあったのね。

 そして、走ったあとは鼻水も出なくなり、風邪も治ったような気分でヨシヨシ・・・・と思ったら、2日後にまた疲れが出て風邪ぎみに戻った。疲れが当日出ないで数日後に来る事は、我が家の年寄りによく聞かされている。情けないがこれも現実。

 これから冬場は風邪に気をつけて、体調管理しながら走りたいと思っています。そして早く走る練習も真面目にしなくちゃ。(反省)

     ※練習期間 約1ヶ月、 練習距離 60km、 記録 2:15:30



                   
         ●いわて銀河100qチャレンジマラソン 第4回

  2008.6.8(日) 参加費:100` 12000円
  参加賞:Tシャツスポーツドリンク・食券
  エイド:(前半15箇所だけ体験)
    
 水とスポーツ飲料、バナナ、パン、飴、梅干、チョコ、氷砂糖、塩、飴 等

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   (警告:長文です↓)
 
 仙台から新幹線で約50分、土曜の14時半に北上に着く。駅東口の改札から出てしまい、他のジャージ姿の人に倣って地下道で西口に行く。駅前のメッツ北上ホテルにチェックイン。ホテル前3時発の送迎バスで、前夜祭会場へ。

 ゼッケンや荷物袋を受け取ってから、パーティ会場に行くと、丁度乾杯のタイミング。体育館のような所に、ランナーがいくつかの立食テーブルを囲んで集まっていた。程なく、楽天のユニホーム姿のAさんをはじめ、Mさん、Sさん、Dさんを見つける。ホッとする。Mさんから、走友会のHPでおなじみのY田さん、Oさん、Y川さん、多賀城のAさんをご紹介頂く。蒼々たる方々ばかり。

 私はというと、フルを5時間半で走るのがやっと。そんな人がウルトラマンに混じっているのだから、何とも身の置き所が無く恥ずかしかった。でも、皆さんとご一緒できた事はとっても嬉しかった。何しろ初めての50キロ以上の距離への挑戦なので、不安が一杯。判らない事を伺うと、色々教えて下さるのが、心強く有り難かった。

 直前には油っこい物より、炭水化物とか野菜を摂るようにとか、クマよけの鈴や、トンネル内の懐中電灯は不要であること、トンネルの前の坂は無理しないで歩く方がいい等々ご教授頂く。

 前夜祭は4時半にお開きとなり、バスで駅前に。Mさんに教わった通り、駅内のコンビニで夕飯と朝食を買う。北上駅前にはスーパーもあったが、おにぎりやお弁当類は既に売り切れていた。スーパー内に土産店があったので、岩手土産を購入。荷物を預ける都合上、あまりかさばるものは買えない。

 
ホテルに戻ると、もう就寝予定時刻の午後6時。明朝1:30起床だからだ。慌ててパン・おにぎり・ミニカップヌードル等を食べ、荷物整理、そして入浴。7時半に床につくが、なかなか寝つけない。普段飲まないビールも飲み、興奮状態だったようだ。10時半になってやっと眠り、目覚ましで目覚める。

 
夜中1時半。入浴、朝食(ヨーグルト・おにぎり・パン・栄養ドリンク・コーヒー・お茶等)をお腹に詰め込む。説明図を見ながらの慣れないテーピングに手間取る。ザックに荷物を詰め、念のためレストステーション行きの荷物(着替え・替えシューズ・バームゼリー)を分ける。日焼け止めを厚塗りしていたら、予定バス時刻の2時半には間に合わず、3時駅前発のバスに。

 3時のバスに乗る人は少なかったが、3時15分に会場に到着。荷物を預け、2回トイレに寄るが、充分間に合った。トイレは競技場建物の2階にもあり、女性は少ないせいか空いていた。充分時間はあったが、反応無し。大丈夫、と暗示をかける。

 4時10分前にスタート地点へ。走友会の皆さんに朝のご挨拶をして、体操をする。最後尾に並ぶ。バスで一緒だった青森の I さんにお会いし、お話して緊張がほぐれる。スタート後、公園内の2キロ程をしばらく一緒に走る。50歳の時に初めて100キロ完走し、今回は10年後に又挑戦されたそうだ。控えめな方だったが、途中トイレに寄って追い越していくスピードに、ただならぬ力を感じた。

 私は最後尾から2番目。早朝の田園地帯は気持ちよかった。こうして泊りがけで何も考えずに、朝から走れて幸せだった。家族や友人に感謝だ。前には、年配の男性が着実に歩を進めている。

 5K位の所で、一人スピードが落ちてきた同世代の方がいたので、しばらくその男性とおしゃべりしながら走る。北海道からの参加でサロマとかくりやまとか、200キロも完走なさっておられるそう。ミニザックを背負い、グレーのウルトラタイツをお召しだ。ゆっくり同じペースで長く走る方のようだった。私は、ちょっとゆっくり過ぎかなと感じ、無謀にも前の年配の殿方についていくことにした。
 
 この方は茨城から参加され
、きちんとタイムや脈拍を計測し、キロ7分10秒で走っている。上りも下りも同じ速度、というか下りを意識的にゆっくり走っておられるようだ。下りで私が追いつくと、「どうぞお先に」とおっしゃる。

 私は、自分が初めて100キロにエントリーしたものの、目標は50キロであることを告げ「ペースが判らないので、ご迷惑でしょうが後ろを走らせて下さい」とお願いしてみた。後で足音がするのは、気掛かりなものだ。でもそう長くは持つまいと思われたのだと思う。お許しが出た。「このペースでいくと第一関門は10時10分で大丈夫だよ。」との事。

 北上CC(ゴルフ場)あたりは、登り下りがあるが、まだ余力があって、坂も苦にならず走れた。秋田自動車道、和賀川を渡る。北上線を横切りる手前にサンクスがあった。30Kまでは前の殿方を追って走る。30Kは3時間42分。キロ7分24秒のペースは、私にしてはかなりのハイペースだった。

 でも案の定、私は右足の指先の豆が痛み、遅れ始める。エイドEで、バンドエイドを全指に巻きつけ、痛みを抑える。朝ベビーオイルとワセリンを塗ったのに・・・。しだいに遅れて、茨城の方の姿ががついに見えなくなる。でも後にはまだ数人は走っているようだ。

 35.4Kのエイド近くで、北海道の方に追いつかれる。相変わらずゆっくりとしたペースだ。長く走るには、無理して人のペースに合わせないで、マイペースを保って走る事の大切さを教わる。この方についていけば良かったかと後悔したが、一杯一杯で来て息が上がってしまった私には、最初ゆっくりと感じた彼のペースについていくことが出来なくなっていた。

 トイレに寄る。エイドにはもうスポーツ飲料が無く水だけだった。おなじみのネタなし寿司飯に、持参のふりかけを掛けて食べてみる。我ながら良いアイデアと期待していたが、食欲増進とまでは行かない。無いよりはマシ程度。天気も崩れそうにないので、重い手製の雨具をポシェットから出してエイドのゴミに捨てる。少し身軽になって、温泉街道の銀河なめとこラインに入る。いよいよ長い坂道。

 水以外の飲料が欲しくなり、エイド近くのファミリーマートに寄りたかったが、信号を渡った道路の反対側だったので諦めた。少し行くと温泉街のミニスーパーがあったので立ち寄る。飲むヨーグルトやスポーツゼリーが飲みかったが、無いのでヤクルトを3本購入。お店の奥さんが気の毒がって、ヤクルトのふたを開けてくださった。有り難い。コレで力がついた。何とか走ることが出来た。

 志戸平温泉通過。20年前に来たことがあるが、車で来た時の方が坂道のように感じた。実際は走って登れる坂道だったが、疲れてきて歩きたくなった。ヤクルトの効果を再びと思い、また大沢温泉付近の個人商店をみつけて入る。リンゴヨーグルトとオロナミンとを買い、持参のアスリートソルトと新三共胃腸薬を飲む。

 伴走車のサポートは禁止だが、買い食いはダメと書いてないので、いいのかな?と勝手に判断。暑さで食欲はないが、この先は山でお店がなさそうだし、エイドの食べ物もあまり宛にできない。でも、食べられるうちは、と思ってお店から100m位先のエイドGでは、お寿司に塩を付けて食べた。40Kで5時間15分経過。この10`はキロ9分18秒かかっている。あと10`を1時間45分。坂があるのでちょっと厳しいかも、と不安になる。朝9時過ぎで、気温は22度だが、日ざしが強くて暑くなってきた。歩きが多くなる。

 35Kからずっと一緒だったのは、TVカメラの取材を受けていた黄色のウエアのヤンママ。鉛温泉のスキー場の自販機で缶ジュースを買う。前のヤンママはペットボトルを買い、持って歩いていた。私は走るのに邪魔かと思って缶ジュースを飲み干したが、どうせ歩くのだからあとでペットにすれば良かったと後悔した。自販機ももうない。山道になってきた。時々走ってみるが続かない。

 だんだん気力も萎えてきた。ぼんやりと歩く私を見て、時々ワゴンの審判車が回ってきて、「気温が上がってきたから水分とって下さいね」「だいじょうぶですか〜」と声を掛けてくれる。水も頂いた。

 44.2KのエイドHで10時10分だった。あの茨城の方の計算ならもう、第一関門に到着している時間だった。50分であと5`ということは、1`10分で行かねばならない。果たして関門通過できるのだろうか。でももう走れなくなっていた。坂道をひたすら歩く

 トンネルが出てきて、ランナーのために片側の交互通行にしてくれていた。
「ダムまでどの位ですか」と交通整理の婦人警官に聞いてみる。「すぐ上ですよ」とおっしゃるので喜ぶ。本当に豊沢ダムはトンネルを抜けてすぐ上だったが、そこからが入り組んだダム湖に沿ったくねくね道。なかなか第一関門が見えない。ダムが見えてから関門までは3km位あったと思う。

 何だか、頭も朦朧としている。関門通過が目標だったのに・・・走る力が出ない。制限時間の11時にあと20分、あと10分と迫ってくる。もうダメか・・・と思い掛けたが、昼前11時でもう走れないと思うと悲しくなった。最後は走ろうと思い直す。他の仲間は5時まで頑張っているのだ。苦しくても、もう少し競技に参加していたかった。少し下り坂にもなって助けられ、走ることが出来た。カーブを曲がったところで関門の人影が見えた。第一関門だ

 セーフですか?とゼスチャーで聞くと、審判の方が、手を横ハの字にして「6分前でセーフ!まだ行きますか?」とおっしゃるので、「行きます」と答える。あらまあ、という顔をされる。若い男性が関門時間に間に合いながらリタイヤしていたので、ちょっと意外だったようだ。ともかく間に合って良かった

 TVカメラ?がのろのろ先に行こうとする私を追い掛けてきた。100キロは初めてか?というような質問をされたので、「50キロ以上走るのが初めてで、去年50キロ走ったので今回50キロ走って、2年がかりで100キロ完走をめざしている」というような事を答えたように思う。

 次の高下集落の13時の関門までは約17Kあり、キロ7分で走らないと関門通過できない。これから先の急坂越えを考えると、今や下り坂でも歩きが主体の私には到底無理な話。一応第一関門通過の目標は達したので、行ける所まで行けばいい。ほっとして、なめとこ山の写真をとる。ここからは、殆ど歩きとなる。

 標識が見え、右が雫石、直進が沢内となっていた。前後誰もいないので、不安になって、たまたま通った車に高下に行くのか聞いても判らない。沢内は去年50キロのスタート地点だったので、そちらは遠回りのように思ったのだ。迷っていると、関門を最後に通過したヤンママがやってきた。聞いてみたが、首を傾げただけでそのまま直進した。かなり疲れていて口も重くなっているようだった。

 まあ、枝道に逸れるなら案内があるはず、と判断して私も直進した。少し行くと、道脇に青いポリバケツがあって、コース上にいることが確認できた。僅かに残っていたかぶり水だったが、関門過ぎから喉が渇き、暑くて参りそうだったのでその水も飲んだ。ペットボトルは有った方がよかったなあ、と思った。
 でもその後、ワゴンの審判車から水の配給があり助かった。「すみません、遅くて」というと「関門時間内だから、気にせず走って下さい」とのお言葉。
  
 関門からは少し下りで、また登りが続いたが、ずっと歩いた。私が最後尾になったので、後尾車がゆっくりとついてくる。幸いなことに、水を頂けた。トンネルまでは、思ったよりなだらかで、急坂を思い浮かべていたので、トンネルが見えた時には、ちょっと意外な感じだった。トンネルの手前で、後尾車の優しい女性から氷砂糖を頂く。元気になって、楽しみにしていたトンネルに入る。

 暗いトンネル内は、暑い日ざしが無く涼しくて気持ちよかった。早速持ってきたミニライトで足元を照らす。軽量小型の割にはなかなか宜しい。今回はこのトンネルを一番体験したかったのだ。事前情報通りトンネルには暗いが灯があり、目が慣れれば、真っ暗なりにも何とか進めた。ライトは無くても大丈夫だった。

 氷砂糖のお陰で足取りも軽くなった。とはいえ、走ることは出来ず、歩くピッチが上がった程度だけれど。ヤンママを抜く。その前を歩く男性にも追いついた。

 ところが、二番目のトンネルで異変が起きた。トンネルが涼し過ぎて、お腹が冷えてきたのだ。トイレに行きたい・・・。トンネル内には緊急電話や待避所はあるが、さすがにトイレは無い。第三トンネルは長いと聞いていたので、トンネルの入口に用を足せる場所を探したが、トンネルとトンネルの間は谷で橋が掛かっており、道路脇に逃げる所がなかった。まだ我慢できそうだったので、1.7kmのトンネルに突入。

 やはり長いトンネルだけあって、涼しい。涼しいのはいいのだが、お腹がぐるぐる言ってきた。まずいなあ。急いで走ろうとすると、振動で余計にお腹に悪影響を及ぼす。冷や汗が出てきた。歩を止めれば体温が下がってますますピンチに・・・。もう出口めざして、お腹以外に意識を集中させ、ひたすら同じペースで歩くしかなかった。

 トンネル内の出口までの距離標示に励まされながら、やっと出口が見る所に来た。出口付近に人が居て、そこがエイドJだと判った。トイレがある〜!助かった〜。ギリギリセーフだった。しばらくは、放心状態だったが、先に行かなければ・・・。もう時計も見なくなっていた。

 エイドでは、水がなくなっていて、僅かに残っていたかぶり水で手を洗わせて頂く。その代わりボランティアの方の暖かいお茶をご馳走になった。生きた心地になった。いくらかお腹も落ち着いたので、走って57.5Kのエイドを出発。長いトンネルの出口からは下り坂だった。

 しばらくは走れた。しかし走った振動がお腹を刺激したのか、またもやトイレに行きたくなった。しばらくは新しく舗装された広い道で、待避所はあるが、身を隠す場所がなかった。ううっ、まずい〜。たまに車は通るが道が広いのでスピードを上げている。気付かれない事を祈って、チェーン着脱所?の隅に駆け込む。オオイタドリの葉に半身だけ隠れて素早く用を足す。これまたセーフ。むぐさずに済んだ。冷汗。

 車は2台通ったが、もうどうでも良かった。早くその場から逃れたくて、また歩き出す。幸いなことに前後に人がおらず、最後から2番手だったので、最後尾車に張り付かれることも免れ、人目が無かった。広い造成道が終わり、細い山道になった。谷沿いを曲がりながら進む。

 木々に覆われた沢沿いの道に入り、少し涼しくなったせいか、またまたトイレに行きたくなった。今度は右手は山が迫り、左手は草の茂ったせせらぎ。ありそうでなかなか適当な場所が見つからない。路肩の待避所に車が止っていた。女性2名が車の先で何かしきりに採集している。

 もう、お申し訳を言っている暇もなく、車を陰にして用を足す。ギリギリセーフ。気付かれなかったようだ。体は熱かったが、お腹を触るとすごく冷たかった。下痢だが、吐き気が無いので、まだ歩けた。

 10分程無心に歩いていると、後から後尾車が、すーと来て止った。「1時を過ぎましたので、ここで車に乗って頂けますか。61キロです。」と告げられる。「はい、お世話様でした。長々と有難うございました。」とお礼を言う。

 もう、そんな時刻になっていたのだ。13:05、61キロと書かれたリタイヤカードを貰う。水も頂いた。後尾車はリタイヤランナー収容車になっていて、ヤンママが乗っていた。車に乗せられて高下に向かう。

 61.9KのエイドKの近辺と50キロの合流点で女性2名、第2関門の66.5Kの高下集落センター手前で男性4名がリタイヤカードを渡される。但し満車なので、収容車を無線で要請する。関門間近の2名は、まだ収容車が来ない為、車に乗らず関門まで走る事を許された。車内でまたお腹が冷えてきた。高下には、1時半頃到着。すぐさまトイレに駆け込む。セーフ。

 落ち着いてから辺りを見ると、ランナーが預けた荷物を忙しそうにトラックに積み込む人々。エイドの撤収も始まり、テントをたたむ人、机を運ぶ人、エイドの資材を片付ける人、積み込む人、ご婦人や学生さんもいて、朝からボランティアも大変だったに違いない。
 もちろん豚汁はなかった。でも僅かに残った暖かいコーラを頂く。自販機もあったので、栄養ドリンクを購入。

 しばらくして、関門に間に合わなかった人たちが呼ばれ、車3台に分乗し、次の銀河高原のホテル前に向かう。車が足らず、私はボランティアの方の自家用車だった。銀河高原に着くと、大型バスが停まっていた。バスに乗ると、第3関門不通過の人と私達で助手席も満杯だった。乗れない人は、ワゴン車か自家用車で送られるようだ。暑さのせいでリタイヤが多いのかな?と感じた。

 2時過ぎに銀河高原を出発。バスは走路を外れ、県道1号線を下り、鶯宿温泉下から、少し走路を走って雫石の体育館に向かう。95K付近の坂を走るランナーが見えた。2時半頃にこの坂を登って走れるのだから、健脚な人達だ。女性もいる。バス内でも、「この坂は辛いんだよな〜」と声が上がる。私は去年50キロで参加した折でさえ、歩いてしまった事を思い出した。

 銀河高原から30K弱だから、たぶんバスは3時前には到着したと思う。覚えていないのは、最後にバスに酔ってしまったからだ。雫石の体育館に到着した時には、吐きそうになっていた。

 バスから降りて、体育館のトイレに直行。危機一髪でセーフ。今度は吐き気もだ。胃液だけで何も出ない。11時の関門通過の時に、固形物はエイドの寿司飯を食べただけなので、4時間経ってもう消化されたのだろうか。貧血になり、しばらくトイレに這いつくばって出ることができなかった。

 ふらふらで館内のソファーに横になる。30分位休んでやっとお腹と吐き気が落ち着いてきた。ああ、ひどかった・・・。

 青い顔で体育館前のテントで認定証を貰い、館内に戻り、参加賞のTシャツ、スポドリ、のアーリーエントリーのキャッシュバック2000円、預けた荷物を受け取る。抽選もあって、券を引くと、何と前沢牛が当たった。送り先の住所を記入する。こんな私にもご褒美があったなんて・・・。

 重い荷物を持って、温水シャワー室へ。まだ混んでおらず、すぐに使えた。着替えていると、50キロをゴールした浅井えりこさんがやってきた。「お疲れ様〜」と元気なご様子。私は、自分の身を維持するのがやっとで、急いでもノロノロとしか着替えが出来なかった。

 シャワー後は、やっと気分がすっきりしてきた。荷物をまとめ、体育館横の駐車場に、重い荷物を置く。ここで友人と待ち合わせなのだ。時計を見ると、もう4時10分。参加賞に食券があり、体育館脇の飲食ブースの屋台で、飲み物、おにぎり、豚汁、焼きそば、焼肉、焼きホタテなどと交換できる。まだ食欲は無かったので、豚汁だけ食べる。

 ゴール場所は、ゴール者を称えるアナウンスもあり、賑やかだ。走友会の皆さんもゴールしている頃だと思い、ゴール地点に移動。しばし皆さんを待つ。運良く、Mさんのゴールだけに立ち会えた。Mさんは達成感に満ちて幸せそうなお顔をなさっていた。

 飲食ブースでは、Sさんの奥さまとお会いした。「1時まで待ってたのよ〜」との事。第2関門の高下集落センターで、私を待って下さったのだ。奥さまはスタート地点でも応援を頂き、とても嬉しかった。ジュースも頂き有難うございました。

 又、スタート時に並んで走った、青森のIさんとも遭遇。なんと60歳で100キロ完走なさり、女子の10位入賞を果たされたという。失礼だがあまりに意外で、私はおめでとうございますを言うのを忘れてしまった程だ。控えめで小柄な体の何処にパワーを秘めていたのだろう。鍛えればウルトラマラソンは、年齢性別を問わずチャレンジできるんだなあ、と感心した。

 そういえば、あの茨城や、北海道の方は・・・ゴールなさっただろうか。走友会の皆さんは大丈夫と思うが、暑くて長い道のりなので何があってもおかしくない。皆さんゴールされている事を祈った。

 間もなく携帯が鳴り、友人ご夫妻到着。 Mご夫妻はご主人のお母さんを見舞うため、秋田に帰省し戻る途中に、わざわざ雫石に寄り、私を拾って下さったのだ。有り難い。
 実は去年のいわて銀河マラソン参加の折には、50キロのスタートの沢内バーデンまで送って下さった経緯もあり、このご夫婦の献身的なサポートのお陰で、2年連続で、いわて路を走れたのだった。

 夕方5時前に出発。帰りは後部座席で何の心配も無く、寝て過ごした。盛岡で食事のあと、「あと1時間半かな」とご主人がおっしゃるのを聞き、聞き間違いなあと思ったが、本当に夜8時05分に玄関前に到着。大河の「篤姫」がまだ始まったばかりだった。

 寝ていたので、どんなに飛ばしたのか判らないが、狐につままれた位早かった。新幹線と変わらぬ速さで、玄関前まで。本当に感謝です。

 今回は完走はもちろんできませんでしたが、目標の第一関門突破は達成でき、自己最長の61キロまで走れたのだから、まずまず満足です。欲を言えば、50キロと100キロの走路を繋ぎたかったけれど、また次の目標にしようと思います。

 又、自分としてはマジメに練習出来たことは、今までにない経験だったので、とても得るものが多くありました。前回の50キロの後は、家族に内緒で整骨院に行くほど、足腰が痛かったけれど、今回は1週間で癒えたのは、やはり練習量の違いだろうと思う。

 それから、今まで夜走っていたのを、朝4時起きして6時まで走ったのは、自分でもびっくり。朝走るのは、最初は吐きそうだったけれど、慣れてきつつあります。そして、大会2週間前に、網膜はく離になりかけ、眼科で手術をするハプニングも乗り越えた。

 さらに言えば、霞ケ浦マラソン、仙台鉄人会の台ノ原の練習会、松島を走ったみちのくランを経て、いわて銀河につなげたのも良い経験でした。色々なランナーとの出会いがあり、学ぶ事も多くありました。
 
 次回は給水等に注意し、お腹を下さぬ対策を考え、もう少し距離を延ばしたいと思っています。

 追伸:10日後、抽選で当たった”特選前沢牛焼肉用”4人前がクール便で配達になりました。初めて食べた「前沢牛オガタ」の焼肉は家族にも大好評で、又行って当たって来いとの命が。当たるのは難しいけれど、参加を言い出し易くなったので、めでたしめでたしです。

           ※練習期間約1ヶ月半 練習距離304km
      【反省】 最初が速すぎた。お腹を冷やさない対策が必要。

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 2008年12月の大河原往復の練習会で、美しいKさんが「あれはヤクルトのせいよ」とお声かけを頂いた。上の文章を読んで、「いつか教えてあげたい」と気に留めて下さっていたそうです。憧れのKさんから直々のアドバイスに感激。うわあ〜〜何とも嬉しかった。そして、目から鱗が落ちた。
 そういえば、乳酸菌は腸を刺激してお通じを促す働きがあった。こんな当たり前の事に何で気が付かなかったのか。トホホ・・・・。常々お通じは良好なので、ヤクルトは元気が出る飲み物としてのみ、頭に入っていたのだった。
 いわて銀河では、走りながらヤクルト3本を一気飲みし、ヨーグルトも食べたのだから、そりゃ当然だわ〜。無謀なことをしていたものです。
 Kさん、本当にご教授を有難うございました。(2009年1月記)
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          ●かすみがうらマラソン 2008

  2008.4.20(日) 参加費:フル 3700円
  参加賞:Tシャツ 
   エイド:、15箇所、水とスポーツ飲料、バナナ、パン、飴、梅干、他私設エイド多数

 
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 4時仙台発で、土浦市民運動広場へは8時半過ぎに到着。前夜の雨で駐車場がぬかるんでいる。広場の脇からシャトルバスの列に並ぶ。10分余の待ち時間で出発。すし詰め状態のバスは、土浦の駅前の混雑でなかなか進まない。駅から徒歩5〜6分で会場に到着。芝生の陣地に落ち着いたのが9時半

 受付が無いのですぐに身支度を整え、15分前にトイレの列に並び、9時55分にスタート待ちの人群に紛れ込む。準備体操をする間も無く、10時にスタートの花火。8分後位にスタート地点に至る。

 曇でやや寒い位で走りやすい天候。私は同行のYさんの背中を見ながら走り出した。彼女はキロ6分半のペースを確実に刻む。私にとっては最初から飛ばし過ぎだが、出来るだけ着いていこうと思った。

 10キロ位のところで、一昨年も遭遇した「萌え〜のお姉さん」に追い着いた。今年は赤白黒チェック柄のフリフリワンピースだった。手提げバックと縫ぐるみを抱えたお馴染の姿だ。でも男性と並んで走っていた。たまたまなのか、彼氏なのか、護衛がついたのか、ともあれ、微笑ましく思った。

 15キロ位から、Yさんの橙色のシャツが見えなくなってしまった。ペースも7分台に落ちる。小雨も降ってきた。「わざわざ土浦の天気予報見てきたのにさ〜、午後から晴れって言ってたよなあ」とぼやく人の声も聞こえる。

 途中、ハッピを着ているお兄さん(30才台)に追い着いた。ふくよかで人が良さそうにお見受けしたので、「消防団のハッピですか?」と尋ねてみる。ハッピは浅草のお祭のお土産バージョン。よく見ると薄手で、今日のような肌寒い日には走るのにも良さそうだった。毎年扮装して出場しているそうだ。

 疲れも出てきたので、おしゃべりしながら走るのも、気が紛れていいものだ、と思っていると、「それじゃあこの辺で僕のペースに戻りますね」と言って、私を先に行くよう促した。私はちょっとがっかりしたが、すぐに感心した。こういう断り方はスマートだわ〜。おばさんに付き合って頂き、お兄さん有難う。

 20キロ過ぎると、だんだん足が重くなってきた。早めにトイレにも寄った。足指が痛いので靴を脱いで見ると、豆だ。痛みそうな所には事前にバンドエイドを貼っていたのに。貼り残し部分に発生。ポシェットからバンドエイドを出して補強する。以前にできた箇所をすっかり忘れていたのだ。手早く済ませ、気分を取り直して又走り出す。

 しかし、まだ半分なのにかなり疲れてきた。最後まで走れるのか不安になる。前回はこんなに苦しんだのだろうか。前は今回以上に練習不足だったのだから、きっと苦しみは相当だったと思うが、終わってしまうと苦しみは忘れてしまうようだ。痛みが記憶に残らないから、又走ろうなどと思うのだろう。20〜25キロが長く感じ、キロ8分台にペースダウン。ともかく前に進もう。

 またハッピのお兄さんに追い着いた。どこかで抜かれていたのだ。「貝塚はこのあたりだったでしょうか?」と聞いてみる。「もう少し先で、あの出岬を越えると土浦が見えますよ」と指差す。相変わらず丁寧な応対だった。
 南走友会のKさんとも遭遇。80歳近い年齢でのチャレンジには頭が下がる。
 その後、「ガンバ!」と声を掛けられた地元の女性ランナーと、後先になる度に声を掛けて走った。知らない人と話しながら走るのもいいものだ。初めてそう思った。

 30キロ過ぎには、足が丸太のように重くなる。給水所ごとにストレッチをしないと辛くなった。ともかく今回は歩かないで完走するのが目標。頑張らなくては。既にスタートしてから4時間経つ。ゴールではもう同行の皆さんが到着している頃だ。気は焦るが、足が痛い。バナナのエイドが続き、食欲も無くなったが、途中で私設の甘夏エイドがあり、元気が出た。有難い。

 25〜35キロまでが、精神的には一番辛かった。35キロを過ぎると、足の痛みは尚更増したが、あと7キロと思うと気分的には楽になった。40キロまで来ると、極端にスピードが落ちた。周りは9割の人が歩いていたが、なんとか走ろうと思った。

 ふと前の人を見ると、その女性は歩いていた。私は走っているのに、ペースは同じだった。「なーんだ、歩きと同じペースなの」とがっかりして、自分も試しに歩いてみると、どんどん離される。よく見ると、その人は長身で足が長いのだった。仕方なく短い足で又走り出した。
 
 あと2キロ、1キロの標示を過ぎ、やっとグランドに入ってゴール。ともかく完走できて嬉しかった。5時間29分55秒。チップ返却、Tシャツ交換後、バナナやキットカット、完走証を頂く。
 Yさんが私を見つけ、手を振って「こっちよ〜」と促す。皆さんはずいぶん前にゴールしていたようだ。時間をもらって素早く着替える。お待たせしてスミマセ〜ン。(同行の皆様も満足な走りが出来たそうです)

 制限時間終了の花火の音を聞きながら、4時にグランドを出発。かなり疲れて、車内で吐いたりしないか心配だったが、なんとか持ちこたえた。同乗のKさんやEさん、Yさんの会話が為になり大変面白かったからだ。

 今年もM神様の粋な計らいで夜ノ森を通る。桜は葉桜になっていたがそれでも夜の桜並木は風情があった。フルを走って往復750キロを運転なさったM神様、今年もお世話になりました。
 私は30分早く降車しましたが、夜9時半には皆帰宅したそうです。お疲れ様でした。

      ※練習期間約1ヶ月半 練習距離125km
      【反省】 最後に失速しないように、遅くても同じペースで走り切りたい。
 




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