北アルプス 涸沢 (2393m)     2013.5.31〜6.2(金土日曜)の記録
  きたあるぷす からさわ                                   

概   要
 涸沢は、長野県松本市安曇の中部山岳国立公園内にあり、穂高岳登山のベースキャンプ地。
 上高地から涸沢まで約15.6km。標高差約743m。横尾までは、梓川を左下に見ながら、登り下りの少ない平坦な遊歩道。背負う荷が軽ければ、何処でも絵になる景色と道脇の花々を楽しめる。
 横尾から、登山道となる。本谷橋を渡ると右下に落ち込む残雪の急斜面を登る。危険な所にはロープやネットも有る。横尾本谷を離れ、涸沢に90度左折し、見晴らしの良い雪渓を登っていく。雪渓上は屏風の頭周辺から前穂北尾根に続く露岩からの落石に遭遇。注意が必要。
 小屋が見えても中々近づかないが、扇状に広がる穂高の峰々に慰められながら登っていくと、カールの要に位置する涸沢ヒュッテに到着。
 仙台からは、夜行一泊二日で往復はできるが、中一日あれば穂高のピークが踏める。

場   所
交   通
 仙台からは、東北自動車道で、岩舟JCTを経て北関東自動車道を通り、高崎JCT、藤岡JCTを経て、上信越自動車道を走る。さらに更埴JCTから長野自動車道に入り、松本ICで高速道を降り、国道158号(野麦街道)を沢渡まで走る。仙台から約550kmの道のり。
 我々は夕方4時に出発し、交替で運転・食事・休憩を撮りながら、夜中の12時に、シャトルバス乗り場、駐車場のある沢渡に到着。(約8時間)新島々過ぎて、ダム湖とトンネルのあたりが、細いくねくね道。
 沢渡バスターミナル右手前から下って入る市営第三駐車場は、夜中でも無人の券売機あり。一日500円(後払い)。駐車場奥のトンネルの階段を登ると、バス切符売り場と待合室・トイレ・小売店等がある。
 この時のバスの始発は5時40分。沢渡から上高地までは約30分。
注   意
事   項
 涸沢までの危険な場所は、本谷橋を渡ってからの切り立った右斜面の通過と、涸沢雪渓の落石。積雪期の涸沢から上は、雪山経験のある熟達者のみが行ける場所です。(仮に登れても降りられない)
コ ー ス
タ イ ム

及   び

経   費
一日目:東北道白石IC→(車:8時間休憩夕食含む)→沢渡駐車場
【自宅15:30時出発、沢渡深夜23:55到着】
二日目:沢渡駐車場→(シャトルバス:30分)→上高地バスターミナル
→(60分)→明神→(歩45分)→徳沢→(歩60分)→横尾→(歩75分)→本谷橋→(歩3時間20分休憩含む)→涸沢ヒュッテ
三日目:私の散歩》ヒュッテ→(歩60分)→北穂沢ゴルジュ下部→(歩40分)→ヒュッテ
夫の行動》ヒュッテ→(歩約5時間休憩含む)→北穂高岳→(歩約2時間)→ヒュッテ
四日目:涸沢ヒュッテ→(歩2時間35分休憩含)→横尾→(歩65分)→徳沢→(歩50分)→上高地→(歩70分)→上高地バスターミナル→(シャトルバス30分)→沢渡→(車70分)→松本→(車約6時間途中休憩含む)→仙台南 IC【涸沢ヒュッテ7:30出発し深夜24:00に自宅到着】

 ※夫婦2名での歩行

沢渡駐車場駐車料(3日×一台500円=1500円)
シャトルバス代(沢渡−上高地往復大人4000円)
涸沢ヒュッテ宿泊費(朝夕食込1泊9500円×2泊=19000円)
参考図書
地   図
「るるぶ」「山と渓谷・2012/5月号」
地図:「穂高岳」1/25000図、
北アルプスイラストマップ(北アルプス山小屋友交会)
北アルプス/槍ヶ岳・穂高連峰 FOMAルートガイドマップ


 若い頃に所属していた山のサークルで、現役対象の「涸沢雪訓」(雪上訓練)をOBが率いて登ると聞き、夫婦で行く事になった。現役チーム(OB含)はテント泊だが、我々は楽をして初めての小屋泊まり。雪訓の見守りと、現役とのテントでの宴会を楽しみに出かけたのでした。夫は30年ぶりの残雪期の本格登山。私も北アルプスは約30年ぶり。昔の恋人に会えるような想いで、みちのくから信州へ夜道の高速道をひた走りました。
上高地バスターミナル
(2013.5.31 6:20)
 仕事を早退し、15時半に自宅を出発。食料などの買出しをし、東北道白石ICより、高崎・更埴JCTを経て、松本から沢渡駐車場へ深夜0時到着。車で仮眠し、朝一番5:40発のシャトルバスにて、上高地に到着。バスで車酔い。上高地のトイレはゴミ箱が無く、ゴミは持ち帰りです。
河童橋付近から(2013.5.31 6:24)
 絶好の天気。朝焼けに輝く峰々。左から西穂、間ノ岳、天狗岩、奥穂。28年前の夏に下ったことがありますが、上高地に着く前の車の運転で疲れて吐いている身には、見れただけで充分です。
河童橋から(2013.5.31 6:24)
 前穂から連なる右の吊尾根からたどってきて、奥穂は中央の平らで白い付近と思います。ロバの耳とジャンダルムはその左側のぼこぼこした辺りかと思います。
 今夜は、吊尾根の向こう側の谷(涸沢)に泊まります。
西穂(2013.5.31 7:07)
 河童橋から前を行く夫を追って歩くが、小梨平で夫を見失う。一本道との思い込みで、キャンプ場への道に入ってしまったよう。道は合流していて、無事落ち合う。
 上高地から30分程で、西穂が見える素敵な景色となる。東に向かって歩いているので、朝日が眩しい。
明神岳(2013.5.31 7:31)
 河童橋から一時間で明神に到着。写真は明神を少し過ぎた辺りです。明神館の庭の案内板には、手前から5峰、4峰、本峰等の図解があり、「愛称・尊称として全てを明神岳と呼ぶ」と記されている。そうねそれでいいのよね〜。
徳沢の少し手前の河原から
 (2013.5.31 8:08)
 徳沢間近の梓川の奥に見える残雪の山は、大天井岳から東天井岳付近と思われます。中央は2492mの中山です。前衛の地味な山ですが、鳥海山や岩手山よりも高い。
徳沢園(2013.5.31 8:11)
 徳沢園は貧乏学生の山男に寛容な山小屋で、夫は30年前に大変にお世話になったそうです。今のご主人が生まれたばかりで、おもちゃを買って行ったことを懐かしそうに語ります。あいにく不在でしたが、休憩する人で賑わっていました。変わらないたたずまいで、ニリンソウ咲く徳沢は実に素敵な所でした。
月が見えた!(2013.5.31 8:57)
 徳沢から30分位の所から、左手の明神尾根の岩峰の上に、白い月が。何といい天気なこと。
前穂北尾根(2013.5.31 8:59)
 左から長七ノ頭、茶臼ノ頭、奥又白谷、前穂高、北尾根です。北尾根の向こう側が涸沢カールですが、まだ屏風を回り込んで更に奥に登って行きます。
横尾山荘(2013.5.31 9:26)
 上高地から3時間で到着。トイレあり。ここで朝食をとる。近年、宿泊者専用の温泉ができたそうです。ここまで来ると登山者は減りますが、それでも20人くらいは休憩していました。
横尾橋(2013.5.31  9:43)
 橋の袂の階段を修理中でした。左奥に見えるのが屏風岩の一帯です。
 上高地から横尾までは自然探索路で、並んで歩ける広い遊歩道でしたが、橋を渡ると、登山道になり、横尾谷を左下に見ながら登っていきます。
 
登山道に雪が(2013.5.31 10:37)
 時々樹間からのぞく屏風の威容と道脇の花に慰められながら、登っていきます。登山道に雪も出始めました。
 
屏風岩(2013.5.31 10:45)
 雪も張り付かない黒々した壁です。影の部分は被っているのでしょう。手前の白い花はオオカメノキと思われます。
 
本谷橋(2013.5.31 10:56)
 横尾から75分で到着。登山道は本谷橋を対岸に渡って行きます。
 夫は宴会の酒と差し入れの食材を山のように背負っているので、だいぶバテてきました。
 
横尾本谷の雪渓(2013.5.31 11:25)
 氷河の水のような青さです。
 道はここからジグザクな急登りになります。
北穂と大キレット(2013.5.31 11:36)
 急登が終ると、右下が切れ落ちた谷沿いの緩やかな道を登っていきます。足場の悪い狭い所もあり、危ない所にはロープが張られていました。写真左奥に北穂が見えます。最低鞍部は大キレットです。
南岳と大キレット(2013.5.31 11:52)
 28年前のこの時期にあの稜線を歩いたのが夢のようです。
 正面の横尾本谷とお別れをして、左手に曲がります。左はるか頭上の屏風の頭を回り込むように沢沿いの傾斜のある雪面を登り、いよいよ涸沢に入って行きます。
前穂北尾根(2013.5.31 12:38)
 徳沢から横尾に行く間に見えた北尾根の反対側に来ました。
 34年前、岳沢から前穂に登ったあとに、雷に追い立てられるように三四のコルから逃げ下った思い出深い景色に感動!
吊尾根と雪渓(2013.5.31 13:10)
 重荷に耐えかね何度も立ち止まる夫。でも宴会のウイスキー2リットルやおつまみを捨てる訳にはいきません。数パーティに抜かれながらも、ゆっくり登っていきます。アイゼンをつけている人もいましたが、この日は使わなくても登れました。
奥穂(2013.5.31 13:17)
 右の雲の噴出している付近が奥穂高岳と思います。それにしても好い天気に恵まれました。信州は梅雨入りしたそうですが、天気予報が外れて良かったです。
屏風の頭(2013.5.31 13:42)
 振り返ると北尾根の末端から続く、とんがった屏風の頭が見えます。下から見上げていた屏風の岩峰がもう目の高さに見えます。ゆっくりでも高度は稼いでいます。
涸沢ヒュッテが(2013.5.31 14:24)
 正面の丘の真ん中に涸沢ヒュッテが見えてきました。今晩のお宿です。見えていてなかなか着きません。
 
道標(2013.5.31 14:28)
 左が涸沢ヒュッテ、右が涸沢小屋です。稜線は、左から奥穂、白出のコル、ザイテングラート、涸沢岳、涸沢槍です。
涸沢ヒュッテに到着(2013.5.31 14:41)
 上高地から8時間余り、やっと到着。10分後に現役チームも到着し、懐かしい顔にも会えた。テント設営等を手伝いに行くつもりが、小屋の布団に寝転がったとたんに頭痛と吐き気が襲い、夕食も食べられない状態に。とほほ。楽しみにしていた現役テントでの宴会は早々に退席し小屋で早めに就寝。
北穂沢の様子(2013.5.31 14:41)
 28年前に登った北穂と東稜、ゴジラの背も見えます。東北の山に憧れ東北に嫁いだ身なので、「手垢がついたアルプスより、東北の山が好き」と思い込ませてきました。でも、穂高の手垢は毎年の雪で消され、変わらずに気高く美しかったのでした。
翌日、二日目の前穂北尾根
 (2013.6.1  7:38 夫撮影)
  翌日になっても体調は戻らず、頭痛吐き気にめまいも加わる。私は小屋に残り、夫だけ現役の雪訓を見るため、遅れて出発。写真は北穂沢の途中から撮った前穂北尾根。
 
北穂東稜下での雪訓
 (2013.6.1  10:39 夫撮影)
 北穂沢のゴルジュの上は少しだけ傾斜がなだらかになっている部分をトラバースして、東稜の下に至る。落石の少なそうな手頃な傾斜地で、現役がザイルワークやピッケルストップなどの習得の為の訓練をしていたそうです。(私は小屋のテラスで小さな点が動く様子を眺めておりました)
雪訓のようす
 (2013.6.1 10:49 夫撮影)
 結構な急斜面です。夫は、少しだけ雪訓を見てから、北穂に向かう現役と同行。山をなめてはいけません。常に運動不足の夫には試練が待っていました。行きはヨイヨイ、帰りが怖いが常なのが雪山です。
北穂山頂(2013.6.1 13:22 夫撮影)
 高曇りだが、槍ヶ岳が。
 北穂沢の下りは、かなりの傾斜。北穂直下は雪が硬いが、アイゼンをつけると3歩で足裏に団子ができ、滑落の危険がある為、アイゼン無しで下ってきたそうです。夫はゴルジュ付近で大滑落しましたが、無事でした。
夜の涸沢ヒュッテ(2013.6.1 19:15)
 二日目の夜は、食欲が戻り、初めて小屋の夕食を食べる。夕食後に現役チームのテント訪問をする。
 昔は山の歌や春歌を歌いましたが、今は無く、お酒もあまり飲まないのだそうです。少しもの足りなさを感じながらも、若人との交流は貴重な時間でした。
三日目の朝(2013.6.2 5:21)
 我々は本日が最終日で下山日ですが、現役チームは、今日まで訓練で、出発の準備をしています。天気は薄曇り。
ザイテンに向かう現役チーム
 (2013.6.2  5:40)
 早朝5時半に出発する現役チーム。リーダーはH氏。老体に鞭打って、子供世代の若者に雪山の技術を伝えようと、年間数回の訓練に同行している。彼は「現役が来るから、俺らも来れるんだよ」といたって謙虚だが、20代と50代の間に、3〜40代が一人でも居てくれたら、とポツリ。我々も彼を補佐するするつもりで同行したが、体力がついていかずに悪い見本をおみせしただけでした。
小屋の朝食(2013.6.2 6:12)
 朝食は6時なので、出発が早い人はお弁当に替えることができ、前日の夕食後に渡されます。初めて泊まった山小屋、一泊9500円也。
 ヒュッテには、Kスポーツ50周年スキツアー参加者50人程が泊まっており、今井道子さんのご主人ダンプさんも居られました。
涸沢雪渓を下山開始
 (2013.6.2 7:30)
 本日中に長野から宮城まで帰るので、時間がありません。名残惜しさをかみしめながら、下って行きます。後ろを振り返ると、ザイテン右下部で、雪訓をする仲間の姿が芥子粒のように見えました。全員無事に帰れますように。
 

涸沢全景(2013.6.2 7:38)また来たい素敵な所です。
穂高を愛し、昨年若くして病没した後輩の写真を埋めてきました。
この下で落石(2013.6.2 7:43)
 谷間に常念と思われる山姿が見えます。谷をさらに下ると、右手の屏風の頭周辺からの落石が、雪渓上のツアーの人達の列を襲いました。全員反対側の山の斜面を登って岩を避けていました。朝でも落ちる時は落ちる事を思い知りました。
涸沢トレッキング組(2013.6.2 7:57)
 ヒュッテに向かう別チームの若者たちに遭遇。皆元気です。
 
横尾に向かう(2013.6.2 9:07)
 ウエアと靴以外は全て30年前の装備です。昨日の滑落で左肩打撲、顔面でも制動したらしく、日焼けもあってか顔が人形焼のように腫れました。
徳沢付近のおさるさんたち
 (2013.6.2 11:15)
 徳沢の手前で、野猿の姿を。真ん中のサルをよく見ると子供が顔を出していました。
 お腹が減ったので、混まない小梨平で味噌ラーメンとうどんを食べてから、観光客で賑わう上高地に到着。10分待ちでシャトルバスに乗れました。
沢渡駐車場(2013.6.2 14:28)
 沢渡に到着。松本で風呂に入り、夕ご飯と土産の買物をして、高速に乗りました。帰宅は丁度0時でした。
 天候も良く、山を通じて若い人達と交流し、無地に帰宅できて本当にラッキーでした。
 
朝焼けの奥穂
 (2013.6.3 早朝H氏撮影)
 一日遅れの下山日の朝には、涸沢のテントサイトからモルゲンロートが見られたそうです。これだから山はやめられない・・・。
 今回涸沢に行って感じたのは、自分が高所に対応できなくなっている事でした。急傾斜の雪面で、恐怖を感じたのです。昔(20代)はそんな事はなかった。北穂沢の下りで怖かった記憶は全くないし、ゴジラの背もへいちゃらだったのに・・・。それがどうだろう。足がすくみ目まいすら覚え、うろたえる自分。
 TV番組で、目を閉じての片足バランスで何秒立っていられるかの実験をしていた。20秒は50歳代、60秒以上は20歳代らしい。私は多少走っているので、バランスは好い方かと思って試したら年齢相応という結果。頭の老化とともに、平行を保つ機能も衰えてきているのだ。目も悪くなっている。
 これが歳をとったという事なんだ〜としみじみ思い知らされたのが今回の穂高。マラソンでさえ、徐々に鍛えてやっと走れるのに、登山は徐々に慣らすという事をせず、昔登れたのだから大丈夫と、一発本番で難しい山に入る。中高年の事故が多いのも、そういう点も一因かもしれない。事実、今回北穂沢の下りで夫は、体力がもたず集中力も切れてに200m滑落した。無事だったから好いけれど、御灸をすえられた登山でした。
 もう、残雪期の穂高に登れないのかと思うと寂しいけれど、涸沢までは又来たいと思います。

〇本谷橋から上高地で出合った花々○


エンレイソウ ・ サンカヨウ ・ イワカガミ

ツバメオモト ・ オオバミゾホオズキ ・ ハシリドコロ

シロバナエンレイソウ・コナシ


 記載事項に関して、一切の責任は取りかねますので、ご了承下さい。必ず最新情報をご確認の上、お出かけになる事をお薦めします。また誤りがあれば、どうぞMAILにてご指摘お願いします。
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