太麻樹くんがスーパーバーカーズに挑戦した体験記を、雑誌「ダートクール」1995秋号に寄せています。
その記事を転載しちゃいます!!
スーパーバイクとは名前が似ていても、違うもの。
太麻樹くんの名文で、その世界を垣間見て下さい。
(編集部からの許可を得て転載していますので、無断で使用することはやめてくださいね)



 何年か前、僕がまだ80ccに乗っている頃、アメリカで開催されていたスーパーバイカーズというレースのビデオを見た。オンとオフ両方がミックスされたコースで、ロードレース、モトクロス、ダートトラックのトップライダー達が集結してレースをするという、正に真の世界一を決めるレースだった。
 ケント・ハワートン、ダニー・チャンドラー、リック・ジョンソン、ジェフ・ワード、エディ・ローソン、ウェイン・レイニー等、スーパースター達が、アスファルトのコーナーを見事なカウンターで立ち上がるのを見て、当時の僕は「アメリカ人らしい発想だなあ」と思うと同時に「自分も走ってみたい」という気持ちでいっぱいだった。
 '93年8月、鈴鹿に日本初のスーパーバイカーズが開催された。残念ながら、僕は本業のロードレースが忙しくて、出場することができなかった。結果は東福寺さんが優勝、塚本さんが2位だったと聞いた。やはり速い人はどこを走っても、何に乗っても速いのである。だから僕も出場してみようと思った。自分の実力をアピールするには最高の場所と思ったし、負ける気がしなかった。
 鈴鹿では、11月から、富士では'94年の5月からシリーズ戦として開催されるようになり、スーパーバイカーズもメジャーなものになりつつあった。何戦か出場を重ねるうちに、ぜひ本場で走ってみたいという気持ちになった。何年か前から本場の舞台がアメリカからフランスに移っていることを聞き、頭の中はすべてフランスに向いていた。そのことをダートクールのスタッフに相談してみると、すぐにフランスのプロモーターに「走りたい」という希望をFAXしてくれた。返事はなかなか来なかったが、レースの2週間前になってようやくOKの連絡をもらった。
 フランスのスーパーバイカーズは、日本ではあまり知られていない。だから、全くと言っていいほど何の情報もない。フランスのプロモーターからは聞いたのは「KX500とメカニックを用意する」と、いうことだけだった。
 そんな中、唯一の救いは、今回カメラマンの佐藤敏光さんが同行してくれるということだ。ヨーロッパを知り尽くしている敏光さんは、フランス語はしゃべれないみたいだけど、海外のレースの経験の少ない僕にとって、心強い助っ人だ。
 10月12日、期待と不安を胸いっぱいにフランスへと旅立った。
 パリには、12時間のフライトのあげく、現地時間の夕方に着いた。その日の夜と翌13日はパリ市内でのんびりと過ごし、翌日から始まるレースに備えた。
 10月14日、待ちに待ったレースの走行初日である。この日は午後から3本のフリープラクティスがあるとのことなので、昼前にキャロルサーキットへと向かった。今回レースが開催されるキャロルサーキットは、パリのシャルル・ドゴール空港から車で10〜15分の所にある。僕が泊まったホテルからも10分ぐらいの所だった。
 サーキットに着くと、もうたくさんのエントラントが来ていた。まず最初にびっくりしたのは、各チームのマシンだ。ベースはモトクロスマシンであるが、見たこともないパーツがたくさん組み込まれている。中にはエンジン以外、フレーム、リアアームはおろか、ハブまでアルミの材料から削り出している人もいた。ここまでくるとほとんど病気だ。まったく開いた口がふさがらない。
 まだある。ホイールとタイヤだ。もしかすると、ここではレギュレーションで統一されているのかもしれないが、レースに出場する車両すべて前後とも17インチのホイールを着けている。タイヤはというと、これがなんとロードレースで使うスリックタイヤである。もちろん、多少のグルービングはしてあるが、あまり変わらないだろう。何人かはフロントだけレインタイヤ(もちろんロードレース用の)やSPタイヤを履いている人もいたけど、ほとんどのライダーは日本でいうカットスリックだ。
 どうしてなのかは、コースを歩いてみてわかった。ここキャロルサーキットは、日本の筑波サーキットをもう少し大きくしたような感じだ。今回のレースレイアウトは、ほとんどがオンロードつまり舗装路で、オフロード部分は全体の10分の1、距離にして150〜200m位だ。しかも土はローラーでガチガチに固められている。ちょうど晴れた日の桶川のようだ。しかし、いくら固めても土は土。この上をスリックで走るなんて、やはり外国人の感覚はちょっと違う。
 ぶらぶらとパドックを見て歩きながら、プロモーターの所に挨拶をしに行った。片言の英語とフランス語で言葉を交わすと、今回マシンを用意してくれたチームへと案内してくれた。チームの名前はLes 2 Roues(2輪という意味らしい)。読み方は、日本人では正確な発音ができない。結局、僕は一度も正確な発音で読むことができなかった。
 フランスのスーパーバイカーズのチームの中ではハスクバーナのセミワークス的存在で、トップクラスのチームであるという。そのハスクバーナのチームなのに何で僕だけKXなのかなと思ったけど、あまり気にしないことにした。
 チームの人達と話していると、一人の男がニコニコしながらやって来る。バイルだ。敏光さんと、ひとことふたこと言葉を交わすと、僕の方に来て「ボンジュール」と言って手を差し出してきた。僕もすかさず「ボンジュール」と返した。バイルがフランス語を話すのを聞くのは初めてなので、本当にバイルはフランス人なんだなと思った。
 西宮や神宮で見たバイルとは違って、なんだかとても楽しそうだ。とてもレースをしに来ている男の目とは思えなく、遠足にでも来ているように笑顔が絶えなかった。
 バイルが「自分のパドックに来い」と言うので、行ってみるとマシンが到着した所だった。マシンを見ると、やはりギンギンに改造してあった。変わったパーツがいくつか付いていたので、何かと聞いたがはっきりと教えてくれなかった。人に言えないパーツなんてつけるなー!と思った。それとも僕をライバルと思っているのか?なわけない。
 よくよく話を聞いてみると、このレースのためにバイルとデマリアの二人で、半年も前からテストを重ねてきたと言っていた。ずるすぎる。遊びに来ているのかと思っていたが、どうやら彼は真剣らしい。
 今回のレースに出ている主なライダーを紹介すると、ジャン・ミシェル・バイル、イブ・デマリア、ジャッキー・マルテンス、シャンボール兄弟、ジル・サルバドール、ピドゥー等、豪華なメンバーだ。バイルとデマリオは言わずと知れているが、ジャッキー・マルテンスとは'93年のWGPモトクロス500ccのチャンピオン。
シャンボーン兄弟とは、兄のステファンと弟のボリスの2人で、ステファンはフランスのスーパーバイカーズのチャンピオン。兄弟でハスクバーナの契約ライダーだ。
 サルバドール、ピドゥーもシャンボーン兄弟同様、フランスのスーパーバイカーズ職人である。ピドゥーはフサベルというスウェーデン製のバイクの契約ライダーだ。
 午後になり、ゼッケンの奇数、偶数に分かれてフリープラクティスが始まる。僕は11番だったので、奇数組で走った。バイル、デマリア、シャンボーン(弟)達が同じ組で走る。走り出してまず最初に気になったのが、やはり前後17インチ&スリックタイヤの特性だった。しかし、コースもマシンも初めてなので、とにかく時間内を目いっぱい走ることにした。
 だいぶ感覚をつかみ、ペースも上がりかけたとき、また一つ気になることが出てきた。いくらみんなが速いとはいえ、直線は僕も全開のはずなのに、抜かれ方がハンパじゃない。全くエンジンが回ってないのだ。危ないくらいに遅いこのマシンで、約500mの直線が2ヶ所あるこのコースでのレースでは、非常に厳しいものになると思った。
 ちなみに先に述べたホイール&タイヤの特性というのも、実はトラブルであった。というのは、当然ホイール、ハブ、カラー、シャフト等すべて特注品で、造った機械のミスか設計のミスかわからないが、なんと、フロントタイヤがマシンのセンターにないのである。前から見るとかなり左に寄っている。まっすぐに走れるわけがない。さらにブレーキング時には、フロントフォークがタイヤに当たり、それ以上沈まない。ぶったまげてしまった。
 それをメカニックに指摘すると、「OK」と言いながらスポークをゆるめ始め、そしてリムが右に寄るようにスポークを締め始めた。やはり外国人の感覚はちょっと違う。目の前の状況に言葉が出ず、唖然としていると、スポークを締め終えたメカニックが笑顔で「OK!」と、言った。どうしていいかわからず、つい僕も笑顔で「メルシー」と言ってしまった。
 そんなトラブルに次々と見舞われ、まともな練習が一度もできなかった。

 

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