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| 第1回 甘粛省へ |
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2000年8月19日に帰国するまでの2年間、何人もの友人が中国に来た。その多くは「日本より貧富の差が 大きい」とやや批判的に評した。私も最初はそう思っていた。だが、日本の27倍の国土に、13億以上の人が暮
らしている。言語も習俗も違う多くの民族が住んでいるのだから、日本と比較するのは、中国にとって酷だ、と今 は考えている。
しかし、それでも教育の問題は深刻だ。貧しくて学校に行けない子供たちもいる。これは中国政府も認めている大 きな問題だ。このことに中国の学生は積極的に取り組んでいる。大学内では、学校に行けない子供たちのために、
学費や文房具を送る運動がいろいろな形で行われている。
そんな活動をしている学生と、支援を続けるカメラマンとともに先月15〜18日、広州から100キロ以上北 西にある甘粛省を訪れた。 |
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朝6時、隣で寝ていたカメラマンの王博さん(36)が起き、「今から一緒に撮影に行くか?」と聞く。「もちろん」と飛び起きた。顔を洗うため外に出て雨水をためたかめから水をくむ。後ろにいた王さんに「多過ぎる」と注意された。滞在した村では、水が何より貴重なのだ。コップ2、3杯分で顔を洗い、歯を磨き、王さんの取材についていく。同行した2人の学生は、まだ眠ったままだ。
村人に案内され、目的の家に向かう。ほの暗い中、牛やロバを追ったり、くわを担いだ住民に出会う。案内は、昨夜泊めてもらった民家のお年寄り。最初に訪ねたのは、王さんが既に3度訪問し、現在、北京の大学生からの援助を受けているという子供の家。60歳ぐらいにも見える女性が、ちょうど畑に向かう途中だった。王さんの姿を見ると駆け寄ってきた。彼女が子供たちの母親だった。夫は亡くなり、自分も体が弱いという。16歳、12歳、8歳の娘がいる。長女は働きに行っている。王さんの「連絡は?」の質問に、母親は「没信(手紙はない)」と答えるなり、突然、涙をあふれさせた。二女と三女が家から出てきた。
王さんは彼女たちに、学校での様子を尋ねる。二女は今回も成績が良かったと報告した。家の中には、学年3位の成績であったことをたたえる賞状を張っていた。 |

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王さんを知ったのは、私が日本語を教えていた曁南大学で開かれた彼の写真展だった。主催は学生会。貧しい農 村の子供がテーマだ。その写真展に王さんは、各地の小学校で調べた学校に行けない子供のリストを持ってきてい
た。その写真展を見て、援助を考えた人は、自分でその子供、学校、王さんに手紙で申し出る。3者から手紙がきて、本当に困っている状況が確認が出来たら、直接、郵便でお金を送ることになる。
曁南大学でこの展示会の手伝いをしていた学生の中に、日本語学科の学生がいた。張倩敏さん(20)と、蔡小苞さん(21)だ。彼女たちは、学生会の役員。王さんの写真を見て感動した2人は、私に王さんの活動について詳細に教えてくれた。
私も彼女たちを通じて、今回、訪れることになる高庄村の子供に援助をした。その結果を知りたいと告げると、 彼女たちも現地を見てみたいと応じた。できれば、大学の仲間にも伝えたいとも語った。そうしたいきさつがあり
、甘粛省行きが決まった。2人は、私の通訳と、学生会への報告を兼ねての旅となった。 |

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