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| 第2回 高庄小学校 |
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私が住んでいた広州から、甘粛省通潤県義崗郷まで3日かかった。広州から西安まで飛行機で行き1泊。西安か ら甘粛省第2の都市、天水まで列車で8時間。ここでカメラマンの王搏さんと合流した。王さんは現在、天水にあ
る古代石窟で有名な麦積山のふもとの植物園で、観光客椙手に写真を撮ったりしながら、農村の子供の撮影を続け 、写真展を開いている。
彼の写真家としてのデビューは、中国少年報という新聞の「我要上学(学校に行きたい)」写真コンクールでの優 勝だ。その後1991年から、学校に行けない子供たちの写真を撮り、北京や上海、広州などの大都市で、小さな
作品展を開いている。 |
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学生2人、私、王さんの4人で朝、8時にバスに乗り、途中2回バスを乗り継ぎ、義簡郷
に夜の7時に到着した。ここでは郷役場のお世話になった。日曜日の夜なのに、最高責任者の崔有乾・党書記(40)が 迎えてくれた。私たちの案内役は、郷の教育行政の責任者で、唯一の中学校の校長でもあ劉劉漢明先生(56)が務め
てくれた。今までの王さんの実績によるものだ。
劉先生によれば、郷の人口は約2万人へ甘粛省の申でも比較的大きな方だ。中国の西部に位置し、夜の8時前で もまだ明るかった。さらにジープに乗り、途申、何回かみんなで降りて砂ぼこりまみれになってジープを押したり
しながら、目的地の高庄村に向かった。
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高庄小学校で陳永鵬校長(25)が待っていてくれた。村の小学校で唯一、大学を卒業した先生だ。生徒数120人のこ の学校には、他に3人の先生がいて、みんな陳先生より年上だ。しかし、大学を出たので、校長になっている。彼
は甘粛省内の師範大学を卒業後、古里のこの村に帰るかどうか、悩んだと言う。
村での教師としての収入は月150元(約2250円)程度。都市部ならその10倍以上の収入がある。結局、この村の 教師でもあった父の意見に従い、ここで生きることにした。月150元でも、ほかの教師は月80元(約1200円)だから倍
近い。農業だけで生計を立てている人の何倍もの収入がある。
それでも、都会を見てしまった陳校長には、村での生活は厳しい。「ずっとこの村で教師を続けるかわからない 。今も都会で働きたい気持ちがあるのです」と素直に打ち明けてくれた。4畳半程度の寝室兼校長室が、陳先生の
住居だ。しかし、いつ天井が落ちるかわからないので、両親の家から毎日1時間の道のりを歩いて通っている。 |
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本当は村で1泊する予定だったが、宿泊できる家がないので、郷役場のある街まで戻ることになった。途申、何度 かジープが黄土にタイヤを取られ動けなくなる、みんなでジープを押している時、ちょうど月食を見た。乾燥した
空気、人工の光のない黄河の上流で星と、徐々にかけていく月食を仰いだ。
その日は1泊4元(約56円)の「招待処」と呼ばれる民家にお世話になった。 |
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