本  気

「本気」という言葉で、何かに拘泥しているわけではありません。 ただ単に、書き始めに思いついただけです。
文章だけの、オチャラケの世界です。 男二人の、言葉の弥次喜多道中みたいなもんです。


(免責条項)
「これから書くこと全てはフィクションです。ケナスこともホメルことも含め全ては無知蒙昧の徒が勝手に想像して書くことでしかありません。悪しからず」

ところで、TeraPadというテキストエディタを使って書き始めている。簡単なフリー・ソフトだが、Plug-inを加えるとWindows付属のNotepadよりず〜っと便利だ。フリーのユーテリティ・ソフトにはお遊び的なレベルのものが結構多いが、フリー・ソフトのテキスト・エディタには大変良くできたものがある。

しかし、只で配布している訳だから苦労もあるあらしい。このTeraPadも2チャンネルで酷く非難されていた。このソフトの配布初期段階にはスパイ・ウエアが組み込まれていたらしい。(但し、実際には知らない) フリー・ソフトには良くある、良くあった話で、多少なりとも収入が必要ということでやるんでしょうね。明示なくしてやってはいけないんですけどね。

ということで心配になって、使い始める前に評判を広くチェックした結果、現在は簡単なテキスト・エディタとして推薦される一つになっている様子。ということで使わせて頂いている次第。プラグイン開発者の方を含めて感謝しています。

フリー・ソフトの信頼度は、そのソフトのプラグインが色々な人達によって数多く開発なされているかどうかで、ある程度は判断できるよ。ついでに、出来ればレジストリをいじらないものがいいね。
なかにはとんでもないソフトがあり、---いったんインストールされたら、しがみついてしまって完全なアンインストールが出来なくなり、なにやら変な現象が表れてしまうことがあるからね。日本語で「源次」という会社が出すソフトには、そういうものが結構あったね。ホント、PCをクリーンにするのにエラク苦労したもんだよ。今でも一つ残っているけど。とにかく、レジストリにしがみついて、項目を消去するにもロックされてしまって出来ないんだよなぁ〜。参るよ、ホントに。

もう一度、さて、本題に戻って。エッ、本題って元々あったの!??
ごめん、なかった...アハハ。

高校生の頃から将来は小説を書きたい(小説家になりたいということではなく)と思い始めていたのだが、そのための具体的な努力というものを、何ともはや、したことがない。テーマも決まっていた.....いやほんとに。「美と偏見」−オースチンみたいな、全く無関係なのだが、テーマだ。実際に、思うだけの空想の世界を何年、漠然と過ごしてきたことか......いや、特別悪いことではないとは思っていたし思ってもいる。

歩いている時、ボーッとしている時などに何回ともなく書き出しの名案や部分的なストーリーなどを思いついたものだ。ただ、残念でもないのだが、名案と信じたものを書き留めたことが殆どない。チャンチャラ可笑しいんだけど。

それで???? それで決心した、しかも、4年間にも及ぶ怠惰に富んだ生活のどん詰まりに。今の時代を呆れる程に反映している!? 情けなくも恥ずかしくもないかって???? このような一般的なダメ人間は当然、情けなさも恥じらいも感じないのだよ。ただ、唯一感じるのは、時々はた迷惑な現象を伴う腹立だしさだけなんだなぁ〜、全く....

大昔の文豪(?)が「やりたい、やろうとしていることを口に出してしまうと、その意欲が削がれてしまうものだ......」という意味のことを書いていたが、全く同感だ。それが惰性の内部的な言い訳になるのだぁ〜、参ったか! 誰に言っとるんじゃぁ〜。
アホかおまえは。アホなんじゃぁ〜....って開き直ってみたところで何にも始まらない。自閉症!? これってハラスメントの内容になっちゃう?????

(蛇足;「おまえ」と書くのがいいのか「お前」と漢字にするのがいいのか迷うところだ。何故って、好きな「おまえ」はひらがなの多い文の中では埋没してしまって困るんだよなぁ〜)

いやぁ〜、ほんとに参った。今日の昼頃に書き出しの名案が浮かんでいたのだが、途中挫折(妻がPCの使用を要求した)があり、結局忘れた。
ながつか たかし
ところで、夏目漱石が絶賛したという長塚節(ながつかたかし)の「土」って読んだことある? 全く持って、所謂、面白くなく腹立たしい小説なんだけど、夏目漱石が脱帽したとしても不思議ではない、日本が誇れる純文学作品の一つだと思うよ。なんで一般に有名じゃないかって!? そりゃぁ〜、面白くないからだよ。だからお勧めしているわけではない。読んでも分からない人が多いんじゃないかって危惧するから....優秀だとか優秀じゃないとかは関係ないからね、念のため。勝手に怒ってしまう人がいるんだよなぁ〜。芸術の概念が分かってない人が多いんだよ。怒った? ごめん。その概念については後で話すね。勿体ぶらずに今話せって???? 間髪入れずにおまえの間違いを指摘してやるからって思っているんでしょ。だから分かってないって言いたいんだけどね.......まぁ〜いいや、今話すね。(こんなことのために長塚節の「土」を引き合いに出したんではないんだけど...まっ、いいか。)
芸 術
よく古典とはという解釈に「時代を超越して......」という表現が使われるけど、それが芸術の基本概念だとすると、とても面白いんだよ。何故って、それは人間あるいは人類の「進歩」いう概念に関係してくるからだよ。
短絡的に考えると、いわゆる各時代の特徴(属性)を取っ払った人類(人間の方がいいかも?)跡の最大公約数だよね。一体何が残る!? 人間社会が作った動物の概念に限りなく近いものだけが残るんじゃない????? そこでは人間社会が創った「進歩」という概念が否定されているんだよ。(まぁ、正確には間接的な否定だと思うけど。)

これだけじゃ何が言いたいか分からないよね。つまり、芸術=古典(内包)とするなら、芸術とは進歩という名の下に培われた人間の特徴を取り払った限りなく動物に近い人間の感性(心の方がいいかも)に働きかて、又は感性を刺激して生命の、あるいは生きていることの価値に感動させる作品(?)あるいは広い意味での創造物なんだなぁ〜。

実は、自分はそう考えてないんだけど、敢えて解釈するならってところかな。
ふざけるな!って思ってる?でも、上の説明なら間髪入れずに間違いを指摘できたんじゃないの???? 尤も、議論する気はないけどね。
上記の解釈に同意できるところは一ヶ所だけだね。それは、生命と生きていることに感動させるというところ、直接・間接を問わずにね。

芸術は古典に内包されるのではなく、古典を内包しているんだと思うよ。「時代を超越して」という概念で始めるから芸術がとんでもない方向に行ってしまうんだよ、きっと。もともと「時代」とか「歴史」とかいう概念は後世が都合のいいように使用できるものだから、使い方が難しいよね。
そういえば、学生時代の教科書にE.H.Carr著「What is History?」というのがあったね。(E.H.Carr=1892年6月28日-1982年=イギリスの歴史家、政治学者、外交官)
歴史認識という観点だけではなく、「認識」ということ自体に興味を持たせてくれた刺激的な本だったよ。

芸術は人間固有のものなのか否かは知る由もないけど、時代を超越してとか、動物と違ってとか曰うのではなく、個々の人間の存在を意識した自我に基づくものだと思うよ。自我は人間個人個人固有のものだから、クローンといえども同じ自我にはならないんじゃないかな。(この議論は今はしないよ〜ん。)
自我と自我を五感(視覚, 聴覚, 嗅覚, 味覚, 触覚)を通して融和させる(部分、全体を問わず)方法の一つが芸術なんだよ。融和すると言うよりは、触れ合うと言う方が良いかも。
もっと素直に、岡本太郎さんのような言い方をすれば、自我の発露の方法の一つが芸術だぁ〜!(「の」が連続しすぎ?)
芸術「家」は、芸術の表現方法に秀でた人と言えるだろうな。

その分野の明哲な専門家でもないので、まぁこんなもんですかねぇ〜。
なに? 異議あり!なの? そりゃまぁ異議もあるでしょうねぇ、困ったことに。でも、一個と一個だけの自我の触れ合いは芸術とは言えない、芸術はもっと多くの人々を魅了するものだ、などとは言わないでね、お願いだから。

さて、長塚節に戻る? 何の件だっけ!?なんて思ったんじゃないの?
別に長塚節を知らなくとも生命にも生活にも不都合は生じないのだから、何らの不安にも囚われることはないですよ。(むしろ、知らない方が生活に異常を来さないかも。)
「土」
「土」を今は亡き(?)コンコルド的に説明しますと、社会の底辺層はバカだから、コツコツと努力を重ねて底辺層から浮かび上がれそうになった時にバカをやり、結局は元の木阿弥になってしまうという内容の小説です.....とは言ったものの、ごめん、高校時代の記憶だから正確ではないかも。
何れにせよ、どこが秀作なんだぁ!?と思うでしょう。

小説の優秀さは、如何に読者を作者のバーチャルな世界に取り込み閉じこめ、どれだけ作者の意図する内容を信じ込ませるか、あるいはどの程度、作者の自我と融和させることが出来るかに関わっているんだよ。これって芸術の解釈に似てない!? あったりまえ! 小説は芸術の一つなんだもの。(またぁ〜、横道に逸れちゃった。)

それで、「土」は? おっと、そうだった。
その小説にはね、「なんで、なんでそんなことやっちゃうのよ。バッカじゃないの〜。分かり切ったことなんだから、ちょっと注意すれば済んだことじゃない」と読み進めながら思うことでも、読んだ後で妙に(?)納得させられてしまうんだよなぁ〜。

ねぇ、分かり切った馬鹿なことってやったことない? 自分は数え切れない程あるけど。数え切れない程バカってことかもね。
分かり切った馬鹿なことってのはね、こうやれば、こうなって、あーなって、そして失敗することは分かっているくせに、同じ間違いを性懲りもなく繰り返すことなんだけど。なに!? 日本語にそんな言い回しはない??? そりゃぁ〜、ラッキー! 新語だよ〜ん。
何れにせよ、しょうもない馬鹿なことを繰り返す人は、働けど働けど我が暮らし楽にならざる、ってことになるわけ。わぁ〜、自分のことだぁ!

分かったよ、分かったから長塚節を引用した目的をハッキリさせろよ! 本当にまどろっこしいんだから。
これからだよ、これから。物事には順序ってもんがあるんだから。

何故、小説が書けなかったのかという背景を考えるに、自分のように底辺層に蠢いている者は書くチャンスを捉えるほど賢くはなく、その上、分かり切った馬鹿なことを繰り返す日々をイタズラに送ってきたということなのだ・・・・

これで繋がった(つながった)と思うけど、如何かな? 呆れて口あんぐりするんじゃない!

どうも嫌なんだよねぇ〜、こういう私小説的な展開は・・・・
己の馬鹿さ加減の言い訳を大婉曲的に書いてどうすんじゃぁ〜! アホらし。

よし、それでは今流行っているバラエティー風に展開するぞ!ってそんなに気張るなよ、どうせダメなんだから。それより、何でも良いから真面目に小説書いたらぁ。自費出版ていう手があるし。棺桶の中にも本を入れてもらえるよ、頼んどけば。但し、冊数を精々2-3冊にしておいた方がいいよ。万が一、売れ残り全部棺桶に入れられたら火葬に時間が掛かり過ぎて、超過料金がバカにならないよ、きっと。それとも、生焼けで出されるかも。

バカ言ってんじゃないよ! ブラックジョークにもなりゃしない。えっ、ジョークじゃない!? まいっちゃうよなぁ〜、まったく。

昨日ひらめいた書き出しを思い出してしまったよ。思い出したら、何でこんな書き出しを名案なんて思ったんだろう、とちょっぴり落ち込んでしまったね。どんな迷案だって? いまさら恥を隠す必要もないだろうっていうんだろうね。分かったよ。

ある作家が題材を考えているときに、自分の天才的なひらめきに感激してしまった。
面倒臭いことは一切やめて、百科事典の一ページ目から順番に題材を拾ってゆけば、一作家にとって無尽蔵に近い題材を手に入れたことになる。百科事典だから項目ごとの説明・解説付きだ。
ワオー! これで死ぬまで書けるぞぉー、っと思ったね、そいつは。

百科事典だから、ABCかアイウエオ順に項目が並んでいるだけなんだけど....それでいいのかね?
イイんだ、イイんだ。項目ごとの関連づけはフィクション作家の才能が創造(?)してしまうんだから。
ホントかいな???

嘘か誠かはさておいて、単に怠惰なそいつのヒラメキは、本がベストセラーになった時のことにまで先走ってしまった。
おお、そうだ。賞金100万円のクイズを出そう。問題は; A作家は特殊な方法を用いて本を書いております。さて、その方法とは?

おまえね、そんなアホなこと考えて、書きもしない前からベストセラーになった気分に浸っていたら、書く意欲が削がれやしないか?
いや、違うね。努力というものにはゴールというものが必要なんだよ。分かるだろ。ゴールがあるから人はみんな頑張れるんだ。
セット販売みたいなことを言いやがって。そのみんなの中に、おまえは入ってないんだろう。
おい、おい。変なこと言うなよな。みんなと言えばみんなということで、当然入っているだろうがぁ。
まぁ〜な。少なくとも頭数では入っているんだろうねぇ。

漫才やっとるんとちゃうでぇー! おれは真面目に考えてるんだ...茶化すなよ。
あっ、そうなの。バラエティー風にやるんじゃなかったの。
だぁ〜れが漫才風に仕上げてくれって頼んだよ。おまえはチョット黙って、暫くおれの話を聞くだけにしろ。いや、相槌は打っていい。ただ黙っていられると気持ちが悪い。
ヘェ〜、相槌はいいんだ。それで、どんな相槌ならいいんだ???
勝手にしろ!

ところでさぁ、色々と頭の中で想像が駆けめぐって、書きたくなるようなことがどんどん湧き出てくる時間帯ってない? おれは午後だね。大体2時頃から4時過ぎ頃までかな。
おまえねぇ〜、真面目に考えてるんじゃなかったの。昼飯食って、満腹状態に満足しきって2時頃までは頭もお昼寝してるんだろうがぁ。夕方頃には夕飯を食う準備に体が取りかかり始めて、頭もソワソワしてくるんだろ。だから、頭が少しは真面目に働いてる時間帯は2時から4時半頃なんだよ、おまえにとっては。
そんなことないだろォ〜。午前中だってあるしさ、夜もある....
そんなことあるんだよ! 午前中おまえの頭は未だ目覚めずで、夜はテレビのバラエティレベルの頭になってしまうじゃないか。 現実を直視しろよ、な、頼むから。

ところで..
おっと、おまえ「ところで」が多すぎない? 追い込まれるといつも「ところで」になるわけ?
そうじゃないよ! つまんないことに拘泥していてもしょうもないから、話題を変える時の枕詞じゃないか、突っかかるんじゃないよ。
はいはい。

それにしても本の値段が上がったねぇ〜。35−40年前の2桁倍になるんではと思えるほどじゃない。一般の商品では値上がりに関して敏感でもあり、市場価格は上がったり下がったりするもんだが、本の市場価格に関してマスコミは何でこんなにも無関心を装うのだろうか???
またぁ〜、分かり切ったことを社会の七不思議みたいに言う〜ね。誰だって、そりゃぁ〜、都合の悪いことは言わんわなぁ〜。
新聞社
マスコミっていうと、大衆を代弁する公明正大な大手新聞社は株式会社だって知ってた?
それがどうした?
それがどうしたって....興味ないの?
いや、そういうわけじゃないけど。
じゃぁ〜どういう訳なんだよ!

おまえね、言い方の態度良くないよ。おれは知ってるが、おまえは知らんだろ〜、ありがたく聞け!というような傲慢なニュアンスをもった言い方が多すぎるんだよ。注意した方がイイよ。おれみたいなお人良しだけじゃないからね、世の中は。

別におれはそんなこと考えて言っているわけじゃないよ!

そんなこと思ってなくともだ。受け取る側にそう感じさせてしまうこと自体が問題なんじゃないか。子供じゃないんだから、そんなつもりじゃなかった、では済まされないことって少なくないんだから。
例えば; たまたまマスコミが閑なときに(滅多にないことだけど)ある小さな破廉恥事件が起きた。大袈裟にする事件ではなかったが、閑なものだからマスコミは実名入りで大々的に取り上げてしまった。間もなく、その事件を起こした本人が自殺しちゃったね。エッ!? しまったっぁ〜、そんなつもりはなかったのにぃ〜とマスコミは悔やんだが、後の祭りだったね。尤も、本当に悔やんだかどうかは疑問だがね。

おい、例が極端すぎやしないか!? なんでおれ個人の言い方に馬鹿なマスコミ報道が引き合いに出されなきゃならんのだ??? それとも、おれの言い方で誰か自殺でもするっていうのかね?
盗っ人猛々しいみたいな開き直り方をするんじゃないよ。確かに例は極端すぎたが、分かり易さという点では好例じゃないか。つもりがなくとも、思わぬ結果になることがあるから気を付けろということだよ。
まぁ〜な。それは分かる。しかし、そんなに大袈裟におまえに非難される程のことなのかなぁ〜? ともかく、おまえを怒らせてもしょうもないので気を付けることにするよ。

さて、ところでだ....おっと、おまえまたチャチャ入れるんじゃないの?
飽きた。先に進んでよし。
了解。それではだ...うん!? あれ、何の件だっけ???
おまえ、批判されてかなり動揺してるようだな。新聞社がどうのこうのだよ。

...おお、そうだった。その、新聞社は株式会社って話だけど、株式会社の基本目的は知ってる?..おっと、これは意識しちゃうよな...
しなくていいよ、面倒臭い。株式会社の目的は利益追求だよ!
そ、そうなんだよ。なんだかんだ言っても、とどのつまりは金なんだよ。例えば、最大手の新聞社のトップは、記者出身ではなく営業出身だからね。営業で会社の利益に大きく貢献した実績でのし上がったんだよ。
だからなんなんだよ?
だから....もうクドクドと説明するのは面倒だ! 株式会社が公明正大であり得る筈がないじゃないか! それにも拘わらず、マスコミおよび知識層と言われている連中は新聞社=公明正大という幻想を庶民に与え続けてきているんだよ。
ホントかいな? ところで、っと...おれも使うけど。まぁ、意識しすぎないようにしような。ところで、おまえね、論点外してない??? 多分このままじゃ"落ち"なしになっちゃうぞ。
うん?.....
おまえ今言ったことで満足してしまったんだろう。
何かおれ抜かしてる??.....
まっ、イイか。この話題には飽きてきたし。今更って気もするし。
何が今更なんだよ! いわゆる、古くて新しい問題なんだぞ。聖人君子みたいな顔をして、とどのつまりが自分のところに利益誘導しているんだから始末に悪い。そうだろう。違うか?

いや、その局論上は異論ないよ。
なんだぁ〜、その"局論"てぇ〜のは?? 各論の間違いじゃないのかぁ。多分辞書にないぜぇ、そんな言葉。
そうかぁ〜。無いだろうなぁ。局地戦争などで使われる"局"だから、各論よりは当を得ているように思えてね。
あっ、そうか。各論てぇ〜のは、総論の対義語だけど総論あっての各論だからねぇ、ちょっと使いにくいよね。
そうなんだよ。やったぁ〜、また造語だぁ!
やれやれ、これがおまえの好きな"落ち"になっちまうのかうよ。イイけどさ。まっ、おめでとうさん。

なんか、つまんないなぁ〜。
どうしたんだよ??? 急に。
なんか、生きてること自体に競争意識をもたされているようで....虚しい。
そりゃ〜しょうがないだろう。おまえの性格なんだから。何でも勝ちたがるじゃないか、変に意識して。悪いことじゃないよ。そういう人も結構多いんだから、いや、そうじゃない人より圧倒的に多いかもね。だだね、勝てなきゃ落ち込むんだよね。これが問題だぁ、なんてね。勝ちたいという意識が強すぎんだよ。性格的に潔癖性の範疇になるんだろうけど、おまえの場合は違うね。
どう違うんだよ?
おまえは甘やかされて育ってしまったので、ただ欲張りなだけだ。ただし、物欲よりも精神的な部分が多いので表面に出てこないケースが多いんだろうね。
なんだよ。一体何が言いたいんだ。
つまりね、おまえは身の回りの誰にでも精神的な部分で勝ちたいんだ。あいつはあんな部分で威張っているけど本当に大切な部分ではおれの方が勝っているんだ、と思い込みたいんだな。だから、その勝っている部分が見つからない時に酷く落ち込むんだよなぁ〜。それで、今回は何が対象になっているんだい?
.........
おい、おい、どうしたというんだ!?
いや、べつに.....
鬱病かよ!
かも......
イイ加減にしろよ。慰めて欲しかったら内容を教えろ! 情けないことなので具体的に言えないんだろう。何かスポーツをやれよ。おまえのそういう問題点を出来るだけ表面化させないようにすにはスポーツをやるのが一番だぞ。但し、ゴルフのように汗だくにならないスポーツではダメだ。
なんで?....
暗夜行路
おまえ、志賀直哉の「暗夜行路」って知ってるな。(志賀直哉:日本的私小説の完成者とされています)
ああ、読んだことはある。といっても高校生の頃でうろ覚えだけど...それがなにか?

おれも大して内容を覚えているわけじゃない。最後の方で鳥取県の大山に仲間と登るくだりがある。たしか、体調不良でじわ〜っと脂汗が出てきて、ふらふらになって登れなくなってしまうんだ。仲間は先に行かせて一人だけ途中の大斜面に大の字に寝転がって吸い込まれそうに青く晴れ上がった大空を見上げる場面で、主人公の彼は思うんだなぁ。
いいか、これから言うことは多分おれの勝手な記憶で実際の小説の内容とは多少(?)は異なっているのではと思わないでもない。しかし、主人公が言わんとしていたことは外していないと思っている。だから、茶化すんじゃないぞ。

分かったよ。茶化すもなにも、おれ自身たいして内容を覚えているわけじゃないんだから。
それも困ったもんだけど、まぁ〜いいか。
主人公は妻の不貞に深く悩んでいたんだが、大斜面に大の字になったその場面で彼は、この広い世界(宇宙)の中でウジウジと悩んでいる自分が情けなく益々ちっぽけな存在に思えてきたんだ。ここで、彼は妻を許そうという気持ちになったんだよ。
....それで? それが何でゴルフと関係するんだよ。コジツケするなよな。

ウ〜ん...興味のないやつに説明するのは疲れるのォ〜。おまえに興味をおれが持ってないという意味ではないぞ。
回りくどい言い方するなぁ。こっちが疲れるよ。いいから先に進め。

こんなことを申し上げたら志賀直哉先生きっと、大いにお冠になられることだろうが、多分有名税の一種としてご勘弁頂けることでしょう。
おまえ、バッカじゃないの! おまえと先方じゃ永遠に、この世にサヨナラした後でさえ無接点だろうがぁ。安心しろ。
まぁ〜ね。冗談の通じんやつだな。
その主人公がね、何故に不貞妻を許す気になったかということが問題なんだけど、分かる?
だから、人間はもっと心を広げて寛容性豊かになり、小さなことに拘泥せず、大きく羽ばたけとでも言いたいんじゃないの? なんか長ったらしくて嫌な表現だね。
正解はそんなところだろうね、多分....
何だ、その「....」は?
いや、おれの観点はチョット違うんだ。おれも高校生の時読んだんだけど、おれが持った読後感だけは比較的クリアに覚えているんだよ。何もったいぶってんだよ!コジツケが文学の基本要素か、などと思ったんだよ。
つまり、生理学的に主人公は疲れ果ててしまって思考能力が極度に落ち込んでしまった状況下で、妻の不貞をクヨクヨ悩むことに嫌気がさしたんだよ。一種の自己防衛本能だね。

ふーん、なるほど...確かに疲れてくると面倒臭いことは考えたくなくなるね。でもさ、何で面倒臭いから離婚だとは思わせなかったんだろうね、作者は?
そこなんだよ、重要な点は。とどのつまりが、主人公は妻に惚れていたんだね。不貞する程の妻だから、それだけ性的にも魅力があったろうしね。不貞しようが何しようが、いわゆるイイ女はイイ女なんだよ。別れたくないが嫉妬で腹が立つ、という一見、二律背反の状況をいわゆる文学的にアウフヘーベンさせたんだよ、分かる?
アウフヘーベン
何だよ、そのアウフヘーベンってのは?
まぁ〜今ではポピュラーではないからね。良い概念を持った好きな言葉の一つなんだけど、思想的に利用されすぎたね。ヘーゲル弁証法のキーワードの一つだよ。おれも、そんなに学んだわけではなく読み・聴きかじりの範囲を出てないんだけど。

辞書では;
アウフヘーベン[Aufhebenドイツ] 弁証法で、矛盾・対立する二つの概念を、その矛盾・対立を保ちながらより高次の段階で統一すること。止揚(しよう)、揚棄(ようき)。

となっているね。おれ達の時の本の日本語訳は「昇華」だったと思うけど、辞書は違うんだね。尤も、辞書の方が正しい解釈だと思うね。
「昇華」の辞書での意味は;
@固体が液体になることなく直接気体になること。また、気体になってのち再び固体になること。◇ドライアイス・樟脳しょうのうなどにみられる。
A精神分析で、充足されない性的エネルギーが社会的価値の高い芸術活動や宗教活動に置換されること。
B物事がより高尚な状態に高められること。また、高めること。「庶民の生活感情を美的に─した絵画」

となっている。まぁ、本の翻訳者が「昇華」を使いたかったというのも分かるけど、完全に読者に誤解を与えたね。
アウフヘーベンの最も重要な概念は、対立する二つのものが高い(高尚なでも何でもイイ)次元で統一された時に、それらの対立していたものが無になり全く新しい一つのものに生まれ変わるということではなく、対立がなくなりお互い高め合うものとして存在し続けるということにあると思う。尤も、おれの解釈は信仰でしかないのかもしれないが。

おまえ、イイ加減にしとけよ。アウフヘーベンなんて、おれにとってはどうでもいいよ。学生時代の中途半端な思考形態に戻るんじゃないんだろうな? みっともない。

そんなつもりはないよ、勿論。何だ、と問われたんで久しぶりに思い出しただけだよ。ただ、ついでにもう少し分かり易く話すね。概念という言葉を具体化する場合、犬と猿が一つの例になるんだよ。犬猿の仲という言葉があるとおり、犬と猿は対立関係にある存在という概念が成り立つね。ところが、家庭でペットとして一緒に飼われている犬と猿は仲がいいというケースもあるわけだ。仲の良いケースは、正にアウフヘーベンされた(した?)状態なわけだ。ペットの飼い主にとっては非常に好ましい状態だよね。
エッ、犬と猿にとってはどうかって? 敢えて言うと、分からない、ってところかな。
何故って、すべの概念、価値観は人間社会が作り出したものだから他の動物社会には当てはめられないんだよ、分かるだろ。唯一共通する価値があるとすれば、種族保存のためになることだろうね。だけど、自然界の摂理を曲げてまで人間が意図的に他の種族を保存するってのはどうかと思うけど。

確かに、人間の勝手な欲望でもって他の種族を色々な意味で規定しようとすることには問題があるね、なんっちゃって。
しかし、そんなことを考えること自体に意味があるのかね。そんな思考分野と没交渉でも何ら問題ないどころか、却って、普通に生活を楽しむという意味ではアンタッチャブルの方が有利になるんじゃないか?

おまえの理解の方が多分正しいね。どういうわけか、人間には目的もなく考える楽しみも付与されているので、どうにもはやだ。思うに、マスターベーションと一緒だね。
そうだ! 上手いこと言うねぇ。人類にとって意味のない行為、それがマスターベーションだぁ〜。これって、新しい概念じゃない!?
そうに違いない。やったなぁ〜。おめでとう!
茶化すなよ! こんなので新概念になるわけないだろうが。

ところで、このエディタの既定桁数を変えたね。
そうなんだ。76から80に変えたよ。80がどうも用紙A4番の標準みたいなんだ。
なるほど、この書き込みを印刷(プリント)するケースを考えているんだな。まっ、99.99パーセントありえんだろうけどね。
フォ−ナインかよ、そう言うなよな。この流れのなかで、そのうち世に出せるものを書こうと思っているんだから。
それも変だね。テキスト・エディタというものは編集機能に優れていて、後でどうにでも変更(編集)できるんではなかったかな。意識しすぎだよ。
まぁ〜ね。

それから、ついでに言うと、文に統一性が欠けてるね。欠けすぎだよ。同じ言葉でも漢字だったりひらがなだったりしてるし...
おっしゃるとおり。言葉ごとにどっちが良いか今でも迷っているんだよ。
視覚と、声に出さなくとも実際に読み進めたときの感覚とを考慮した場合、「漢字」・「ひらがな」・「カタカナ」はそれぞれ異なった気分・感覚を読み手に与えるんだよね。
「漢字」は、当然ながら視覚的に分かり易い、しかし、日常あまり使われない漢字は非常に堅い印象を与えてしまう。ちゅうかんにばんての「ひらがな」は、これでもわかるとおり、言葉の単位が視覚的に読み手にスムーズに入ってこない時が多々ある。読み手を困惑させないために読点(、)を多用することになってしまう。
「ひらがな」「カタカナ」
しかし、「ひらがな」は読み手に日常的な滑らかさを与え、余分なギクシャクした意識を持たせずに書き手の内容を負担無く追わせることが出来るんだ。(句読点は、ひらがな・カタカナが使用され始めた当時は使用されておらず、初歩段階の読み手を助けるために使用され始めたようだ)

さて「カタカナ」は、一般的に外来語の日本語発音に使用されるが、「ひらがな」をわざわざ「カタカナ」で表現することによって読み手に高いキー(高音)の感覚をあたえると思う。音を表現する際に「きー、きー」よりは「キー、キー」と書かれた方が体に細い電気が鋭く走り、冷たくクスグったいような震えを与えてしまうような高音を感じさせてしまう。
勿論、これらの感覚差は学び慣わされたものであって、文字固有のものではないけどね。

こりゃまた長いウンチクだったね。この場合の「ウンチク」はどのケースに当たるのかね?
確かに追加の解釈が必要だね。この場合、漢字の「蘊蓄」は日常的に使われないので避けたいわけだ。でも、ひらがなで「うんちく」とすると、チョット含蓄のある漢字をひらがなで表記していますという注意を読者に喚起できないように思うんだよ。
ついでに、カタカナ「チョット」は「ちょっと」よりもう少し量が少ないというニュアンスを出したいためだね。実際どう感じるかは読み手次第なのだけど。
標準の表記を変える時は、書き手が標準の表記とは多少異なったニュアンスを伝えようとしているケースが多々あると思うよ。単純なミス以外はね。

なるほどね。確かに、漢字が多用されている文章は気分的にも酷く重く感じてしまうし、ひらがなやカタカナが多くしかも長く続く文章は読みづらいね。
まぁ〜、そんなところだ。専門書などは、初めから理解しようとする努力が必要なことを、覚悟して読み始めるけど、エッセイや小説などはそうではないからね。

同じジャンルの小説を作者を変えて何冊か読んでみると、自分にとって読みやすい小説とそうでじゃないものがあることに気付いたりするよね。まぁ〜一般的には、文章の専門家が書いている小説という意識が読み手にはあるので、読み辛さは自分の記憶力や理解力の無さに原因があると思っているもんなんだけどね。

おまえはどんな文章で書きたいんだ?
そうだなぁ、在り来たりな言い方をすれば、誰にでも読みやすく簡単に理解しやすい文章を書くことが理想だね。まぁ、無理だけどね、能力的に。かといって、美辞麗句が書けるわけでもないし、優美な文章なんてトテモトテモ、いや、謙遜などではなくだよ。
但し、努力しだいでは衒学的には書けるかもしれない。

なんだぁ、その「衒学」ってのは?
その意味は、「学を衒(てら)う」=「学問や知識があることを自慢すること」=「学問を鼻にかけること」ということだね。
なるほど...それならおれも出来るかもしれない。
エッ、まぁ〜ね、否定はしないよ。
何だよ、傷つく言い方するなぁ〜。

ところで、ジャンルはどうするんだ? 純文学とか...まぁ、それは無理として、推理、冒険、私小説、カルト、SF、サスペンス(冒険と一緒?)、ホラー、恋愛、少女....なんかこう並べてみると色々ありますねえ。
理想としては新ジャンルを作りたい。小説を通して読者に人間の価値観を是正してもらい、是正された価値観でもって理想の社会の方向を考えてもらうことができる小説(?)だね。啓蒙とも言えるかもしれないが、いわゆる啓蒙書ではなく、虚構(皆が好きなバーチャル)の世界でバーチャルな体験を感じてもらい、その体験が価値観を是正してゆくという流れを作ることが理想なんだ。

おいおい、カルト的な新興宗教の世界と五十歩百歩になっちゃうぞ。
うーん...嫌なこと言うね。どうやって反論したらいいんだろうか。考えもしなかった落とし穴を見せられた感じだよ。

なんだよ、大袈裟に沈考なんかするんじゃないぞ。
ああ、今更だからな....
そうだ、そうだ。
ところで、物理学に理論と実証ってのがあるよね。
なんだぁ〜、突然に。今度は科学か???
いや、さっきの宗教と関係するんだがね....
まぁ、イイや。続けて続けて。
理論物理学
理論物理学とは、いや待てよ、そのまえに「理論」とはのお復習い(おさらい)をしておく方がいいね。
理論とは「対象とする実験結果あるいは現象の論理の法則性の構造を体系的に記述したもの。自明の公理、原理を出発点として、適当な仮説、仮定、近似などの手法を用いることもある」とWikipediaに記載されている概念なんだけど。
要するに、論理的に正しい概念の構築が「理論」と言えるだろう。
そして理論物理学とは、今まで証明されてきた真理あるいは自明とされていることを基に論理的に正しく構築された仮説と言える。

チョット、やめてよね。エンドレスになりそう。論理とは、原理とは、法則とは、仮説とは、概念とは、真理とは、自明とは.....全部説明する気かよ!?

とんでもない。学者じゃないんだから、そんな煩わしいことなんかやらないよ。でも大学で初めて学んだ論理学は、最初チンプンカンプンだったけど新鮮みがあったね。体に染みついている既成概念や既成の思考形態を変えることが如何に大変かということが分かったよ。大学生ぐらいになるとかなり固まってきているからね。論理学は高校生か中学生の高学年から教え始めるのが良いんじゃないかと思うよ。

おまえ、本当に横道に逸れるのが好きだね。いわゆる、筋道立てて体系的に考えてゆくのが不得手じゃないの???
......二の句が継げない...憎ったらしい言い方するね。
ビンゴ! 的を射られたんだろ。
わかった、わかったから元に戻らせてよ。
どうじょ。

さて、理論物理学が活躍する話題性のある分野の一つに宇宙の法則があるんだが、一つの現象を、仮説をたてて理論的に解明するわけだ。例えば、宇宙は開かれているのか閉じられているのかという命題に関して、何人もの理論物理学者たちが個々の仮説をたてて論理的に解明してゆくという学問だ。

なんだぁ、その開閉扉みたいな話は???
いや、扉とは関係ないんだけどね。今の宇宙が広がっているということは学説的には主流なんだけど、広がり続けるのか、またはある時点で拡大が止まるのか、止まったとしたら縮小し始めるのかなどは分かっていないんだよ。(注: 宇宙が広がっているということに関して赤方変位を根拠にすることを疑問視する学者もいらっしゃるようだ)

ふ〜ん、よう分からんけど、どっちかっていうと、どうでも良いような気分だね。
まぁ〜ね。おれもそうだよ。実際に手が届く分野でもないしね。
だったら何故そんなことしゃべってんだよ。

つまりね、理論物理学は実証されなければ意味がないんだが、それを実証するのが実証物理学者なわけだ。実証物理学者は理論物理学者の打ち立てた理論を実証しようとするわけだけれど、どの理論を選ぶかは、どの理論を正しいと信じるかなんだよね。

なるほど。どの学説の理論も論理的には正しいわけだから選ぶのが大変だな。一人の実証物理学者が全ての学説の実証をトライするということは、正に物理的に無理だろうからな。
そこなんだよ。かれらの選択は信仰の世界みたいなものなんだ。違いは、一旦信仰したら、その信仰が間違っていたか否かを判断しなければならないということだがね。

オーケー。理論・実証の物理学は、これで一段落かな? どうしても言いたくなるなぁ、それでどうしたの?とね。
だから、"自然科学の代表的な物理学の世界でさえ宗教的な要素があるのだから、ましてや文学的な分野ではそういう要素があっても不思議はない"というオチにしたかったわけですよ、わかる?

おやおや、カルトの世界と五十歩百歩と言われたことを結構気にしていたわけね。それに対する弁明のために物理学を引っ張り出してきたとは、物理学にとってはイイ迷惑なんじゃないの。
まぁ、そういうなよ。どんな分野でも宗教的な要素と没交渉にはなれないんじゃないかという仮説なのだから。
仮説ときたね、奥ゆかしいじゃないか。頼むから、宗教とは何ぞやなどと言い始めるんじゃないぞ。
言わないよ。宗教を理解するには認識論の世界に入り込まなければならなそうだし、面倒臭いって感じ。
よかった、よかった。

全く違う話になるけど、人それぞれだからといって議論をやめようとする人が結構いるよね。
そりゃぁ、いるだろうな。面倒臭いと思ったり、こんな奴と話なんかしたくないと感じたり、話題に興味自体がなかったり、色々あるんじゃない。
確かにそうなんだけど....しっくりしない感じがすることが多々あるんだよね。特に、自分より若い人と話をしている時に、そういう状況に陥ることがあるんだよ。
要は、逃げられるんだな。クドイ、シツコイなどと思われてね、そうだろ。
う〜ん...まっ、どうでもイイか。
何だよ。おまえだって、その結構いる部類じゃないのか!?


ブルーのグラデーション・ライン
2006年4月2日 (日) −このホームページを作成する以前の材料です(^_^)
鬼が人間の女性と結婚をした。無理矢理だ。
彼女は自分が身ごもらされたことを知り、産まれてくる子どものために開き直ることにしたのだ。人間として産まれてくるのか、恐ろしい鬼として産まれてくるのかはどうでもいいと思った。何故そう思ったのか後で後悔はしたのだが、子どもが自分の中に宿ったことを知った時、彼女はこの子を失いたくないという沸き上がるような気持ちが立ち止まって考える理性を拒絶してしまったようだ。

人間の妻は悪魔の子どもを一人だけ産む。
鬼は人間の一生の間では殆ど歳を取らないが、人間の妻は年を経るとともに老婆になってゆく。
妻は夫である鬼に言った。
「わたしが年老いてゆくときは貴方はきっと私を捨てることでしょうね」
「いや、おれはおまえを手放したくはない。ただ、おまえも年老いてまでは生きたいと思わないだろう。だから、おまえが年老いたならおまえをおれが食ってしまう。それでおまえと永遠に一緒いられることになる」

妻は当然に年老いていった。一人っ子の子どもも大きく育った。自分はそろそろ夫に食べられるのだろうと思い始めるた。

一ヶ月ほど前から妻は体調の異常に気づいていた。今回の体調不良は長すぎるように思えたが、子どもの結婚準備に追われ気が張っていたせいもあり病院にも行かずに過ごしていたのだが、ある日とうとう体が悲鳴をあげて倒れてしまった。
病院には運ばれた妻はそのまま入院してしまう。(病名は後で考える)

夫は医者から、妻の残り少ない命を告げられる。夫は毎日妻の病室に通った。
「もう駄目みたい。もう私の役目は終わったようね。いつ食べても良いわ」
「こんな病気のお前を食べたら、おれも病気になってしまうじゃないか」
「鬼でも病気になるの?」
「そりゃ鬼だって病気になるさ」
「今まで病気したこと無いじゃない」
「病気になるようなことを避けてきたからなんだよ。」

どうも上手く表現できない。落としどころは、鬼が深く妻を愛していたということを表現したいのだ…勿論、妻は、自分は利用されているだけだと思っていたという状況下で……


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