出産体験記
出 産 当 日 |
おとといの晩一睡もできなかったためか、昨夜はぐっすり休むことができた。軽い陣痛で夜中2、3度目が覚めたがたいしたことはない。今朝は6時から陣痛を起こすための薬を飲んだ。今日こそはと思ったが薬を飲んでも一向に陣痛の起こりそうな気配がない。結局お昼から点滴をすることになった。薬は、陣痛ホルモンの分泌をうながすホルモンの役割を果たすが、点滴は陣痛ホルモンそれ自体である。つまり薬は間接的に陣痛をおこし、点滴は直接的に陣痛を起こすというわけだ。 11時半頃から点滴を始めた。すぐにお昼御飯が出された。シイタケの上にハンバーグを乗せた一口ハンバーグとちらし寿司である。食べるときに食べないと、長い陣痛の間にくたばってしまう。中には吐いて食べれなくなる人もいるが、私はおかげで吐き気もなくばくばく食べてしまった。ここの産院の食事はすごくおいしいのだ。あまりにもおいしいので夫にも食べさせようと、一口ハンバーグを残しておいたら、看護婦さんが入って来て、「(お食事は)もういいですか?」と聞くので、さすがにダンナのためにとっていますとは言えず、下げてもらった。 午後2時頃から陣痛が本格化してきた。呼吸法はそれまで深呼吸だけだったが、助産婦さんに「深呼吸で苦しかったら、はっはっふーにかえなさい」と言われ、その通りにすると少し楽になった。先生が点滴の濃度を徐々に上げていく。急に濃度を上げて陣痛が急激に強くなると、赤ちゃんが子宮から出ようとするがまだ充分子宮口が開いていないため、出るに出られず板ばさみになって苦しむらしい。そのために徐々に陣痛を強くしていくのだ。 午後3時頃になるとますます痛みが激しくなってきたが、陣痛の合間に助産婦さんに、「笑みがもれるぐらいだったらまだまだね」と脅かされた。母がつきっきりで背中をさすってくれる。それだけでずいぶん痛みが違う。苦しむ私を見ているだけでどうしていいかわからない夫に、助産婦さんが「手を握ってあげて」とアドバイス。 午後5時頃になると陣痛の間隔も2、3分おきになり痛みもかなり激しくなった。もう話したりするどころではない。陣痛の間全身から汗が吹き出る。夫が暑いのと勘違いしてパタパタと扇ぐので、思わず「やめて」と言う。陣痛の間はものすごく汗が出るのだがそれは冷や汗のようなものであって、陣痛がおさまったときはものすごく寒いのだ。痛みはますます激しくなる。母が背中をさすり、助産婦さんがお尻を押さえて足をさすってくれる。お尻を押さえてもらうとすごく楽だ。陣痛の間は横向きになって寝ているほうが楽である。私の場合、足を曲げてお腹の中の胎児のように丸くなった格好で陣痛に耐えた。夫に手をぎゅっと握ってと頼む。陣痛の間いきむといけないので、なるだけ力を入れないよう努力するのだが、何かをつかんでいないと耐えられない。それで、自分で何かをぎゅっとつかむより、誰かにしっかり手を握ってもらったほうが力を入れなくて済むし、楽なのであった。 午後6時頃に先生が診察に来た。陣痛は仰向けなっていると余計痛みが激しく感じる。だから診察中陣痛が来るとすごく苦しい。叫びそうになりながら、看護婦さんや先生に励まされて必死で耐える。「今8センチですね」 やっと子宮口が8センチ開いた。あと2センチ。 実は後で知ったのだが、この後先生が家族に、まあ今日中には産まれるでしょうと言ったらしい。つまり夜中までに(あと3、4時間以内)には産まれるでしょうということである。それで夫は自分の実家にまだもうちょっとかかると電話をしたらしい。 先生の診察の後に来た陣痛で、急に赤ちゃんがお腹の下の方にぐっと降りてきた。それまで何度も先生や助産婦さんに「降りてきた感じ」があるかと聞かれ、うまく答えられなかった私。そうか、これが「降りてきた」という感触なんだ。でもそのときはそのように考える余裕があるわけもなく、私は夫に向かって「赤ちゃん出るー!」と叫んでいた。その後4、5回陣痛がきただろうか、いきむなと言われていたが、これはもうどうにも耐えられないと思ったときがあった。それまで足を曲げてお尻につけんばかりに耐えていたが、そのときはもうどうにでもなれという感じで、自分では力が抜けたように思ったのだが、どうもいきんでしまったらしい。後でわかるのだが、いきんでしまったため子宮頸(けい)管が3センチほど切れていた。 午後6時20分頃先生がきてくれた。家族を外に出し私を見るとすぐに看護婦さん達に指示を出す。にわかにまわりが慌しくなる。陣痛の来ている私の肩を叩きながら、看護婦さんが「もう分娩台ですよ」と励ましてくれる。私はそれを聞いて死ぬほど嬉しかった。陣痛というものは子宮口が充分に開くまで耐えているときがすごく辛いのであって、いざ赤ちゃんを産み出そうといきむときはまだ楽なのである。それにしても急であった。先生は今日中と言っていたのだが、まさか20分後に私が分娩台へ上がることになるとは誰も思っていなかったに違いない。 分娩台の準備ができ、陣痛のおさまっている間に歩いて分娩台へ移動する。陣痛促進剤の点滴をつけたままなので、チューブを引っかけないようにゆっくり移動する。分娩台に座り、分娩に備えて消毒などの準備がされる。その間にも陣痛は絶え間なく襲ってくる。うー、早くいきませて! 先生が「ダンナさん、立会いを希望してたね、準備して入ってもらって」と看護婦さんに指示。さて分娩の準備が整い、いざ、いきむぞ! ここで一つレクチャー♪ 「じゃあ、固い便をするような感じでいきんでください」と先生。まずは第一回目。こん身の力ふりしぼっていきむ。先生に「上手、上手」と誉められ、一旦息継ぎをしてからもう一回いきむ。そこへ夫が準備ができ登場。分娩が始まったのがあまりにも急だったので、第一回目には間に合わなかったのだ。 産まれた娘はきれいにされ産着にくるまれて私の横のベッドへ。2週間も予定が遅れたわりには2632gと小さい赤ちゃんだった。最後に軽い陣痛が起き胎盤が排出される。「はいこれが胎盤ですよ」 事前にビデオで見ていたので驚きはしなかったが肝臓みたいな赤黒いプルンとした物体。先生が出産後の処置をしながら、「あー、陣痛のときいきんじゃったから子宮頸管が3センチほど切れてますねー。でも縫っておきますから心配ないですよ。」と言った。内部だからなのか痛みはぜんぜんない。会陰切開のあとも縫ったが、注射で麻酔を打ってから縫ってくれたので、これまた痛みはなかった。とにかく無事出産できてホッとした。 娘は産まれたすぐから何故か目をパッチリ明けていた。ダンナ曰く、「(出産に)立ち会ったら絶対赤ん坊を取り違えるなんてないよね。」 それくらい産まれたての娘の顔には特徴があった。私が分娩台に寝たまま娘を抱いて、母も一緒に家族4人で記念撮影。後でテレフォンカードにしてくれるそうだ。産後はそのまま分娩台で2時間安静にする。母とダンナは夕食を取りに行った。 2時間後娘は新生児室へ、私は個室へ移った。父もかけつけてくれた。私は出産後かなり興奮気味で、出産についてあーだこーだと喋りまくった。看護婦さんが暖めなおしてくれた晩御飯もぺろりと平らげ、父は唖然としていた。とにかく最初が大変だっただけに、無事出産できてよかった、よかった。 |