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東京マラソン完走記 

北海道千歳支笏湖ウルトラ遠足 

2014.9.14(日) 参加費:100kmはホテル一泊込17000円
                参加賞:Tシャツ
名前を刻したメダル賞状    

  ● コース
 大雨で恵庭岳山麓の走路は変更になり、千歳市と苫小牧市のサイクリングコースとな
る。
高低差も少なく、交通事故の危険も少なく走りやすいコースでした。但し単調です。

  ● エイド(6箇所・13回通過)

  7、20、25、30、35、40、50、60、65、70、75、80、93km地点
  
(実際の距離は主催者の表示とは違う。距離の合計も100kmに満たない)
  給水は主に水、たまにスポーツドリンク、給食はバナナ、梅干
(無かった)
   ロールパン、ブドウパン、チョコデニッシュ、チョコ
(質量ともに乏しい)
  ※25kmと75kmの支笏湖温泉駐車場に、配布レジ袋に入る量の荷物や食料を
  デポできる。
  ● トイレ
 
水明卿の簡易トイレ、25kmの支笏湖畔、折返し手前の276号沿いの簡易トイレ
 50km地点での石屋さんのトイレをお借りした方もいたようです。

  ● 救護車 3台ありとの事でしたが、実際に見たのは夜8時頃の1台のみ。

  ● 注意点
 夜6時半以降も走るランナーにはライト必携。熊鈴も必携。
 夜に真っ暗な樹林帯を一人で走る胆力、コース認識力も必要です。

  ● 気候
 当日晴れたが、朝晩は12℃、昼は24℃。夜は歩くと、寒い。
 後半に歩くランナーは、長袖の上下ウエア、手が凍えるので薄い手袋も。
 反面、40km、50kmのランナーは、午前10時スタートで気温が上がるので、
 暑かったそうだ。

  ● その他
・受付・ゴールは、主催者の川崎さん一人で。エイドは若い女性数名での私的な大会。
・案内のはがきも大会10日前頃になって届く。
・参加者100人程のこじんまりしたもの。100kは朝5時スタート、制限時間が17時間。
・事前受付、スタート、ゴール、デポ荷物預けと受取は千歳市のかめやホテルのロビー。
・大会詳細の説明は、大会前日の夜6時半〜夕食時にホテルの食堂にて。
・かめやホテルに泊まると、大会当日の朝食は3:45〜4:15に特別に食べられる。
   ※かめやが満室で他の千歳市内のホテルに泊まった方もいました。
・ゴールでは、タイムを自己申告し、賞状と完走メダルとデポの荷物を引き取る。
 この受渡しをご高齢の川崎さんがお一人でされている為、漏れや混乱がある。
 これを見かねて、先に走り終わった参加者が、ロビーで補佐をしていた。

  ● かめや周辺
 千歳駅から1.4km。徒歩20分位。徒歩5分でコンビ二あり。
 徒歩10分で、ラッキーというスーパーや100円ショップも有り。

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支笏湖ウルトラ遠足の感想 

      ※自分用の記録なので、読みにくくだらだらと長いですよ〜。

 制限時間が17時間のウルトラが北海道であるという。ちょっと遠いが、震災を経験し、走れる時に走っておきたいと思い、2回目の100km挑戦となった。

大会3日前の9月11日に、開催地の北海道千歳市、苫小牧市、支笏湖畔に避難勧告発令。12日解除となるも、大会が行われるのか不安を胸に、仙台港からフェリーで苫小牧に向かう。

 大会前日9月13日晴れ。苫小牧港到着。フェリー船着場より、タクシーで噂のマルトマ食堂へ。行列に並んで、大盛りの海鮮丼が昼食。壁一面の来店記念の芸能人(田中マー君、鳩山さん等)の写真の多さにも驚く。海岸沿いの食堂から苫小牧駅まで徒歩。街路樹に名残のハマナスの花と実を見て、北海道を感じる。道路も広い。

苫小牧からは電車で千歳駅へ。久々の北海道。線路脇の花や、支笏湖の外輪山の雄大な景色が嬉しい。千歳駅から徒歩でかめやホテルへ向かう。駅前通りから道道16号のセブンの角を左折。千歳橋を渡ってすぐに6階建程の、こじんまりしたビジネスホテル(創業90年)に約30分で到着。

大会前日のかめやには、主催者のGさんがたったお一人でホテルの玄関に待機。かなりのご年配に見え、受付チェックや説明、ゼッケン・Tシャツ・コース図の配布等、忙しそう。

私はまず、支笏湖湖畔で25k、75kmで自分の荷物をデポできることを確認。これは朗報だった!

チェックイン後、夕飯まで時間が有ったので、同行の7人で、明日走るサイクリングコースの下見をした。16号を渡る地点を確認したのが後で役に立った。自転車道路は樹林の中と聞き、私はヒグマが怖かったので、下見の帰りに熊よけの鈴を探す。セブンから約300m程(16号沿いの陸橋の手前)のスーパーラッキー内の100均ショップで購入できた。

かめやの食堂で、6時半よりGさんのコース説明。コースが土砂崩れのため山道のコースから、千歳と苫小牧のサイクリングロードのみのコースに変更になったこと、トイレは、7km地点と、支笏湖しかないこと、(50km地点の石材屋さんでトイレを貸りる了解を取った)などの、説明があった。熊は出るか?の質問には「今までの大会では出ていない」という事だった。説明を聞きながら夕食を頂く。ハンバーグと焼きエビ定食。そばがあったかも。

ホテルのご厚意で、3:45〜4:15に朝食を用意してくれるとの事。これには安堵する。

夜は、各々シングルの部屋であったため、食事後は気遣いなく呑気に走る準備が出来た。寝る前に、全身にテーピングを施し、床に着いたのが9時半。しかし部屋が暑くて眠れない。クーラーのスイッチを鏡台の引き出し付近にやっと見つけた。ラジオのスイッチのようで見逃していた。11時になってやっと就寝。

 3時起床。30分で走る身支度をして、食堂へ。夕食より豪華な感じの朝食。温かいご飯と味噌汁が有難い。コーヒーもあり。

朝5時のスタート10分前に、フロントにキーを預ける。そう広くないロビーに全員納まる位の参加者。皆でぞろぞろと玄関に出て、笛の合図でスタート。勿論私は一番後ろから着いていく。

ホテル前の道路を横切り、千歳橋を渡ってすぐ(ガソリンスタンドの手前)を左折。自転車道入口の看板がある。

ホテルから約200mでサイクリングロードの起点。千歳川を左に見ながら、川沿いの舗装道を走る。2人並んで余裕で走れるような道巾であり、白いセンターラインがある。(コースの詳細は「支笏湖公園自転車道」で検索すると出る。)

道央自動車道の高架をくぐり、なお進むと自転車道が途切れる。道道16号を信号機のある横断歩道で横切り(3.3km地点)、支笏湖に向かって右側の歩道を走る。

主催者表記7km(実際は5.6km程)の第一給水所が見える。水を頂く。16号の歩道をまっすぐ行こうとすると、「こっちですよ」と森の中の自転車道を走るように言われる。分岐の近くにトイレがあるとGさんに教えられたが、ずいぶん(1km余り)行くと、トイレらしき建物が。先行のAさんが「トイレが閉まってる〜!」と涙声で訴える。あらら。欄越レストコーナーという所らしいが、用は足せず、通過。

 開かずのトイレからやや(800m位)行くと、さけますふ化場が右手に見える。ここを過ぎると、広い林道わきの自転車道は坂道となるが、坂はわずかで、左手に走る16号との分岐に出る。合流といっても、自転車道は、ガードレールや柵に守られて16号の脇を並走する感じ。走っていて車の危険は全く無いので安心。

 でも、左に自動車が走っているので、トイレに逃げ込みできそうな場所が少ない。そんな所でトイレに行きたくなる。仕方なく道脇の樹林に分け入る。ほっ。

 すっきりして先行のAさんとにやっと追いつく。札幌からの青年(Sさん)が声を掛けあい追い越していく。

Aさんとよもやま話をしながら、朝7時台の爽やかな一本道を走る。前方の紋別岳周辺の山が少しずつ近くなる。千歳市街から、支笏湖の外輪山に向かって走っていくイメージ。ただ、10時スタートの40kmの参加の方のお話では、この付近は日陰が無く、暑かったそうだ。後でみるとさけますふ化場分岐から、16号を沿って走るこの直線区間は、水明郷分岐まで約9kmある。その分岐から植林された広葉樹林帯を走ると水明郷と呼ばれる砂利の広場に到着。

あれっ、簡易トイレがある。想定外のトイレに喜ぶ。この一帯は王子製紙の発電所がある桜や紅葉の名所らしいが人影はない。西を向いていた走路はこの辺りから東向きになり、砂利広場から約3kmで道道16号線と国道453号線の合流地点に着く。ここが20kmの第2エイドだ。このエイドのお嬢さんは、わざわざ我々に駆け寄って紙コップを渡してくれた。バナナも頂く。

20kmといっても、距離側では約22km、サイクリングロードHPでは24.22kmとなっているのでどれが正解か不明。渡されたコース図の距離表示を信じていたので、予定到着時刻を過ぎていて、がっかりする。

まあがんばろう。走路は自転車道を一旦離れて、国道453号線の歩道を支笏湖温泉に向かう。ここからはほぼ下り坂。外輪山から火口湖である支笏湖に下りていくイメージ。シコツは大きなくぼ地という意味で、支笏川が削った一帯(千歳市付近)を指すそうです。

 下りの途中で、同行の走友4名の方々と次々に会って元気を頂く。Sさんも大きく手を振ってくれて、互いにエールを交わす。おバーさんに近いオバサンに手を振る若者は滅多にいないので単純に嬉しい。樹間に支笏湖を、右手上に小学校を見ると、すぐに支笏湖温泉の駐車場。道路の右手にエイドがある。公共のトイレや自販機(コース脇での自販機はこの地のみ)や蕎麦屋もある。8時50分到着。距離は25kmで合っている。

 ここは行きの25kmと帰りの75kmのエイドでもあり、ランナー各自の荷物をデポできる場所。車庫のような場所の机に預けた荷物の袋があった。前日にエイドの食べ物は期待できないと事前の情報を得ていたし、デポ可能!と聞き、自分の好きな食料を大量に置いていた。私は、飢餓状態にはまるで適応不能で、食べ物がないと走れないのだ。

 先輩のCさんから、食べ物は早めにとるようにアドバイスを受けていた。25kmではまだおなかは空いていなかったが、並走のAさんには先に行って貰い、ゆっくり時間を取って食べた。Bさんお勧めのユンケルとおかゆ。好きなシュークリーム、おなか一杯になる。そして、トイレに行く。2箇所あるようだが、三角屋根の方に行く。冬の寒いときの退避所をかねているのか、トイレ以外のスペースが広い。

 支笏湖温泉からは来た道を戻るので登り坂なのですが、食料補給で俄然元気が出る。折り返しで自分の後ろにもランナーがいたことを知る。80歳台のランナー、若者のグループ、あと数名のランナーとすれ違う。温泉からエイドまで5kmとなっているが、実際はは3.2km程なので28。2km。

 分岐のエイドでは、またまた心優しいお嬢さんが紙コップを持って駆け寄ってくれる。有りがたく頂く。

 国道276号を信号機で渡り、今度は苫小牧の自転車道に入る。ここから50kmの折り返しまで緩やかな下り坂となる。支笏湖の外輪山から海に向かって下っていくイメージ。全長17kmだそう。(苫小牧支笏湖サイクリング道路で検索すると数件ヒットする)

国道276号に沿った苫小牧自転車道から0.9kmで、モラップの分岐の看板。右手奥に信号機がある。支笏湖畔に下りていく観光道だが、我々は自転車道を直進。すでに千歳市から苫小牧市に入っている。

途中、80km、70kmのランナーとすれ違うといっても二人だけ。前後に誰も見えない一人旅となる。苫小牧自転車道に入って3.6キロ走ると276号を渡る箇所に出るのだが、その手前に私設のエイドがあった。スポーツ刈で眼光は鋭いが心優しいTさんが、クーラー冷水やビスケットなどをご馳走になる。冷却スプレーまで勧めて下さり、後半の道中ではとてもお世話になった。勤務先の部下の若者数名をサポートをしているという。後に知るがこの方は前回このコースを走られて、給食・給水の乏しさを思い知り私設エイドを思いついたそう。部下だけでなく、我々遅いランナーには特に給水や給食をして下さり、助けられた。

このあとのエイドも、ぬるい水のみか、レーズンロールパン、チョコデニッシュ、バナナ等あればいい方で、あるはずの梅干も欠品していた。中間を走るランナーは欠品に近い状態だったエイドもあったそうだ。あまりに乏しい給食を見て、先に走っていたFさんが「あとからランナーがもっと来るので、量的に足りない」とエイドのお嬢さんに進言してくれたお陰か、最後尾に近い我々は補給された後だったのか、全く何も無い、という状態は免れた。

そもそも、Gさんが善意滅私奉公孤軍奮闘状態のこの大会。私のような遅いランナーにとって、制限時間17kmの100kmマラソンは、存在するだけで有り難い大会。文句は言えない。失礼だがGさんの年齢からすると、来年の開催が有るかどうかも不明。出られただけで幸せというもの。

水がぬるかろうが、スポドリが無かろうが、バターロールに味がついてなかろうが、飴が無かろうが、15km以上もエイドがなかろうが文句は言えない。

そのために、25kmと75kmに荷物デポ地が有るのだと、自分的には納得していた。

 Tさんの私設エイドを過ぎると、道を渡り(約32km付近)、反対側を自転車道が走るようになる。しばらくして35kmのエイドだ。70kmの人はここで折り返し。但し距離が一致しているかは不明。

 この辺りで、Aさんに追いつく。ここからゴールまでは、ほぼ一緒に走ることになる。苫小牧市の自転車道は、見やすい1kmごとの距離表示があって、ペースを計りやすかった。時々サイクリングしている人や、トレーニングで走っている若者に会う。ママチャリと違って警笛がないので、走っている横を音も無く近づき急に追い越したりするので、ひやっとする事もあった。10時を過ぎ、だいぶ暑くなってきた。まっすぐな道路なので単調である。道脇で一回用を足す。

 40kmのエイドに到着。80kmのランナーはここで引き返し。なおも走り出すと、道の脇に、エゾオヤマノリンドウ似の花、カワラナデシコ似、ヤマハハコ似、ハクサンシャジン似、ミヤマアキノキリンソウ似と高山植物が数種あったのにびっくり。亜高山帯なのだろう。

ナナカマドの実は色づき、ミズナラのどんぐりもたくさん落ちていた。ミズナラの葉っぱも大きいような気がする。白樺や針葉樹の植林、道脇には翼のあるカラタチ?のようなものもあった。ゆっくり観察したかったが、今日は完走が目的。走りながら、しばしの慰めとなった。

 40kmを過ぎると、自転車道路はトンネルをくぐって、276号の反対側に走るようになる。

直線で0km位だ。道路わきに仮設トイレがあった。ベンチもある。

単調な道。キロ表示の1kmを一つ、またひとつと進めていく。7〜7.5位のペースだ。自転車道というより広い歩道のような所もある。

 折り返しで同行の3人と行き交い、又エールを交わす。Sさんも又大きく手を振ってくれる。時間を置いて次々に行き交う折り返しのランナーと出会うちに、高速道路の高架をくぐる。これは朝に千歳でくぐった道央自動車道だ。苫小牧へも通じているのだ。苫小牧の海岸まで4キロの地点だ。

 まもなく、50kmの折り返しのエイドがみえた。(距離測で計ると47km位のようです)エイドといっても、全エイドが、おりたたみのキャンピングテーブルだった。エイドのお嬢さんもそのテーブルで待機している。一人の所と二人の所とあった。ボランティアかバイトさんなのでしょうか。給水サービスは未経験らしき方もいたが、概ね若い女性で感じが良かった。

パンの他に、テーブルに昼ごはんのおにぎりとお茶が置いてあって、私はそれをランナー用と勘違いして、「わ〜オニギリがある!」と叫んでしまった。ちょうど12時に到着したので、お昼だったのだろう。お嬢さんは次々に到着するランナーの対応で昼を食べる暇がなかったのだ。おにぎりも2個位でおかずもない様子だった。

この辺りで、事前にワセリンを塗らなかった、内腿のサポートタイツの縫い目が、こすれて痛むようになった。だめもとでバンドエイドありますか?と聞くと、すみません〜と首を振る。給食のパンを一つ食べて、痛み止めと胃薬を飲む。又ウエストポーチに、薬局で買った300mlの平たいボトルに、水を入れていたので、持っていたスポドリの粉末を溶かそうといれていると、お嬢さんがボトルに水を入れてくれた。疲れて段々と細かい作業が手間取るので、有り難かった。

 また、ここはトイレが無い。近くの石材店さんのご厚意でトイレは借りられたようであるが、我々は使わなかった。

  さあ、50km、あと半分。今度は70kmまで緩やかな登りなので、根性を要す。おまけに、昼過ぎで暑く、だいぶ疲れてきている。

 時々、世間話などA子さんとして、気を紛らわしながら進む。まだ数人の後続のランナーと行き交う。まだピリではないようだ。登りなので、1km10分のペースだ。11分の時もあった。往路で入った仮設トイレを又使う。

 トンネルはまだか〜と思って走ると、やっとトンネルで、60kmのエイドはまだか〜と思って我慢して走ると、そこに着いた。バンドエイドはここでも無くて、内股のひりひりは続いた。前回の100kmの時もこのタイツをお履いたがそんなことは無かった。加齢とともに皮膚も弱くなるようだ。

 給水後、Aさんのピッチが上かった。今まで登り10分/kmのペースから、8分に。段々離れるが、我慢してついていく。帰りに眺めようと思っていた樽前山の雄姿を見る余裕が無かった。暑くて単調なゆるい登り坂だったので、この辺りが一番消耗したかも。行きに見た道脇のリンドウと青さとナデシコの赤に少しだけ元気を貰う。Aさんのハイピッチがまた10kmにもどったあたりで、65kmのエイドに。ここでバンドエイド持参のお嬢さんがいらして6枚も頂き救われる。お礼を言うことしか出来なくてごめんね。

 このエイドで「足がもうダメです」というSさんに追いつき、一瞬元気になるが、我々の走りより彼の歩きの方が早いので、先行して行くとすぐに姿は見えなくなる。

 私設エイドのTさんもいらして、「足を冷やすといいよ〜」と、持参のアイススプレーを薦めてくださる。大変有り難いお話だったが、ふくらはぎの圧着サポーターを下ろす手に力が入らず、諦める。でも、バンドエイドのお陰で内腿のヒリヒリは無くなり元気になる。

 日は傾き始め、木陰に入ると走るのには適温になってきた。往路と同様、復路も276号の国道を横断する。またまたT上司の移動エイド。貴方の冷たい水はこのコースで最高に美味しかったです。お菓子も頂く。感謝。

 信号が見えて、あれ?もう分岐と思うが、トラップへの分岐だった。でも1km足らずでで、70kmのエイドだ。背丈より高いススキの穂に見え隠れしながら、ただ走る。70km(距離測で65km付近か?)に到着。

 でも、ここでは休まずにもう3km余りで75kmの支笏湖のデポエイドなので、Aさんには次でゆっくり休むからと断って先に行かせて貰う。

 下りでSさんに追いつき、まもなく同行の恩師Bさんに会い、「完走しましょう」とがっちりと握手を交わした。Aさんも追いつき、3人で支笏湖畔に到着。午後4時であった。

予定通りのタイム。

 自販機とトイレに向かう二人とは別行動で、私はまず自分のデポ下に持つ置き場に行く。特大サイズの白いレジ袋に、着替え・雨具・はさみ・キネシオテープ・ミニ懐中電灯・貼るカイロなど。食料は保冷バックに、重たい程に各種どっさり入れてある。

 まずはお楽しみのプリン、師匠おすすめのユンケル、おかゆを半分を食べる。さすがに胃も疲れていて、そんなには食べられない。でも食べなきゃとがつがつ流し込んでいるところをTさんに見られてしまう。そうだ!と思いつき、デポしていた、チーズ蒲鉾・小口饅頭、大福餅、などを今回の給水サポートのお礼にTさんに渡す。Tさんは、甘党でないようであったが、受け取って下さった。彼だって、早朝から可愛い後輩のために休日奉仕しているのだった。流石にちょっと眠そう。

 食べ終わって、懐中電灯を帽子にセットし、あと25kmの捕食用の小型ゼリーとバンドエイド・飴数個をポーチに入れる。夜の部の寒さに備えて、お腹にホッカイロを貼り、ベストのウインドブレーカーを着た。このホッカイロはかなり役に立った。

 AさんとSさんがエイドに戻ってきた。さっそくみたらしだんごを勧める。みたらし団子は塩分補給にもなり、水分も多いので疲れていても何とか食べられ、コンビ二で手軽に買えるので、登山でもよくもって行く。

 自販機でSさんは「キリンのガラナ」を買ってきて、紙コップについですすめてくれた。コーラに似た北海道限定飲料だそう。オロナミC風味のコーラという感じ。そういえば、苫小牧のマルトマ食堂で、ホッキカレーガラナ付きというメニューがあって、ガラナってなにかしらね、と思ったのがこの飲み物だった。

 大量の補食のあとトイレにも寄り、また俄然元気。先行のAさんも追いつき(Aさんが待っていてくれたのだと思う)80kmのエイドだ。(実際は74km弱と思う)

 まだ余力はあったので、なるべく日没前まで走ろうと二人で決め、とことこ走った。砂利の広場まで来て、まだ薄明かりだ。トイレに寄る。

水明郷から10号に道が沿って走るあたりで、薄暮の中に歩く人影が。Sさんであった。

 聞くと、豆が足の裏全体に広がり、走るのは無理なのだそう。持っているバンドエイドを薦めると豆の面積が広いので、不要との事。そんな足でも歩を止めずないとは、初ウルトラ完走への執念と根性は並大抵ではない。トライアスロンとサッカーが趣味という。「どうぞお先に」と言う彼は懐中電灯を持っていない。日は暮れもう闇が濃くなってきて、彼を捨て置けなかった。走りを続ける余力はまだあったが、夜道も心細かったし、あと20キロ弱なので、制限時刻の10時には到着できそうな気がしたので、3人一緒に歩くことにした。

 疲れはあるが、体で痛いところは無く、おしゃべりしながらの歩きになってだいぶ楽になった。

2時間余り、飽きるほど歩いて、やっとさけます場への分岐に来た。16号から樹林帯に入るので、全くの闇夜である。急な下り坂で頼みのセンターラインの白線が落ち葉で隠れている。足への負荷もかかる。足の豆の彼も辛そうである。
そうだ!ストック!C先輩が竹を折ってストックを作って後輩のEさんを救った話を思い出すが、夜道で適当な枝を探すのも難儀である。
適当な枝を見つけたがそれを折る腕力が無かった。

 やっと7kmのエイドに到着。水とパンを食べる。気がつくと3時間余り水も摂っていなかった。手先が冷たくなってきた。

16号の車道に出て、Sさんが「明るいので先にどうぞ」とおっしゃる。携帯を持っていたAさんが先にホテルにゴールした仲間に連絡すると、皆ホテルのロビーで私たちを待っているとの事。「遅いので休んで下さい」とAさんが仲間に伝えているのを聞きながら、8時を回っていたので、9時過ぎにはなるが10時の制限時間内には間に合いそうだと思う。それでは、少し走ろうということになる。

 思ったよりすぐに、自転車道の分岐に着く。暗くてわかりにくいが、自転車専用の道に入る。高速の高架をくぐったあたりで、「来ました!」の声。Sさんが追いつく。豆がつぶれて走れるようになったとの事。そういうものかな〜と思う。彼の速いペースにつられロングスパートをする。あと数キロと判っていてもやはり最後が一番体にこたえた。でも前回の伊南川100kよりは余裕があるように感じた。(これも合同練習のおかげと距離が100kmに足りないから)工事中の橋の向こうにゴールのかめやホテルが見える。8時57分。橋の袂で、2分前。道路を横断して、何とか9時丁度にホテルの玄関に滑り込みゴール!

 先輩ランナーのお出迎えとおめでとう!の声。やっと終わった。とたんにちょっと吐き気と貧血の症状。何とか持ちこたえる。玄関では、先に到着していたCさんDさんが、なんとGさんのお手伝いをしていらした。ゴールしたランナーにタイムを申告してもらい、賞状に記入して、メダルとともに渡す。暗いロビーの机に灯火を頼んだのもCさん。お歳をめしているGさん一人ではとても対応出来なさそうだった。

 T上司も最後の後輩をゴールで待ち受けていた。ほどなくSさんもゴール。握手をすると手が冷たくかじかんでいた。これでは文字を書くのも、杖も握るのも無理な話。彼はかめやが満室で、別なホテルに泊まっていたので、かめやからタクシーを呼んでもらって帰っていった。

 気分が悪く、Gさんや出迎えの先輩たちにお礼もそこそこに、部屋に急ぐ。吐き気と下痢の症状。シングルだったので、やっと衣類を脱ぎ、風呂に入って洗髪もさっとだけし、ベットにバッタリ。体が冷えてなかなか温まらなかった。吐き気がするが、お腹が空なので、吐けない。最後の走りも厳しかったが、最も辛かったのはゴール後の1時間だった。

ベットに横になっても、全身の疲労と痛みで身の置き所がないほどで、明日が思いやられたが、水を飲んだだけでいつの間にか眠った。

 目覚ましで朝6時起床。幸いなことに、あの疲労困憊状態からは脱していた。ロボット歩きを覚悟していたが、普通に歩けるし、食欲も復活。冷蔵庫のヨーグルトを食べた。

 朝食は、事前に頼んでおくと、ホテルサービスで無料のトーストと飲み物(コーヒーや牛乳)を食べることが出来た。百戦錬磨の先輩方はタフで、食欲も旺盛なご様子。流石です。

 9時にチェックアウトを済まして、かめやを出ると、玄関前でGさんの姿が。なんとお一人で、昨日のごみを拾ったり、使ったダンボールの片付けをしていらした。今日、飛行機で名古屋に帰るのだそう。私はてっきり北海道の方と思っていたら、愛知県在住で、知多半島のウルトラも主催なさっておられると聞き、尚びっくり。

 9000円の会費で、メダル、Tシャツ、水と食事、人件費、ゼッケンや荷物袋代、コピー代、はがき代などの事務費、Gさんの宿泊費や交通費。車両3台の経費もかかる。短い距離の人は参加費も安いので、100人程度の参加者では、収支が合ったのだろうか。

 市町村主催の至れり尽くせりの大会に慣れているので、ことに給水所の少なさと給食の貧しさは今までに経験したことが無い程だったが、Gさんがたった一人で朝から、ダンボールをたたんでいる姿をみたら、何も言えなくなった。

 そもそも、大会が9月14日で、9月11日には支笏湖畔に避難命令が出ていたのだから、大会が開催されるかも危うかった。

 予定の支笏湖畔から恵庭岳山麓を回るコースが、集中豪雨で苫小牧への自転車道に変更になったことは、ランナーの安全を考えて適切であったと思う。短時間でのコース変更はGさんにとっても大変だったに違いない。ただ、直前のコース変更のせいか、エイドの距離計測が渡されたコースの距離表示とズレていたこと。地図計測では、100kmに6km余り足りないようたっだ。

 また、荷物をデポできるしくみを作ったことは、大変良かった。給食は僅かなので、デポを薦める案内がはがきに詳しく表記されるか、ネットの大会要綱に書いて貰えれば、尚良かった。改善して欲しい点もありますが、制限時間17時間の大会の企画と実行そのものが、何より素晴らしく、ありがたいことでした。何も言えません。完走できて、感謝感謝、満足満足です。

 次の日は、千歳から苫小牧に戻り、苫小牧から室蘭本線へ乗り換え2駅で、糸井という駅近くの白樺温泉に。Sさんおすすめの苫小牧銘菓、三星本店にも行き、「ゆのみのんの」「よいとまけ」をお土産にした。白樺温泉でのんびり疲れを癒し、夕方苫小牧に戻り、夜7時発のフェリーに乗船し、翌朝10時着き、家路に着く。良い旅になりました。

この旅を実現できたのは、家族の理解があったから。家族に感謝です。

 又完走できたのは、練習会に誘って頂いた走友の皆さまのお力。お宿の予約や旅程を練って下さったBさん、フェリーを予約して下さったEさん、笑いの絶えなかった婦人部の皆さま、思い出深い旅を、本当に有難うございました。

 

 

補遺

 三星(みつぼし)さんのHPを辿るうちに、お菓子の材料のハスカップの実が、もとは苫小牧市に自生していて、地元で「ゆのみ」と呼ばれていたこと、創業者の小林さんの甥が小林多喜二であることなどが判り、へ〜と何回もうなずきました。ゆのみは湯呑みと思っていましたから。

また、北海道限定のガラナは、昭和33年にコーラに対抗して開発され、ガラナ(ブラジル原産の実)に炭酸等を混ぜたものである事。北海道にだけ浸透したのは、コカコーラの上陸が本州より3年遅れた為に、ガラナが先に人気が定着して残った事、などが判りとても興味深かった。どちらもお土産に喜ばれ美味しく頂きました。

旅はイイですね。

 

  〔 補遺 〕

★走力がないのをどう補って完走するか、考え実行したこと

1、     食料のデポ、これはすごく重要だった。力がついた。

2、     重いものはデポし、ライトも75キロから身に着けた。

3、     後半の冷えに備えて、薄い手袋とベストを着て、お腹にカイロを貼ったのは良かった。

4、     キネシオテープで足腰背中肩首を筋肉補強した。加圧タイプのハイソックスをはいた。

5、     足の裏、足の指は全てテーピングして、豆を防いだ。

6、     下着の摺れを防ぐため、ワセリンなど塗った。(下半身を忘れた)

7、     軽いウエストポーチにして水は300ミリに抑えた。

8、     その他、先輩方の早い給食のアドバイスや、薦められたおかゆやユンケルも良かったと思う。

★反省点

1、     ライトが暗かったこと。

2、     バンドエイドを忘れたこと。

3、     80km以降に持っていた水や飴やゼリーを食べるのを忘れ、後半バテたこと。

4、     内股の摺れを予想できなかったこと。

 最後のバテはやはり練習不足。200km練習できたのは、直前の一ヶ月だけでした。


東京マラソン2013完走記

 2013.2.24(日) 参加費:フル 10000円
         参加賞:Tシャツアミノバリュー・バナナ・ミカン・メダル       
      エアサロンパス等   
エイド:
(15箇所)水、アミノバリュー、バナナ、餡パン、トマト(見なかった)
給食エイドは17km以降に5ヶ所私設エイド:ミニロールケーキ(感激!)他
救護所は14箇所、仮設トイレは多数ありましたが、前半は行列でした。

 

2/23(土)〜大会前日
ビックサイト遠景
 新橋から、ゆりかもめに乗って、ビックサイトへ。大会前日23日の午前11時ごろ到着。国際展示場正門駅から、ぞろぞろ歩く人の波に乗って歩きます。デッキにコンビニもベンチも有ります。
 明日はここにゴールするはず。
ビックサイト西展示棟

 ランナー受付場所へ行きます。顔写真のある運転免許書を提示。私の前の方は香港のガイジンさんでした。ゼッケンと荷物袋、Tシャツなどを貰います。
西1ホール展示ゾーン
 受付を済ませて、熱気ムンムンのスポンサーの展示場へ。
 写真は有森さんの講話のようです。変わらずキレイです。
 沢山の出展があり、ビールやトマトジュース等を頂く。気長に行列に並ぶと景品が頂けるようでした。お食事屋台もあり。私はアウトレット店から、明日着るウエアを購入。午後2時迄滞在。
 受付後は都内の親戚を訪問し、ネパール料理をご馳走に。椎名町のホテルに8時に到着後、昔の山友と会い、就寝は11時半でした。遅すぎ。
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2/24(日)〜
スタートの東京都庁
7:23(デジカメの表示時刻です)
 朝5時起きして、新宿駅から徒歩で都庁に7時半ごろに到着しました。
ゼッケンを見せます
7:28
 ランナーしか入れないようで、胸につけたゼッケンを見せて通過。
 都庁の第一本庁舎1階でミールサービスの列に並び、ソイジョイとバナナ等を頂く。トイレにも行列して並んでいるうちに、あっという間に一時間経過。荷物を預けは8時半までなので、忙しいです。
←預けた荷物を運ぶトラック
8:22
 昨日配布されたポリ袋に、荷物を入れて預けます。慌てて、ウィンドブレーカーの下を脱ぎ忘れたので、これを何とか入れてと懇願しましたが、残念ですがダメですと言われました。厳しいです。仕方なくズボンは腰に巻いて走ることにしました。お腹ぽっこり。
←都庁のひな壇の前
9:29
 申告タイム別にスタート地点から後方に順に並びます。待機エリアがAからKまであり、私は勿論、最高尾のKです。人波がバラけていて、準備体操も手を伸ばして充分できました。
 9時10分に花火と号砲ともにスタートでものろのろ。都庁前のひな壇からの声援も。ゲート通過まで18分44秒かかりました。
←新宿西口
9:37 約1km
 9時半にスタートゲートを通過して約6分後。前方に山手線?のガードが見えます。応援の人垣がすごいです。とっても気持ちいいです。
新宿5丁目
9:43 約2km
 新宿5丁目交差点を通過。靖国通り。右手に静岡銀行新宿支店を見ました。日陰です。緩やかに下っていて前を走るランナーの群れが見えます
富久町付近
9:49 約2.7km
 かなり下り坂なのがわかります。歩道橋にも応援団の姿が。調子よく下ります。朝寒かったので、ホッカイロを背中に2枚貼りました。体も温まってきて、これでやっと丁度好い感じです。(私は寒がりなので)
市ヶ谷八幡町
10:01  約4.4km
 靖国通りと外堀通りの出会った辺り。右手のお堀のお陰で、ビルがなく、走路も日が当たり明るくなってきました。
 このあとデニーズの向かい(4.4km付近)で友達の出迎え。5年ぶりの再会か。うれしい!応援ボードも。
市ヶ谷の法政大付近
10:07 5km
 法政大がお堀端に見える辺りで、親戚のお姉さんを発見。双方でカメラを構えてしまっています。昨日はネパール料理をご馳走になり、今日は朝からの応援有り難う(ダンニャバード)ございました。
 
←神楽坂付近
10:11 5km過ぎ
 神楽坂付近の給水所。混雑を避けるために、いくつものテーブルがありました。給水タッフの多さも他の大会とは段違いです。お疲れ様です。
←飯田橋中村屋
10:15  約6km
 30年前にOLをしていた頃に、ここで肉まんをよく買いました。青春の思い出が詰まった懐かしい界隈ですが、一瞬で走り去ります。
←住友不動産九段ビル前
10:20  6.6km
 チアダンス?かと思います。若奥様ふうのチームのようです。お揃いのビビットカラーのマフラーと手袋がいけてますよ。
←神保町
10:23  約7.2km
 神保町の城南信用金庫の看板が見えます。
 神田の古本街を左に見る。懐かしい景色。靖国通りを横切る。
←竹橋付近
10:27 約7.6km
 環状線の高架をくぐると、もう皇居のお堀が見えます。
 背中に「宮城の○○です。大震災のご支援有り難うございました」と書いたので、宮城の石巻と丸森の方にお声をかけて頂く。大震災での津波で工場が2m冠水。全国から応援を頂き、やっと走れるようになりました。
←皇居東御苑
10:35 約8.5km
 内堀通り 右手に大手掘り・桔梗掘が見えてきました。平和と幸せをかみしめながら、走ります。仮装をしていたので、写真撮っていいですか?という声もあり、若いのに紳士だな〜と思いました。
 あと100mで左手に東京駅が見える辺りまで来ました。
←内堀通り
10:41 9.5km
 二重橋前を過ぎた辺り。右手は皇居御所です。
 このあたりで、並走していたA子さんと離れる。写真を撮りながらなので遅れぎみになります。でも、あとから楽しめる写真は捨てがたい。(時間のロスは130枚×5秒=10分余かと思います)
←有楽町駅方向へ
10:43  約10km
 祝田橋(地図では橋ですが、広いので普通の道路で橋を渡った感覚はありません)からいったん左折して、東向きに走り、また右折して、日比谷通りに入っていきます。
←日比谷通り西新橋付近
10:52 10km過ぎ
 折り返しのランナー。こちらは10kmですが、あちらはもう20km。3時間半でゴールする早い人々。尚、トップランナーはとっくに通過していて、34kmを走っている計算になります。
東京スター銀行の看板が見えます。
←東京タワーが見えました!
10:59 11.7km
 御成門付近からの東京タワーです。遠くから眺めるだけで行った事がありません。木立の多い公園のようです。
 携帯に次の応援は泉岳寺との報あり。はて、どこだろう。
←増上寺山門前
11:01 12km
 応援する人々も多いです。増上寺はTVでは見ても近くに来るの初めて。へ〜ってな感じです。
 
←りっぱな三門
11:03 12km
 三解脱門(三門)というそうです。1622年再建。この二階部分に非公開の仏像等が安置されているとか。奥には広い境内や本殿があるようなので、いつか訪れてみたいです。
←13km地点
11:10   13km
 日本電気本社前通過。右手は公園かと思うほどのスペース。頑張れ日本電気!まだ少し余裕ありか。
 泉岳寺はもちょっと先かな?友達を捜すべく、路肩寄りに走ります。
←田町付近ツインビル
11:16  13.7km

 ダンスのようです。品の良いピチピチのお姉さん達が、太鼓とタンバリンを持っています。応援どうもです〜。
←泉岳寺付近
11:23 14km付近
 友達発見!日本生命高輪ビル前の応援。お揃いのレインボーキャップは目立ちすぐ判りました。茅ヶ崎からも遠路有り難う。高級プリン!美味しかった!!ゼリーなども頂きました。よ〜し!これで元気充填。
←高輪二丁目15km
11:28  15km

 ビルが途切れ見晴らしが良くなり左手には線路が迫り、電車が走っていました。
←15kmの関門
11:32  15.4km
 ここで折り返しです。
品川駅前のちょっと手前の信号のところが折り返しでした。11:47で関門閉鎖になりますが、まだ17分余裕あります。デジカメ表示時刻と2分余りズレあり。
←笹川記念館前
11:43   16.4km
 トイレに行きたくなり、ファミマのトイレをお借りしました。ランナーが数人並んでいて5分は待ちました。時間がないので何も買わずに出てきました。せめて募金してくればよかったとあとから気付きました。
 ファミから50mほど笹川記念館で、キッズパフォーマンス?の応援が有りました。
←寅さん発見!
11:47  17km付近
 17kmの給水所あり。寅さんが映ってます。大きな寅さんバックを携えてのラン。お疲れ様です。無断写真掲載ご容赦下さい。
←左手は増上寺
11:57 約18km
 品川で折り返して、また増上寺に戻ってきました。三解脱門が見えます。
←新橋二丁目付近
12:16  19.7km
 日比谷通り。ちょっと小腹が減ったので、持っていたパンを走りながら食べていると、「お、サザエさん、もう飯食ってるよ」との声が。友達から電話で「次の応援は浅草橋」の連絡を受けていると、「サザエさん、忙しいんだよ」の声も。キャップをかぶっただけなのに、キャラクターの威力恐るべし。
←20km通過
12:18  20km(関門有り)
 だいぶ走ったな〜という感じになってきました。でもまだ元気は残っています。20kmの関門の電光時計が前方に見えます。日比谷通り。
←中間点付近
12.26 21.1km
 日比谷通りから春海通りに右折すると、中間点です。前方にJR各線の高架が見え、ここをくぐると銀座です。
←三越伊勢丹を曲がる
12:30  21.3km
 春海通りから中央通りに左折します。左角がかの和光です。ここは自分的にはランナーの花道。東京に5年も住んでいたのに銀座に行った記憶がほとんどなく、お登りさんになってきょろきょろします。
←右手は復路のランナー
12:39 約22km
 銀座の中央通りは約1.5km走ります。ここからは浅草までは折り返しのランナーを右に見ながら走ります。
たぶんここらあたりで美味しいミニロールケーキをご馳走になりました。すっごく元気になれました。感謝でした。
←高島屋だ〜
12:40 約22.3km
 山本山、丸三証券の看板も。
こちら約22km、あちら(写真)は約32.5kmを走っております。ランナーの花道、銀座はすぐに終ります。
←永代通り
12:43 約23km
 銀座の中央通りを右折し、永代通りに入って行きます。700m位走ります。
←茅場町一丁目
 新大橋通りへ

12:48 約23.6km
 永代通りを左折、新大橋通りに入って行きます。約1km走ります。水天宮があったはずなのに、見落としました。残念。
←清洲橋通り左折
12:58  約24.6km
 日比谷通りから5回も直角に曲がるので、何だか方向がわからなくなってきました。影を見ると北方向のようです。浜町中ノ橋交差点から、浅草雷門まで道なりに約3.2kmを走ります。こちらは24.6km地点、対面ランナーは31kmを走っています。
←日本橋浜町の明治座
12:58 約25km(関門有り)
 清洲通りに曲がって300m位の右手のビル。明治座創業140周年、かたき同士、藤山直美、三田佳子と書いた垂れ幕がさがっています。
 関門の時刻は、何とかなると全く気にしませんでしたが、スタートのロスが約20分あるので、余裕は15分しかなかった事を後で知ります。
←正面にスカイツリー
13:02 約25.4km
 東日本橋付近。道路の真ん中に三角公園があって、清洲通りから江戸通りに入って行くと、正面にスカイツリーが!
←更に近寄ってみると
13:02 約25.4km
 おお、でっかいっ。地図で見ると、この東日本橋の交差点は、墨田川を渡って両国国技館、スカイツリーと一直線上にありました。
 応援団から「浅草橋で待つ」と携帯に電話があり、道路標識を見上げながら走ります。浅草橋はいずこ。
←浅草橋
13:08 約26km 
 JR総武線の高架をくぐります。浅草橋駅付近。人形の久月・秀月の看板が見えます。
 そろそろ応援団がいるはずなので、路肩寄りに走り、目印のレインボーキャップを捜します。
←JR浅草橋駅近く
13:09  26.2km
 JRの高架をくぐってすぐに、友達の応援を見つける。大きなお手製のボードも。多くの荷物を持っての地下鉄移動、お疲れ様。又プリンとゼリーを頂く。マイバックに入った重いラン食は置いて行きます。
 写真には以前に仕事でお世話になった包装資材のシモジマの店舗が写っていました。
←27km給水所
13:19  約27km
 バナナとミニトマトがあったようですが、私設応援エイドのお陰で、補給満点。お腹も一杯で、じっくり観察しなかったため、トマトにはお目にかかれませんでした。
←東横イン浅草蔵前雷門
13:21 約27.4km
 浅草通りまであと300mの標識。前を走るマリンブルーの軍団はゆりかもめチームのようです。御揃いのキャップと羽と足元の朱色が、かもめをイメージしてるようです。羽が風に揺らいで男子でも可愛いく見えました。
←雷門見えました
13:26 約 27.6km
 あ〜、やっと雷門です。オールスポーツの撮影のポイントがある。疲れた顔を撮られたくないので、人影に隠れつつ、背中を伸ばして笑顔を心がける。まだ少し余裕あったかも。
←雷門前の応援
13:26 約27.8km
 舞踊か太鼓の準備中のようです。雷門前は少し広場になっていて、応援イベント会場になっています。
 
←2020年オリンピックを東京で
13:27 約27.8km
 あれ?左から大きな大林素子さん、手を上げている岩崎恭子ちゃん、為末大さん、千葉真子さん、おいでおいでをする宮下淳一氏?か、もう一人不明ですが、雷門前でランナーを応援していました。
←雷門を曲がると
13:27 27.8km 
 左手に雷門を見ながら曲がると、アーケードの向こうには、スカイツリーが見えました。写真を撮ってるランナーも居ます。雷門通りです。
 浅草寺にぶつかるとその後は、折り返しでなく、三角に回り込むように走ります。、
←スカイツリーとアサヒビールのオブジェ
13:28 約28km
 浅草のアーケードを100m余り走ると、スカイツリーの横にアサヒビールのオブジェが見えました。こんな所にあったのね。
 
←浅草雷門通りから江戸通りへ
13:28  約28km
 スカイツリーを見ながら、走路は右折し、ここ江戸通りに入り、銀座まで来た道と同じ道を引き返し6km余り走ることになります。疲れて来た所に、単調なビル街の往路に、ピッチも落ちますが、惰性で何とか走り続けます。
←神田川に架る浅草橋
13:45 約29.8km
 右手から流れる神田川を渡っているところ。地図では、神田川は左手の隅田川に合流して飲み込まれます。屋形船が見えるそうです。
 南向きに走っています。もう少しで30kmの関門があります。10分の余裕しか無かったのですが、本人は気付かず呑気です。
←32km茅場町付近
14:03 32.0km
 茅場町は東京証券取引所が近くにあるそうです。
 応援の人垣はずっと続いています。ハイタッチをして少し元気を頂きます。
←永代通りへの曲がり角
14:04 約32.1km
 茅場町一丁目と標識に書いてあります。あと10kmです。又日本橋から銀座を通るので、楽しんで走るぞ、という気持ちはまだちょっと残っていました。でも、復路の銀座は写真を撮る余力も無く走り抜けたようです。
←七十七銀行日本橋支店
14:28  34.6km
 宮城県人ならおなじみの銀行なので、ついパチリ。
 後で地図を見たら、この写真左手前に、新築中の歌舞伎座があったのに、全く気がつかずに残念でした。折り返し路は終わり、有明を目指して、春海通りを走っています。
←築地4丁目の角
14:32  34.8km
 「あ〜やっと来たよ」の声の主は、山友KKちゃんです。相変わらずパワフル。喉が渇き、お茶を頂きました。寒い所応援、昨晩の差入れも有り難うね。
 春海通りを左折の曲がり角です。有楽町線の築地駅の近く。
←35km築地本願寺付近
14:32 35km(関門有り)
 イトーキの建物見えます。給水所もあり、スタッフの方が写真を撮ってくださる。結構疲れてきました。
 関門の制限時間まで5分しか、余裕が無かったのに、時間は全く気にせずに走っていました。幸いでした。
←緩やかな登り坂
14:38  約35.5km
 イトーキの角を曲がって、新大橋通りから、佃大橋のある通りに入ってきました。橋に向かって緩やかな上り坂が始まります。登りも歩かないで頑張って走ります。
←36km地点佃大橋
14:42 36.0km
 後半の最大の難所を登り切ったあたりに、36km地点があります。ゆりかもめチームとは、浅草からずっと一緒に走ってきましたね。
 橋の上は風が当たり、ことに寒いです。背中のホッカイロはまだ元気で助けられました。
←佃大橋の応援隊
14:43  36.2km
 おお!またまた友達の応援。こんな寒い風の中、一日応援有り難うね。沢山の差し入れを用意して頂きましたが、食べきれず、疲れて持って走ることも出来ずにゴメンね〜!
 気をつけて帰って下さいね。きんちゃん、さっちゃん、ゆみちゃん、ウシさん、有り難う。
←月島付近
14:55 約37.2km
 月島付近のハテナ橋を渡っている。(地図に橋の名の記載が無い)
 前方に春海通りの高架が見えるが、その下を左折して、春海大橋を渡る。
 この辺りで日比谷通りで薬を拾って下さった方に又声を掛けて頂きました。
←春海大橋
14:59  約37.5km
 春海大橋を渡っているところ。両側は東京湾の水面です。春海埠頭エリアから豊洲埠頭に渡って行きますが、走っている時は、水面が見えないので実感は全くありません。橋を渡ると右に曲がります。
 あと5km位か。練習コースを思い浮かべながら「もうすぐだよ」と自分を励ます。
←豊洲三丁目
15:03 37.7km

 広い道路に出ました。江東区豊洲三丁目の歩道橋です。
ここから約1.4kmは直線を走ります。 前方にゆりかもめ軍団見えます。
←豊洲IHIビル
15:03 37.7km
 左手に目をやると、豊洲IHIビル前の応援パフォーマンスです。ピチピチ系女子の歌とダンスのようです。
 38kmに関門がありましたが無事通過。15分位は余裕あったと思います。
←元祖サザエ氏に遭遇
15:12 約38.7km
 東雲橋の手前、深川五中過ぎ、宇部コンクりート付近にて、「サザエさん頑張れ」の声に混じって、「俺もサザエだ!」の声。あらまあ、勝田マラソンでお声掛けし、仮装のマネをさせて頂いた元祖にお会いするなんて。応援有り難うございました。私は2号ね。
←東雲橋
15:13 約38.8km
 東雲橋を渡ってます。標識の斜め右手(湾岸道路方向)に曲がって、ゴールの有明エリアに行きます。
←東雲橋
15:13 約38.9km
 東雲橋、渡っていますが、道路が広いので東雲運河の水面は全く見えません。
 この辺りから、お腹の調子も下り加減に。うっマズイ。トイレないかな〜。栄養補給し過ぎでした〜。
←40km付近
15:14 約39km
 イオンの建物。24時間営業のようです。
 道路が斜めに曲がっています。ゴールまであと2kmですが、トイレに行きたい〜〜。午後4時にゴールすればいいので、何とか間に合いそう。
←東雲1丁目のローソン
15:25 約39.3km
 東雲住宅ビル内のローソンのトイレをお借りする。レジに並ぶ時間が無いのと、食欲も無かったので、又何も購入せずにトイレのみお借りしました。次回からは募金します。スミマセン。(今回はセブンイレブンのみトイレ協賛有りだったので違反行為だった・・・反省)
←東雲2丁目付近
15:30  約39.9km
 東雲2丁目付近 右手東雲運河。
丸いのは新豊洲変電所らしい。
 午後三時も過ぎるとだいぶ日も傾き、後半は寒くなってきました。
←東雲2丁目団地入り口付近
15:30
 40km付近 

 東雲2丁目団地入り口付近。トイレですっきりしたので、最後は飛ばして走ります。この頃には周囲のランナーは疲れて、9割は重い足を引きずって歩いています。
←あと2kmの表示
15:35  40.195km
 ビックサイトの道路標識が見える。首都高速春海線の高架をくぐって直進。
 あと2kmならいつもの練習コースのあそこまで!と思い浮かべ、自分を励ましながら走ります。
←有明コロシアム
15:37 約40.5km
 開けた原っぱにでます。次に走るときには、きっと建物が建っている事でしょう。
 正面の丸い屋根は有明コロシアムです。このあと左折していきます。
←ゆりかもめ高架
15:39 約40.9km
 ゆりかもめの高架を右上にみて、その下を走ります。
 トイレ後の1.5kmを飛ばしたので、流石にぐったりしてきました。いよいよここまで来たので最後まで楽しみたいと思いつつ、もう体はボロボロ。もう早く終わりたいだけになってきました。
←残り600m
15:46 約41.6km
 ビッグサイトが見えてきました。
敷地を囲む道路を左折すると、あと数百mのはずです。頑張れ!の声援もかなりありましたが、産卵前のサケ状態。ともかく本能だけがゴールに向かわせています。
←最後42kmのゲート
15:51 41.9km
 最後の角を曲がると、ラスト195mのゲートが見えてきました。
 疲労困憊でしたが、最後まで歩かずに走ってゴールすることが出来て、ほっとしました。達成感に包まれます。
←フィニッシュ
15:53 42.195km
 無事終了できました。時間ぎりぎりまで、たっぷり東京マラソンを味わいました。(既に夕暮れ)
 ゴール後は、メダルや飲料などを頂き、預けた荷物を受け取って更衣スペースへ。会場内がすごく広くて、疲れた体と重い荷物をひきずりながら、ヨロヨロ状態で移動しました。
 5時に会場を出る時も行列でした。
★東京マラソンを初めて走って

 東京マラソンはまさに、夢のお祭でした。殊に応援者と間違いなく遭う目的で仮装して走ったのですが、キャラクターの威力恐るべしで、最後まで応援が耐えませんでした。まるで夢を見てるようでした。初めての仮装は、と〜〜っても楽しかったです。すごくいい思い出になりました。

 でもね・・・震災でもっと大変だった人を思うと、いつもどこかで「こんなことしてていいのか?」という、もうひとりの自分の声が聞こえるんです。
 
 しかし、大事なのは、まずは元の普通の暮らしに戻る事じゃないかと。それに、自分が元気にならなくちゃ、家族や会社も元気にできないし。
 被災地だろうが、日本中のどこだって、ひとりひとりが元気になっていいんだっちゃねえ。な〜んて、自分に都合良く考えています。

 震災後しばらく、完走できなかったフルマラソンでしたが、この東京マラソンで弾みをつけ、3年目の今年は、山とマラソンは復活できそうな感じです。
 だから、東京マラソン!出られて良かった〜!走れる喜びと平和の有り難さをかみしめながら走りました。

 そして、沿道の絶え間ない声援、
大会関係者の尽力、走りながら声を掛けて下さったランナーの方々、友達・親戚・ラン友の暖かい応援、そしてこの大会に送り出してくれた家族に感謝です。

 まだまだ余韻に浸って、しばらくは、この幸せモードで暮らせそうです。

 ※練習期間:約6ヶ月、練習距離:約400km ネットタイム約6時間23分
 暮れに神棚の大掃除中に脚立から転落。肋骨にひびが入り、ひと月安静にしたので、直前練習は思うようにできませんでした。



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直線上に配置