本当に久し振りにプロフィールの続きを書き始めます。自分の過去のことなど、有名人でもなければ思い出しても、なんの得にもなりませんからね(^_^) ピンポン、スキー、乗馬の他に何をやったかと言いますと、剣道、オートバイ、テニス、ゴルフなどです。全部がお遊び程度で、ものになりませんでした。 剣道 は中学・高校時代に一生懸命やりましたが、ちょっとした男気で、段は取りませんでした。今にして思えば、二段までは挑戦しておけば良かったかなと思うこともあります。段を持ってませんと、剣道をやっていましたと言ったところで口先だけになってしまいます。でも、後悔の念という程の感情はありません。 なぜ剣道を始めたかと言いますと、チャンバラが好きだったからです(^_^) 一般的な子供の動機は単純なものです。しかも、当時、私が通っていた中学には剣道部がなかったことも、新設するぞという気概を持たせたのです。言い出しっぺは自分でしたが、学校サイドも新設を考えていたようで、タイミング的に恵まれたようでしす。 中学一年の時は空しく過ぎ、二年になって漸く剣道クラブが設立されたのです。 部員数は5〜6人程度て、私が初代の主将です…やったあ〜ていう感じでしたね(^_^) コーチは、何故か、ほとんど軍隊上がりという感じの銃剣術の先生でした!? おいおい、大丈夫かいな?と思ったものですが、何しろ、こっちは教本を読んだ程度の土素人だらけですから、イイもワルイも分かりません(^_^) 剣道防具は真新しく、しかも上クラスの高価な物(黒光りの胴など)が揃えられてありましたが…後で、市の大会などで恥ずかしい思いをしたものです。何故って、我々は立派な防具を付けながら、質素な防具を付けている他校の選手に、初めの頃はことごとく負けましたので…格好ばっかりの典型でした。一回戦で敗退して、恥ずかしい思いをしながら、すごすごと帰ったものです。 本格的に稽古をしたのは高校の剣道部に入ってからです。先輩達は強かったですが、6段を持ち国体の経験がある先生の指導が流石に凄かったですね。何しろ、かかり稽古で自分の竹刀が先生の竹刀に絡まってしまい、打って出ることができなかったですから…まあ、からかわれているような稽古でした。それでも、剣道の稽古に熱中した所為か、一年の時に力がついてゆき、自分も知らず知らずに態度がでかくなったのでしょう…先輩から生意気な奴だと目を付けられ、険悪な雰囲気になったこともあります。 剣道をやっていて危険な場面に出会したことはないのですが、危険な点と言えば、ささくれ立っていたり、割れたりしている竹刀や先端の革袋を保持している紐が切れたりしている竹刀を使うことですね。竹刀の割れた先端が面防具の金具の隙間から顔面に突き刺さり死亡した事故が実際に起きています。また、側面といって、耳の部分を打たれますと鼓膜が裂けてしまい、聴力が戻らなくなったりします。高校の先生がそのケースでした。 基本を学んだことのない人達がお遊びで剣道をやることは大変危険なことだと思います。 体の傷は絶えませんでしたね。手足のマメは、段々と固まってタコのようになってきますので、1〜2年程度で大きな問題ではなくなります。剣道の防具は良くできていますので、その上からの打撃であればダメージは殆どありません。 問題は、背の高い人から思いっきり面を打ち込まれたときです。竹刀もしなりますから、後頭部の上の部分まで打たれてしまうことになるのです。面防具を着けずに面を打たれたかのようなダメージを受けます。ですから、打たれそうなときは必ず上の方を向いて、面の金属の上の部分で竹刀を受けるようにします。 さらに、下手な人とかかり稽古をすると変な箇所を打たれます。籠手でカバーされていない腕の部分とか、前垂れと胴の間や、滅多にないですが股から脛の部分です。イヤーッ、打たれると痛いですよォー。クッキリと痣や血膨れができます。 しかし、それで剣道を止めたいと思う人は少ないような気がします。 剣道は、高校で足踏みをしてしまった所為で、結果的には途中で止めてしまいました。大学に入ってから同好会に一旦は入ったのですが、思った以上に空白期間が長すぎましたね…日和って止めてしまいました。 剣道とコムド ところで、剣道の場面が出てくる韓国ドラマが多くあります。見た目の防具・衣服(胴着と袴)・竹刀は全く日本と同じです。ヘーッ、反日の韓国でも剣道は盛んなんだあ、と思いますよね(^_^) ところが、チョット事情は違うようです。彼等は剣道を"コムド"と読んで、起源は朝鮮半島にありと主張し、殆どの韓国人達はそう信じているそうです。"コムド"独自の世界展開も相当積極的になっているそうです。なあ〜る程、と思ってしまいます。韓国の剽窃問題 しかし、日本文化の維持・発展保護という観点では、問題がありますよね。韓国にそうさせてしまった全日本剣道連盟は「剽窃問題」として問題化しているようですが、ただサイトで取り上げるだけでは、今となってはどうにもならないでしょうね。もっと積極的に世界でアピールを続けることと、具体的なクレームを(政治問題ではないかもしれませんが)韓国政府当局に提起し続ける必要がありそうです。それにしても、韓国の文化起源説は色々な分野で問題を引き起こしているようです。本当に節操のない国民です(^_^) 朝鮮半島の歴史的背景 朝鮮人の気質にもよるのでしょうが、朝鮮半島では中国に制約された時代が大きな部分を占めるという歴史があります。最後は、1392年から1910年まで続いた李氏朝鮮の時代があります。李氏朝鮮が中国の臣下としての属国に甘んじた時代は1392年から1897年の505年間にも及びます。しかも、中国に攻め入られて仕方なく臣下(属国)になったのではなく、初代の国王である李成桂が自ら明に使者を立てて中国に高麗王として(権知高麗国事)、後に朝鮮国王として正式に認めてもらったわけです。元々中国の属国であった高麗の王を廃した武将の李成桂が中国に恭順を示して王にしてもらったということで、それに対して異を唱える勢力は出てこなかったということです。 一見、武士の頭領が天皇のお墨付きを貰うことで己の権力を天下に認めさせるという儀式に似ています。しかし、朝鮮国王と中国皇帝(天子)との関係は、同じ日本国内であった天皇と武士の関係とは異質のものです。属国は支配国の文化に色濃く影響されるので、朝鮮の文化が中国に非常に似通っているということも頷けます。つまり、独自色の強い文化が朝鮮には少ないとも言えます。 李氏朝鮮時代の統治は、韓国の国民ですら話題に上らせたくないような酷いものだったようです。ですから、韓国は朝鮮という言葉を使いたがらないと言われます。確かに、李氏朝鮮が朝鮮半島の近代化を遅らせたと言えるのでしょうが、基本的な問題は中国の属国としてあり続けたことにあります。支配国の中国自体が近代化に遅れていたのですから、いわんや属国たる朝鮮では…となります。 その朝鮮半島を中国から独立させたのは日本です。日清戦争の勝利国である日本が中国と交わした下関条約によって李氏朝鮮は中国の册封体制(中国の皇帝が臣下や諸侯に爵位を授ける制度)から開放されることになりました。それが1910年のことです。その後、日韓併合と続くわけですが… 反日韓国に対峙するための正しい知識が掲載されている次のサイトも面白いですね(^_^) http://photo.jijisama.org/ |