「天の声」とは、いったい何を意味するのか 西松建設「無条件降伏」公判での検察側「立証」への疑問 日経ビジネスオンライン 2009年6月24日
6月19日に東京地裁で行われた、西松建設前社長らに対する外国為替及び外国貿易法違反及び政治資金規正法違反の事件の第1回公判で、検察側は、西松建 設が、社員らを会員にして作っていた政治団体の名義で小沢一郎前民主党代表の資金管理団体「陸山会」への寄附が行われた背景などに関して、詳細な冒頭陳述 を行った。 「欠席裁判」に近い西松建設公判での検察側冒頭陳述 この事件では、小沢氏の公設秘書で「陸山会」の会計責任者の大久保隆規氏も逮捕・起訴され、弁護人のコメントなどによれば、政治資金規正法違反の 事実を全面的に争う方針とされているが、西松建設側は、株主総会までに事件を早期に収束させて企業として受けるダメージを最小限に抑えたいとの方針から、 第1回公判で事実を全面的に認め、即日結審するというスピード審理となった。 いわば「無条件降伏」の状態にあり、検察側の主張について争う意思が全くない西松建設側の公判での検察の主張は、相手方当事者の反論、反対尋問を 全く受けない一方的なもので「立証」などと言えるレベルではない。事実を全面的に争う姿勢の大久保氏側、そして当該資金管理団体の代表で当事者的立場にあ る小沢氏にとって、この公判で検察側が主張したことがそのまま報道され世の中にすべて真実のように受け取られるとすれば「欠席裁判」そのものだ。 裁判員制度が開始されようとしている状況において、同一事件または関連事件について、共犯者の一部が自白し、一部が否認している場合に、このよう な一方的な欠席裁判のような公判立証を行い、それをマスコミに報道させることは、一般市民の裁判員に不当な予断を与えるもので絶対に許されないはずだ。 しかも、冒頭陳述などによる検察側の主張の内容は、私が、かねて本コラム(「小沢代表秘書刑事処分、注目すべき検察の説明」など)で指摘し、政治資金問題第三者委員会報告書でも指摘した、検察の捜査・起訴に対する疑問に答えるものにはなっていない。 それどころか、検察が、この事件の事実関係を歪曲し、それをそのまま報道させることで世論を誘導しようとする意図が窺われる。それが端的に表れているのが「天の声」という言葉の使い方だ。 「天の声」が冒頭陳述で多用された意味 このような西松建設の公判での主張の中で、検察側が冒頭陳述などで繰り返し用いたのが、「天の声」という言葉である。 以下は、関連する冒頭陳述の一節である。 東北地方では、昭和50年代初め、E社が中心となって、東北建設業協会連合会と称するゼネコン各社による談合組織を立ち上げ、以後、E社社員を仕 切り役として、談合によって公共工事の受注業者を決めていた。東北建設業協会は平成3年頃表向き解散したが、その後もE社を中心とする談合組織・体制は存 続し、談合が続けられた。 そのような中、岩手県下の公共工事については、遅くとも昭和50年代終わり頃から、小沢議員の事務所(以下「小沢事務所」という)が影響力を強 め、前記談合において、小沢事務所の意向がいわゆる「天の声」とされ、本命業者の選定に決定的な影響を及ぼすようになった。また、平成9年頃から、小沢事 務所は、秋田県下の公共工事に対する影響力も強め、以後、一部同県下の公共工事に係る談合においても、小沢事務所の意向が「天の声」となった。 すなわち、岩手県下または一部秋田県下の公共工事の受注を希望するゼネコンは、小沢事務所に対し、自社を談合の本命業者とする「天の声」を出して ほしい旨陳情し、同事務所からその了承が得られた場合には、その旨を談合の仕切り役に連絡し、仕切り役において、当該ゼネコンが真実「天の声」を得ている ことを直接同事務所に確認のうえ、当該ゼネコンを当該工事の本命業者とする旨の談合が取りまとめられていた。 この「天の声」という言葉が、新聞、テレビなどでそのまま報じられ、小沢氏側が西松建設関連の政治団体から受け取っていた政治献金は、小沢事務所側 が「天の声」を出して西松建設に工事を談合で受注させた見返りであったことが、あたかも確定的な事実であるかのように扱われている。しかし、ここでの「天 の声」という言葉の使い方自体が、従来の業界内での用語とは異なるだけでなく、冒頭陳述の内容にも重大な疑問がある。 かつてのゼネコン業界の談合の世界における「天の声」というのは、一般的には「発注者側のトップつまり、知事、市町村長など地方自治体の首長の意向」を示すものであり、その意向に従って受注予定者が決まるという談合ルールを「天の声」談合と呼ぶことがあった。 「天の声」談合の由来「天の声」という言葉が公共工事を巡る談合に関して初めて具体的に使われるようになったのは、ゼネコン汚職事件の皮切りとなった1993年6月末 から7月にかけてのゼネコン汚職事件仙台市長ルートの捜査の頃であった。ゼネコン4社から2500万円ずつ合計1億円が石井仙台市長側に提供されたという 贈収賄事件であったが、この事件で、仙台市発注の公共工事は、すべて発注者側の意向に従って受注予定者を決めるルールで談合が行われ、大規模工事について は市長自身の意向で受注者を決定している談合の実態が明らかになった。 それが、「『天の声』談合」という言葉を世の中に知らしめることになった。そして、その後、宮城県知事や茨城県知事などが収賄罪で摘発されたが、これらの事件の背景にも、このような「天の声」談合の存在があると報じられた。 このようにして、発注者側のトップの意向に従って談合による公共工事の受注予定者が決定される「天の声」型談合の構図が出来上がった背景には、次のような背景があった。 日本の公共工事を巡る談合は、昭和30年代頃からは、非公式のシステムとして建設業界で定着していたが、かつては、入札の前に受注者を話し合いで 決めること自体は、形式上は違法な行為であっても社会的には悪ではないと思われてきた。受注調整は、工事現場の所在地、周辺での受注実績や過去の同種工事 の受注実績、特殊技術に関する技術力を考慮することで、その工事を受注するのに最も相応しい業者を話し合いで決めるものだったが、その決定に当たっては、 発注者側や政治家などの有力者の意向が考慮されることもあった。このような調整は、業界団体や業界の親睦団体の会合の場で「民主的」に「半ば公然」と行わ れていた。 その状況を大きく変えたのが、1990年頃からの日米構造協議における米国からの独禁法の運用強化の圧力だった。刑事告発の動きが現実化した埼玉 土曜会事件を機に、大手ゼネコンは、表面上は談合排除を宣言し、受注調整のための親睦団体は次々と解散した。しかし、業界調整という非公式のシステムの中 で話し合いによって受注者が決定されていた実態には基本的に変わらなかった。 談合システムは非公然化し、社内でもごくわずかな特定の者にしか調整の実態は知らされず、業者間の会合に一堂に会して決定する方式ではなく、受注を 希望する業者同士の個別の話し合いや情報交換によって受注希望を調整して、受注予定者を1社に絞り込むという形態に変化していった。 しかし、会合による「民主的」な受注者の決定と異なり、個別の話し合いで受注希望を調整することは容易ではなかった。多数の業者が受注を希望する 工事については、個別に話し合っているだけではなかなか、受注希望を調整して1社に絞り込むことができない。それが、業界内の受注調整において、それまで 以上に自治体の首長などの意向が尊重されることにつながった。それが、多くの地方自治体発注の工事について、首長など発注者側の意向によって受注者が決定 される「天の声」型談合が定着することにつながった。 談合構造の「進化」ゼネコン汚職事件で複数の首長が逮捕され、「天の声」型談合の実態が明らかになったのを機に、談合の構造は再び変化することになった。発注者側の 意向は、談合による受注者決定において「客先意向」として尊重されることに変わりはなかったが、そのような意向がストレートに受注業界側に出されることは 少なくなった。刑事事件で摘発されることを恐れ、首長自身は受注業者側と接触しなくなり、首長と何らかの形で意思疎通ができる人物に、その自治体の発注工 事に関する「首長の意向」が間接的に伝えられるという形態に「進化」した。 その工事を受注するのに最も相応しい業者を選定するという業界内の受注調整の構図は基本的に変わらなかったが、そこに、間接的に伝えられる首長の 意向や、発注自治体に予算や補助金の配分などで影響を与え得る立場の政治家や、地域の有力者の意向なども、受注者の決定に強い影響力を持った。これらの要 因が複雑に交錯して、業界内での情報交換や話し合いを通じて受注予定者が絞り込まれていくという構図が出来上がっていった。 このような談合構造の下での受注予定者となるために重要だったのは、その工事を受注することについての地域内での有力者のコンセンサスを得ること であった。それは、受注した場合の工事施工を円滑に行うための条件であり、逆にその条件を満たしていないと、受注予定者になる資格がないと見なされる恐れ があった。 そのような構造の下で、発注自治体の首長の側や発注者に影響力がある政治家などに対して金銭の提供が行われることもあった。「意向」を出しても らって受注したことの対価そのものである首長側への金銭等の提供は、通常、「意向の伝達役」に対して行われ、首長自身には刑事事件の捜査などが波及しない ようにするという方法がとられた。 公共工事受注業者から政治家に対して行われる政治献金には、2通りあった。1つは、発注者側の意向、つまり「客先意向」に強い影響力を与える立場 の政治家に対するもの、例えば、当該工事の事業に関して補助金を交付する官庁に関係している政治家や、その官庁から予算の割り当てなど、工事の発注予定に 関する情報を提供してくれる族議員に対する政治献金だ。これらは、その献金の事実が明らかになると、その政治家に対する社会的非難や、あっせん利得罪、収 賄罪での摘発につながりかねない性格の政治献金であり、裏金による献金か、下請会社名義などで、絶対に他者には分からないような形態で行われた。 もう1つは、地域において強い影響力を及ぼす有力な政治家や政党に対する献金である。例えば、その自治体の議会の与党の幹部などに対して行われる政 治献金は、工事受注との直接的な対価関係を持つものではない。業界内の談合で受注予定者となることを希望している業者にとっては、工事を円滑に受注し施工 するために地域の有力者の間で受注予定者になるためのコンセンサスを得ておくことが重要であり、有力者からの横やりで、そのコンセンサスが破られることを 強く警戒する。そこで、地域における有力な政治家や政党に対しては、特定の工事の受注とは関係なく、恒常的に相当な金額の政治献金が行われることになる。 この場合の政治献金は、受注を妨害されないための保険料的な性格が強かった。 県発注工事について、県議会で圧倒的な多数を有する与党の地方組織に対してこのような趣旨の政治献金が行われていた実態を明らかにしたのが、自民党長崎県連違法献金事件であった。 筆者は、日米構造協議における米国側からの圧力で談合など独禁法違反に対する制裁強化が図られていた90年から93年にかけて公正取引委員会に出 向し、埼玉土曜会談合事件の摘発に関わったほか、ゼネコン汚職事件でも、上記の仙台市長ルートの仙台現地捜査班に加わって「天の声」談合の構造を解明し、 長崎地検次席検事時代には、上記の自民党長崎県連事件の捜査を指揮、多くの談合事件や贈収賄、違法献金事件の摘発に関わった。そして、これらの経験に基づ き、この分野に関する唯一の捜査実務書(『入札関連犯罪の理論と実務』)を著している。 上記のようなゼネコン談合と「天の声」、政治資金に関する実態は、筆者が、この問題に関する一般的な認識として、著書などでも述べているところだ。 小沢氏への政治献金と公共工事との関係小沢氏がゼネコンから長年にわたって政治献金を受けていた背景に何があったのか、筆者は直接知り得る立場ではない。しかし、上記のようなゼネコン談合と 政治献金の関係に関する私の一般的な認識からすると、業界用語として「発注者のトップの意向」を意味する「天の声」という言葉が、検察の冒頭陳述におい て、何の理由も示されず「国政レベルの政治家側の意向」として使われていることには大きな違和感がある。 しかも、冒頭陳述の中で、ゼネコン側が「自社を談合の本命業者とする『天の声』を出してほしい旨陳情し、事務所からその了承が得られた場合には、その旨を談合の仕切り役に連絡し」と書かれている部分は、業界調整の常識からは考えられない。 政治家の意向が「天の声」に影響を及ぼすとしても、それは、発注者側に対して影響力を行使し、その意向が発注者側から業界側に伝わるということであって、政治家側から業界側に直接伝わることは、通常は考えられない。 小沢氏が自民党幹事長として、与党内で絶対的な権力を握っていた時代においては、岩手県など東北地方の一部において、公共工事の発注自体に大きな 影響力を有していたと考えられるので、小沢事務所の意向が、発注者の地方自治体首長の「天の声」をしのぐ絶対的な力があった、ということも十分に考えられ る。しかし、小沢氏の国会議員としての立場は、その後、細川政権側の有力政治家という政権与党側の立場から、新進党、自由党などの野党の立場に大きく変 わっている。そのような政治的立場の変化によって、小沢事務所の公共工事の発注に対する影響力は異なったものになったと考えられる。 今回の西松建設関連の政治団体の名義での政治献金が行われた時期のほとんどは、小沢氏が野党の国会議員の立場にあった時期だ。その時期に、小沢氏の 側に、公共工事に関連してゼネコンから多額の政治献金を受ける理由があるとすれば、発注自治体への影響力というより、地元の政治家としての、地元の公共工 事関連業者や、公共工事と利害関係を持つ有力者などに対する影響力が背景になっていたと考えるのが合理的であろう。 ゼネコン側にとって、小沢氏側に恒常的に多額の政治献金をする理由として考えられるのは、地域の住民や有力者、業者などと密接な関係があり、地元 建設業者や建設資材供給業者などとも関係が深い小沢事務所や秘書と良好な関係を維持することが、ゼネコンがその地域で工事を受注して円滑に施工するために 重要と考えられていたことによるものであろう。小沢事務所との良好な関係を維持することは、その地域の有力者のコンセンサスを得て、業界内の談合で受注予 定者になることについての保険料的な性格が強かったものと思われる(今年の5月16日に公表された西松建設の内部調査報告書では、「献金を行う趣旨に関し ては、工事の発注を得たいという積極的な動機よりも、受注活動を妨害しないでほしいという消極的な理由もあったと供述する者もいた」とだけ述べられてい る)。 検察冒頭陳述を裏づける供述の「質」「天の声」に関する検察の冒頭陳述の内容は、談合構造の歴史的経過から考えると、極めて不自然であり、西松建設の関連団体から小沢氏側への政治献金の原因・動機に関して真実を述べているとは到底思えない。 西松建設側にとっては、政治献金の事実を積極的に隠したいと考えたのは、むしろ、その献金の事実が明らかになると、その政治家に対する社会的非難 や刑事事件での摘発につながりかねない与党議員側への献金の方だと考えるのが合理的であろう。「新政治問題研究会」という西松関連団体と同一名称の故橋本 龍太郎氏の政治団体が同じ千代田区に存在していることで、自民党議員に対する献金が特定できないようにすることが、政治団体設立の主たる目的ではないかと の政治資金問題第三者委員会報告書(10頁)の指摘を、改めて注目すべきであろう。 このような検察の冒頭陳述の内容を裏づけるゼネコン関係者の供述調書が存在していて、ゼネコン関係者が署名しているとしても、それを額面通り受け取るこ とはできない。既にゼネコン間の談合構造が3年以上も前に崩壊し、談合が過去のものとなってしまった現在、過去の談合の事実に関してどのような供述を行お うと処罰や処分を受けることはないのであるから、ゼネコンの談合担当者にとっては「どうでも良い話」である。検察側の誘導によって、そのような内容の調書 に署名している可能性が高い。 重要なことは、これらの点は、事実を争っている大久保被告人の公判において、反論・反対尋問に耐え得る立証によって明らかにされるべきだということだ。 |