「無条件降伏」公判でも認定されなかった 検察は検察審査会の民意を本当に反映させたのか 日経ビジネスオンライン 2009年7月24日 郷原 信郎 7月17日、東京地裁で、西松建設の国沢幹雄元社長の政治資金規正法違反などの事件に対する判決が言い渡された。 この事件では、西松建設側が検察側の主張立証を全面的に受け入れる「無条件降伏」状態であったことに乗じて冒頭陳述で、「天の声」などの言葉を多用して小沢前代表秘書の有罪と行為の悪質性を世の中に印象づけようとする検察の「欠席裁判」的なやり方が問題になった(「天の声」とは、いったい何を意味するのか) もう一つの問題は、検察審査会での議決と公判審理との関係だった。検察は、「他の事件で起訴済みで求刑にも量刑にも影響しない」との理由で一旦は起訴猶 予にしていた二階俊博経済産業大臣の派閥の政治資金パーティー券の購入の余罪を、検察審査会の「起訴相当」の議決を受けて論告求刑後に起訴した。判決期日 が取り消されて弁論が再開され、追起訴に伴って求刑が変更されるかが注目されたが、検察は、求刑を従前どおりに維持し、立証も最小限のものにとどめた。検 察審査会の議決を受けて追起訴を行っても、追起訴事実についての公判での立証が十分に行われなければ、民意が実質的に反映されたとは言えない。 判決は政治献金の談合受注との対価性を否定 今回の判決は、政治団体名義での寄附を西松建設による「第三者名義の寄附」と認め、政治資金規正法違反が成立するとしたが、寄附の動機について は、「公共工事の受注業者の決定に強い影響力を持っていた岩手県選出の衆議院議員の秘書らと良好な関係を築こうとして平成9年ころから行ってきた寄附の一 環であり」と認定するにとどめた。 また、検察が受注工事一覧表まで示して寄附が公共工事の談合受注の対価であったことを主張したにもかかわらず、判決は、量刑面で被告人に有利な事 情として、寄附は「特定の公共工事を受注できたことの見返りとして行われたものではない」と認定し、検察の主張を正面から否定した。判決の認定の前提は、 検察側の冒頭陳述より、むしろ、筆者が前記拙稿で述べたゼネコン談合の実態に近いと思われる。 検察側は、寄附が談合受注の対価であることを具体的に認める西松建設などゼネコン関係者の供述調書などを証拠請求したものと思われるが、裁判所 は、「工事の受注を得たいという積極的な動機より受注活動を妨害しないでほしいという消極的な理由」を指摘する西松建設の内部調査報告書の方が実態に近い と判断したのであろう。 「無条件降伏」状態での西松建設側の公判ですら、このような状況なのであるから、被告・弁護側との全面対決となる小沢氏秘書公判での審理において、検察側の主張立証が一層困難になるのは必至だ。 宙に浮いた検察側冒頭陳述 今回の西松側公判では、検察側が冒頭陳述で9ページにもわたって詳述した小沢氏側への寄附の背景については判断を示さず、冒頭陳述は宙に浮いた形 になってしまった。それは、検察側が行った詳細な主張立証が、国沢被告人に対する起訴事実の立証に必要な範囲を大幅に逸脱していることが根本的な原因と見 るべきであろう。検察側は、本件の小沢氏秘書に対する捜査で重大な政治的影響を生じさせ説明責任を問われたことを意識し、その「説明」の意味も含めて詳細 な主張立証を行ったものと思われるが、それは起訴事実の範囲とは余りにバランスを失している。 このことは、今後開始される小沢氏秘書の大久保隆規被告人に対する公判にも共通する問題である。そこでの審理の対象になるのは、大久保秘書個人の 犯罪事実と情状に関する事実であるが、同秘書に対する起訴事実は、2003年以降の寄附に関する収支報告書の虚偽記入の事実で、しかも、同秘書が政治資金 の寄附の受け入れにかかわるようになったのは、検察側冒頭陳述によれば2000年ころからである。検察側の冒頭陳述のうちの寄附の経緯や背景、そして公共 工事をめぐる談合と小沢事務所との関係に関するかなりの部分は、仮にそれが事実だとしても、大久保秘書の前任の秘書に関するものであり、大久保秘書個人の 刑事責任とは直接関係ない。 大久保秘書の公判で、検察側が今回の公判と同様に詳細な冒頭陳述を行ったとしても、それを裏付ける供述調書などの証拠請求に対しては弁護側が不同意 とするであろうし、検察側が調書の内容を証人尋問で立証しようとしても、大久保秘書個人の起訴事実と関連性が希薄な事実について裁判所が証人尋問を採用す る可能性は低いであろう。結局、検察が、詳細な主張立証を行おうとしても、公判審理の対象にすらならず、今回と同様に冒頭陳述が浮いた形になるものと考え られる。 刑事事件の公判は、あくまで当該被告人の刑事責任の有無と量刑を決する場であって、検察の捜査・起訴の社会的、政治的影響についての説明責任を果 たすことを目的とするものではない。検察は、公判での立証は、刑事事件の立証として許される範囲内にとどめるべきであり、それで不十分であれば、公判への 影響に配慮しつつ、別の場で説明責任を果たすべきであろう。 要するにいくら検察が重大性・悪質性を強調しようとしても、今回の事件で、検察が実際に起訴した事実は、政治資金規正法としては極めて小規模で軽 微なものであり、その起訴事実と情状に関する立証の範囲を超えて過大な主張立証を行うことは、本来、刑事裁判として許容されないものだ。 今回の判決では、刑事事件の公判を、マスコミを通じて世の中に事件を過大に評価させようとするパフォーマンスの場にしようとする検察と、刑事事件の公判として必要な範囲で事実認定を行おうとする裁判所との立場の違いが極端な形で表れたものと言うべきであろう。 判決についての報道は正しく行われたかこのような判決の内容は、正しく報道され論評されたのであろうか。 第1回公判の段階では、「欠席裁判」のような検察の主張立証が不当であることを指摘する論調はまったくなく、多くの新聞、テレビが、小沢事務所の意向が公共工事の談合受注での「天の声」になっていたとの検察の冒頭陳述での主張を、あたかも確定的な事実のように報道した。 そのような報道が行われた背景には、西松建設側が全面的に事実を認め「無条件降伏」している裁判だから、判決でも、「天の声」などの検察の主張が そのまま全面的に認定されるだろうとの予想があったのかもしれない。いずれにしても、小沢事務所の「天の声」を大々的に報道したマスコミにとって、裁判所 が工事受注と政治献金との対価関係を明確に否定し「天の声」に関する検察の冒頭陳述が完全に宙に浮いてしまったことは予想外だったはずだ。 しかし、この判決についてのマスコミの報道には、小沢事務所側の「天の声」を強調する検察の冒頭陳述での一方的な主張を、確定的な事実のように報じたことに対する反省は感じられない。 新聞の社説の中には、「有罪とされた事実の一部は、分離公判となった小沢氏の公設第1秘書の起訴事実と重なっている。今回の判決で、間接的に認め られたという見方もできる」などと、国沢被告人に対する判決で政治資金規正法違反の事実が認められたことをもって、違反を全面的に争っている小沢氏の秘書 についても違反事実が認定されたかのように述べているものがある(7月19日読売新聞社説)。 被告・弁護人が公判で公訴事実を全面的に認めていても、裁判所の独自の判断で無罪判決を出すというのは、理論上はあり得ないことではない。しか し、検察官が公訴権を独占し、訴追裁量権を持っている現行法制の下では、検察の起訴は「有罪の確信」に基づいて行われることが事実上前提となっている。被 告人が事実関係を全面的に認め、まったく争っていない事件で裁判所が独自の判断で無罪判決を出すことは、起訴を行った検察の判断そのものを正面から否定す ることになるのであり、実際にはほとんど考えられない。被告・弁護人側が全面的に事実を認めている場合には、有罪判決を出すのは当然のことであり、事実を 争っている公判で、「弁護人の主張」に対する判断を示して有罪判決を出すのとはまったく意味が異なる。 また、判決が、小沢氏秘書の談合受注への影響力について言及していることに関して、「小沢氏は判決をどう受け止めるのか。これまでの説明は根拠を 失った」などと述べている社説もある(同日付産経新聞「主張」)。しかし、判決は、西松建設側の寄附の動機という同社側の認識について前記のように判示し ただけで、寄附受領者側の行為は一切認定していない。それどころか、寄附と公共工事の談合受注の対価関係について明確に否定している。これで「小沢氏側の 説明」が根拠を失った、と述べているのは、判決の趣旨を正しく理解しているとは言い難い。 裁判員制度の下では、共犯者間で、捜査段階で自白していて公判でも事実を認める予定の被告人と、事実を否認していて公判でも争う予定の被告人とが いる場合、自白している被告人の公判の経過や結果が報道されることが、否認公判における裁判員の心証に不当な与えることのないよう、十分な配慮が必要とな る。 刑事事件の報道においてそのような配慮を行うに当たっては、まず、裁判における当事者の主張立証のルールと、一部共犯者の判決の事実認定が他の共 犯者の公判にどういう意味を持つのかについて十分な理解が必要であろう。今回の西松建設側の公判の報道を見る限り、その点についての基本的理解が欠けてい るのではないかと疑問に思われるものが少なくない。 裁判員制度施行後の刑事公判の立証の在り方の問題も含めて、十分な検討が必要であろう。 検察審査会の「起訴相当」の議決を受けて行われた追起訴この判決に至るまでの経過には、もう一つ大きな問題があった。 国沢元社長の当初の起訴は、3月24日に、小沢氏の大久保秘書の起訴と同時に行われた小沢氏側への資金提供500万円についての「第三者名義の寄附」の事実と、7000万円の現金の海外からの無届持ち込みの外国為替貿易法違反だけであった。 しかし、その後、同一の政治団体名義で行われた、二階俊博経済産業大臣の派閥の政治団体「新しい波」の政治資金パーティー券340万円分の第三者 名義での購入という同種の犯罪事実について、大阪市の市民団体によって告発が行われた。検察は、「起訴しても、求刑上も、量刑上も変わらない」という理由 で不起訴(起訴猶予)にしていたが、6月19日の第1回公判の直前の6月16日、東京第3検察審査会が、この不起訴処分について「起訴相当」の議決を行っ た。 今年5月に施行された検察審査会法の改正によって、「起訴相当」の議決が2回行われると起訴が強制され、しかも、起訴の手続きや公判立会は裁判所 が指定する弁護士が行うことになる。検察審査会の「起訴相当」の議決は重要な意味を持つものになっていた。6月19日の第1回公判の時点では、この検察審 査会の「起訴相当」の議決が行われており、検察は、この事件について、不起訴処分を維持するのか、それを覆して起訴するのかの判断を迫られていた。 第1回公判が、当初の起訴事実の審理だけで結審し、次回の第2回公判で判決予定とされたのは、この時点では、検察としては追起訴を予定しておら ず、検察審査会での「起訴相当」の議決が出された二階派の政治資金パーティー券購入の事実についても、不起訴処分を覆して起訴を行うことは予定されていな かったからであろう。 ところが、それから1週間後の6月26日、検察は、この政治資金パーティー券の購入の事実について不起訴処分を覆し、国沢元社長を追起訴した。これによって、7月14日の判決期日は取り消され、この日にこの追起訴事実についての審理が行われることになった。 2回目の「起訴相当」の議決が行われて、裁判所の指定する弁護士が起訴手続きや公判立会を行うことになれば、その指定弁護士に事件に関する資料をす べて提供しなければならなくなる。提供する資料に情状立証に関連する資料も含むということになると、西松関連団体から二階氏側への起訴されていない資金提 供に関する事実も提供せざるを得なくなることも考えられるが、その結果、検察のそれまでの捜査・処分の妥当性が問われることになりかねない。検察は、その ような事態になることのないように、1回目の「起訴相当」の議決にしたがって追起訴を行ったのであろう。 注目された追起訴分についての求刑検察が検察審査会の「起訴相当」の議決を受けて追起訴したことで、当初1年6月の禁錮としていた求刑をどうするのか、追起訴後も求刑を維持するの か引き上げるのかが注目された。求刑を引き上げると、検察が当初の不起訴処分の理由としていた「追起訴しても求刑も量刑も変わらない」という考え方が誤っ ていたことを認めることになる。 しかし、同種の340万円の違反が加わっても求刑が変わらないということになると、500万円の「第三者名義での寄附」の事実と外国為替貿易法違 反についての禁錮1年6月の求刑との(外国為替貿易法違反は懲役6月以下なので政治資金規正法違反を少なくとも禁錮1年相当としたことになる)バランスが とれないことになり、当初の本起訴分で禁錮1年6月という求刑が不当だったことになる。 7月14日の第2回公判で、検察は、追起訴分についての立証を行った後に行った論告求刑で、「政治家側との癒着の実態や献金規模等から見て今回追 起訴分よりはるかに悪質な政治資金規正法違反の事実につき・・・相当と考える求刑を行っており、今回追起訴分に対する刑事責任もその中で十分に評価し得 る」として、求刑を従前どおり「禁錮1年6月」のまま維持した。 しかし、求刑を維持した理由として検察が示した、本起訴分の「第三者名義による寄附」の事実が、追起訴分の同種の「第三者名義によるパーティー券購入」の事実より「はるかに悪質」という見方には重大な疑問がある。 「献金規模」という面では、本起訴事実が合計500万円の第三者名義による寄附であるのに対して、追起訴事実は第三者名義での政治資金パーティー 券340万円の購入であり、起訴にかかる金額は遜色のないものだ。時効完成済みのものなど起訴されていない事実も含めて「献金規模」を比較するのであれ ば、西松建設関連団体が平成7年に設立されて以降、その名義で行われた政治資金の提供の総額を比較しなければならないはずであるが、総額が概ね示されてい るのは小沢氏側への資金提供だけで、二階氏側については起訴された事実以外はまったく明らかにされていない。 また、「癒着の実態」についての指摘は、政治資金規正法の趣旨を取り違えているように思われる。政治資金規正法は、収支報告書の記載の真実性につ いて基本的には会計責任者に義務と責任を集中させ、一方で、寄附者側にも「本人以外名義の寄附」を禁止し、(会計責任者より軽い法定刑で)処罰の対象とし ている。それは、本人以外の名義で寄附が行われた場合、会計責任者がその事情を知らない場合には、収支報告書に寄附者を誤って記載する恐れがあり、それ が、政治資金の収支にかかる真実を公開するという政治資金規正法の趣旨に反するという理由によると考えられる。このような「第三者名義の寄附」の処罰の趣 旨は、贈賄者と収賄者の結託を本質とする贈収賄とは決定的に異なる。 つまり、「政治家側との癒着の実態」があったからと言って、「第三者名義の寄附」という政治資金規正法違反の悪質性が高まるわけではないし、逆に、 「癒着の実態」があって、寄附を受領した会計責任者側が、「本人以外の名義の寄附」であることを認識した上で、敢えて寄附者として収支報告書に記載したの であれば、会計責任者側が収支報告書の虚偽記入の責任を厳しく問われることはあっても、寄附者側の「第三者名義の寄附」についての責任が重くなるわけでは ない。 本起訴分の政治資金規正法違反が追起訴分より「はるかに悪質」だという検察の主張の妥当性には問題があり、追起訴分も含めて「禁錮1年6月」の求刑を維持したことが妥当だとは思われない。 二階氏側への資金提供についての検察立証は不十分今回の判決は、国沢被告人に対して禁錮1年4月執行猶予付の量刑を行った。そして、判決理由の中で、同追起訴事実については「証拠から西松建設か らの支払であることを公表されないようにする以上の背景をうかがうことはできず。(本起訴分)とともに処罰するのであれば、これを量刑上有意に評価するこ とはできない」と判示した。この指摘は、検察側が「起訴しても、求刑上も、量刑上も変わらない」との理由で起訴猶予にし、追起訴分が加わっても禁錮1年6 月の求刑を維持したことを正当と認めたようにも思える。 しかし、重要なのは、この判示の「証拠から」という文言である。要するに、検察が、二階派のパーティー券購入については、「西松建設からの支払で あることを公表されないようにする」という目的しか追加冒頭陳述でも述べていないし、証拠も提出していないので、その程度の犯行動機しか認定しようがな い、だから、悪質性を認めることができないという趣旨と理解すべきであろう。 西松建設の関連団体名義の二階派の政治資金パーティー券購入の購入額は、平成16年以降、総額で844万円に上るのであり、常識的に考えれば、そ れが公共工事の受注と無関係だとは思えない。二階派への資金提供の悪質性については、小沢氏側への資金提供と同様に捜査をしなければ明らかにできないはず だ。検察が一度起訴猶予にしているこの事件については、その点についての捜査は尽くされていない。 追起訴分の事実に関しては、判決が指摘している「寄附の背景」以外にも、過去からの二階氏側への寄附の総額など、小沢氏側への資金提供の事実と比 較して立証が不十分な点が多々ある。本件のように、検察が起訴猶予処分にした事案について検察審査会が「起訴相当」の議決を行った場合、議決で示された 「民意」を尊重するというのであれば、議決にしたがって起訴をするだけでは足りない。 起訴した事実について公判で十分な立証を行うことで初めて議決で示された「民意」を尊重したことになるのである。今回の件での検察の姿勢は、形式 的には検察審査会の議決にしたがったものの、公判で十分な立証を行わないことで、実質的には議決に示された民意を軽視したものと言わざるを得ないであろ う。 |