復活の時
榎本喜八
稲尾は、榎本一人を抑えるためにフォークを覚えた!!A
榎本の師匠である荒川博は「愛弟子」について、こう述べている。{榎本は毎日、私の家に来てバットを振り、私の合気道の修行にもついてきて、道場の隅に正座して見学するという、ハードなプロ野球選手の道を歩んでいた。この榎本はまことに生真面目な男で、求道心のかたまりのようなところがある。大阪遠征のときだ。榎本がまだ19歳くらいのころだと思う。たまには気晴らしにでも、というので夜の街へ出た。メトロとかいうキャバレーに入った。当然、女の子が横に座るのだが、榎本はしゃちほこばっている。その状態のままで、5分もしないうちに、いきなり直立不動して「荒川さん、こんな不潔なところにいられません。帰ります。」と言い出した。そのうち、榎本は私の家に3ヶ月も泊り込み、出掛けるときには私のオートバイの後ろに乗ってついてくるという状態で、バッティングの極意を目指して、猛訓練を積み重ねるようになった。ゲームが終わってから、私と一緒に帰ってきて、私が「もうよい」と言うまで、何百回もバットの素振りをし、姿勢、間の取り方、足腰の位置などを徹底的に研究する毎日だった。}
もし、もしもだ。135ゲームフル出場することは100%不可能だが、老人となった今でも3点リードされた9回裏、2死満塁の場面で代打に送れば、必ずタイムリーを打ちそうな執念を榎本には感じる。
誤解を承知でいえば、榎本はスポーツマンではなかったような気がする。イメージ的に一番近いのは「剣豪」。彼にとって「バット」は刀であり、まさにピッチャーと斬るか斬られるかの真剣勝負を演じていたのである。