切札〜ある「代走屋」のプロ根性


ヤクルト初優勝に貢献した「代走屋」

 足にスランプはない。球界の常套句(じょうとうく)である。「いや、あれはウソですよ」そう言い切った男がいる。元ヤクルトスワローズの青木実である。通年成績は10年で、558試合に出場し、打率229、2本塁打、26打点。成績を見る限り、どこにでもいる並のプレーヤーである。ただひとつ盗塁を除いては・・・。現役時代、彼は「代走屋」と呼ばれた。
 いわゆる足のスペシャリストである。青木は100メートル11秒2、ベース一周13秒の好走を買われて、1975年、ドラフト5位でヤクルトに入団した。入団3年目の1978年には90試合以上に出場してヤクルトの初優勝に貢献。81年には巨人の松本匡史と激しく盗塁王を争い、最終ゲームの広島戦で34個目の盗塁を決め、悲願のタイトルを手中におさめた。しかし、打撃が非力だったため、リードオフマンとしてスターティングメンバーに定着することはできなかった。そのために彼は現役生活のほとんどを「代走屋」として送らざるを得なかった。バットやグラブではなく、自らの2本の足で禄(ろく)を食(は)む道を彼は選んだ。いや選ばざるを得なかったのである。振りかえって青木は言った。「本当はレギュラーをとって毎日、試合に出るのが理想なんでしょうけど、上に上がってしばらくしているうちに厳しさがわかってきた。上で自分が生きていくためには、とにかく自分の売り物を主張していくしかないと。それが自分の場合は足だったわけです」プロとして「生きていく」ために、とりあえず青木が考えたこと、それは人よりも速く走ること、人よりもスチールの成功率を高めること。この2点であった。