転機〜支えてくれるもの
ナンバー2の捕手が二軍で受けた屈辱の日々
ヤクルト時代、野口は野村監督に「落第生」と呼ばれた。カチンときたが、何かを言い返せる立場ではなかった。
「今にみていろよ・・・」長い二軍暮らしで反骨心が育まれた。ある他球団の二軍選手に「オモエのところは変な球団だな。なぜナンバー2が二軍なんだ。試合の手伝いにでも来ているのか」と皮肉を言われた。しかし、黙って耐えるより他に手がなかった。不動のキャッチャーである古田敦也の存在は大きかったが、試合に出るチャンスさえあれば、もっとチームに貢献できると彼は考えていた。振り返って野口は語った。「一軍ベンチにいれば、古田さんとも競争できるし、勉強になることもあると思う。だけど二軍にいてはそれもできない。とにかく、野球選手にとって、一軍の試合に出場できないことほど辛いことはない。そのことを身にしみて感じましたね」
たまっていたマグマが爆発するように野口は日本ハムでブレークした。トレードの前年、野口はヤクルトでわずか16試合にしか出場機会に恵まれなかった。ところが、トレードされたその年、野口は109試合に出場し、レギュラーの座を手中に収めた。その年の夏、野口に嬉しい知らせが届いた。監督推薦によるオールスターゲーム出場である。オールスターといえば文字どおり各球団から選りすぐりの精鋭が集まるスーパースターたちの競演。野口は自分には縁もゆかりもないものだと思っていた。まさしく、この知らせは寝耳に水だった。
98年のオールスターゲーム初戦はナゴヤドームで行われた。野口は真っ先に全セの指揮を執る野村監督の元を訪れた。「監督、お世話になりました」かつての上司に告げると、「ウチに中元でも贈ってくれ」と言われた。かわした会話は、その一言だけ。野口は会釈して踵を返した。二軍選手からオールスタープレーヤーへ。一躍、シンデレラボーイとして脚光を浴び始めた野口だが、単に運が巡ってきたという類の話しではない。その運をたぐり寄せたのは他ならぬ野口自身だったということを忘れてはいけない。出るか、残るか。究極の選択を迫られた時、もし波風の立つことを恐れて行動を起こさなかったら、今の野口はなかっただろう。野口は自分の意思で決然と退路を断ち、自分の未来に賭けるという決断を下した。そして、それを支えたのが将来を誓った由希夫人だった。