「DHと代打〜最強の代打屋」
あぶさんは実在した!?高井保弘の偉大な記録
「日本プロ野球史上、最強の代打屋は誰か?」そう問われると、私は決まってひとりの男の名前を口にする。元阪急ブレーブスの代打屋、高井保弘である。簡単にプロフィールを紹介しよう。
高井は今治西高校を卒業後、名古屋日産に進み、64年阪急ブレーブスに入団した。67年にはウェスタンリーグの首位打者になるなど、バッティングには早くから定評があった。しかし守備面や足に問題があり、なかなか一軍に定着できなかった。
高井が代打として完全に一軍に定着したのは72年から。この年、高井はわずか86試合の出場ながら、207打数56安打、15本塁打、44打点と大活躍し、チームになくてはならない存在となる。圧巻だったのは74年のシーズン。高井は9本のホームランを放ったが、そのうち6本までが代打での一発。これはパ・リーグのシーズン最多代打本塁打記録でもあった。高井の通産記録を見ていると、76年から打数が飛躍的に増えていることが確認できる。これはこの年から指名打者制(DH)が導入されたからだ。DH制の導入以前は72年の207打数が最高だったのが76年には225打数、77年には367打数と打席に立つ機会が多くなる。キャリアハイは78年の打率3割2厘、22本塁打、77打点と79年の3割2分4厘、21本塁打、66打点。この頃になると、もうかつての代打屋の面影はない。押しも押されもしないチームの主力打者である。
しかし私は「代打屋」と呼ばれた頃の高井が好きだった。本人に「代打屋を一言で言うと?」と訊ねると彼は「一振りで家族を食わせる仕事ちゅうことになるやろね」とサラリと言った。その言葉を耳にして私は背中に電流が走るほど感動した。その言葉には代打屋の矜持があふれていた。