ジンクスとゲンかつぎ
夏の甲子園優勝投手


愛甲・荒木・水野・・・故障にないた逸材たち。

 夏の甲子園の優勝投手はプロでは大成しないというジンクスがある。最近の選手を例にとっても、78年の西田真二(PL学園〜法政大〜広島)80年の愛甲猛(横浜高〜ロッテ〜中日)81年の金村義明(報徳学園〜近鉄〜中日〜西武)82年の畠山準(池田高〜南海〜横浜)らは炎天下の酷使が原因で肩やヒジを痛め、その後はバッターに転向した。
 荒木大輔(早稲田実〜ヤクルト)水野雄仁(池田高〜巨人)ら甲子園で騒がれたピッチャーもプロに入ってからは故障に泣き、ドラフト1位指名に見合う活躍はできなかった。甲子園の優勝投手で、プロに入ってからも投手として活躍している選手といえば、最近では桑田真澄(PL学園〜巨人)と松坂大輔(横浜高〜西武)くらいのものだろう。
 それでは炎天下での甲子園の連投が、いかに過酷なものであるか、甲子園OBたちの体験談をここに紹介してみよう。
「一番ひどい時は握力がなくなるくらいヒジが痛かった。ヒジが肩より上に上がらなくて、手首でしか投げられなかった。投げ方が悪くなると腰までひどくなり、平らなところでもつまずいていましたよ。夏の甲子園は暑いから余計に消耗するんです。決勝戦は体全体が疲労の極致で、自ら監督に頼んでマウンドを降ろしてもらった。甲子園から帰ってきたら体重が5kgも減っていました」(愛甲猛)
「センバツで4連投した時には700球以上投げたと違うかな。決勝はもう立っているのがやっとの状態で、3塁線のバントを捕りに行って倒れてしまった時は、しばらくたちあがれなかったもんね。この経験のお陰で夏は上手に抜きながら投げられたけど、それでも予選はコルセット巻いていたよ。実際に投げたこともない者は”3連投くらい根性で”と言うけどこれはホンマ、きついよ。経験した者にしかわからへん。体がへばると違う投げ方をするから故障する確立も高い」(牛島和彦・浪商〜中日〜千葉ロッテ)