ジンクスとゲンかつぎ
夏の甲子園優勝投手
期待が一瞬にして失望にかわった、あるルーキーの悲劇。
甲子園での機能障害について語る時、必ず引き合いに出される話しがある。74年のドラフトで中日はその年の夏の優勝投手、土屋正勝(銚子商業)を指名、獲得することに成功した。当時中日のピッチングコーチをしていた近藤貞雄は「楽しみなピッチャーが入ってきた」と言って小躍りした。ところが、キャンプで土屋のヒジを見るなり、一瞬にして期待は失望にかわってしまう。くの字に曲がったまま、真っ直ぐに伸び切らないのだ。いうまでもなく、高校野球でのなげすぎが原因だった。
当事者の土屋は語った。
「プロに入る時もヒジは痛いし、腕が伸びないこともわかっていました。それでも入ったのは”プロには専属のトレーナーがいるから心配しなくていい”と言われたから。でも、結局は元に戻らなかった。僕の球が一番速かったのは高校二年の頃。結局、高校野球の後遺症には引退するまで悩まされました」