ジンクスとゲンかつぎ
夏の甲子園優勝投手
沖縄水産高校の大野投手は、甲子園で”殉職”した。@
現在、福岡ダイエーホークスで外野手として活躍する大野倫も甲子園の犠牲者のひとりである。91年、大野は沖縄水産のエースとして夏の甲子園に出場、4連戦を含む全6試合に完投し、773球をたった一人で投げ抜きチームを準優勝に導いた。悲劇が酷使の右腕を襲ったのは、決勝戦の対大阪桐蔭戦。試合途中で右ヒジが完全に曲がってしまい、正常な状態で腕が振れなくなってしまったのだ。閉会式では右腕をくの字に折ったまま行進せざるをえなかった。スタンドからそのシーンを目のあたりにした母・良江さんは「あの子のヒジが・・・」と言ったきり顔を伏せ、絶句した。
大野は語った。「決勝戦はヒジがパンクして、キャッチボールすら満足にできない状態。痛みも限度を超えると、頭がボォーッとして自分でも何をやっているのか分からなくなってくるんです。試合中、一度も勝てる気はしなかった。だから負けても少しも悔しくなかった。むしろホッとしたというのが実感でした」
大野が右ヒジに痛みを覚えたのは、県予選が始まる前の5月だった。熊本県の招待試合で鎮西、熊本工業という強豪校相手に2連投、1日で18イニングをひとりで投げきった。右ヒジの痛みは日を追って激しくなり、それが原因で頭痛を併発、満身創痍のまま県予選を迎える。ヒジをかばって変化球主体のピッチングをすると、チームメイトから「おまえのせいで甲子園に行けんかったら、一生恨んでやるからな」と罵声を浴びせられた。大野にとって仲間の罵声は、監督の叱声にも増してショックだった。合宿所のトイレで、人知れず涙をこぼす日々が続いた。
奮闘の甲斐あって甲子園出場。しかし、右ヒジはすでにまっすぐには伸びない状態になっていた。一球投げるたびに、激痛が全身を貫いた。歯を磨くのも左手、顔を洗うのも左手、食事くらいはと右手で箸を持つと、痛みのあまり、幼児のように箸使いがぎこちなくなり、ご飯粒が、箸の隙間から、ぽろぽろとこぼれおちた。