ジンクスとゲンかつぎ
夏の甲子園優勝投手


”甲子園優勝投手”と引き替えにしたものは?

 大野のみならず、甲子園は毎年のように犠牲者を生み出している。86年の大会では、優勝した天理のエース、本橋雅央(早大〜オリンパス光学工業)が右ヒジの負傷をおして力投を演じ、その痛々しいまでのマウンド姿が同情を呼んだ。結果的に甲子園でのピッチングが原因で彼は野球生命を絶たれることになる。振り返って、本橋は語った。
「予選から痛みはありましたが、ひどくなったのは甲子園が始まってから。9回投げた時には指の先にまで痛みが走り、小指からヒジにかけての外側は、触れられても感覚がないんです。準決勝が終わった後、痛み止めの注射を2本打ちました。医者に”もう腕はどうなってもいいから、とにかく絶対に痛くならないようにしてください”と頼むと”ホンマに、どうなっても知らんぞ”と言われました。でも、僕は本当に自分はどうなってもいいと思っていた。甲子園で優勝するために、辛くて苦しい練習に耐えてきたわけですから。しかし、今になって考えると、それで良かったのかどうか・・・」
 決勝戦の前、ある記者が「本橋君のヒジは大丈夫なのか?」と天理高の橋本監督に訊ねたところ、「あの子の進路や将来については、私がすべて責任を持ちます」という答えが返ってきたという。卒業後、本橋は推薦入学で早大に進んだが、公式戦には1試合しか登板することがなかった。しかしドロップアウトすることなくきちんと卒業し、一部上場企業のオリンパス光学工業に就職した。一般世間の価値観に従えば、高校の監督は責任を果たし、選手もしっかりと第二の人生を歩んでいるということになる。しかし、当の本橋に悔恨の思いは消えない。「確かに僕は甲子園の優勝投手になれた。これは自分だけの財産だし、誰に対しても胸の張れるものです。と同時に、甲子園で取り返しのつかないことをしてしまった、と後悔しているのも事実です。小さい頃からずっと野球をやってきて、できれば大学で活躍し、プロに行きたかったのに、今やヒジと肩の後遺症で草野球すらできないんですから。大好きな野球ができない。これほど辛いことはないです」

 甲子園の優勝投手はプロでは大成しない〜このジンクスは、高校野球の構造的な欠陥を示唆している。貴重な人的資源を「母校の名誉のため」といった美名の下に潰すのは、プロ野球、いや日本野球の将来を考えてみた場合”百害あって一利なし”なのである。このジンクスが一日も早く過去のものになることを願いたい。