国家の原型
守るってことが国家そのものを守るということであるなら、国家の存在意義に鑑(かんが)みて、論理的に矛盾してくるんじゃないかなあ?

協力し合いながら生活を営んできた人々の集団の、おもに外的な侵害に対する組織だった抵抗が、国家の原型じゃあないのかな。

外的というものには、他の人々の集団もあっただろうし、他の動物から襲われることもあっただろうね。

自分一人で自分を守ることは大変難しい、だからこそ、みんなで協力して組織的に守ろうってことになったんでしょう。
その組織的集団が、初めから一個人を守ることは考えていないとするなら、齟齬(そご)・矛盾・自己撞着(どうちゃく)・ディスコネクションー何でもイイけど、ものすごーく変じゃない?
タケノコ堀
それを歴史の途中から権力者たちが、人ではなく、領土を守るってことにしてしまったんだ。
何故って、単純な理由からだよ。 それは、人間の数が多くなって、何十人、何十万人、何百万人殺そうが、絶滅しなくなったからだよ。
領土さえあれば、雨後の竹の子のように人が増えていったんだね、きっと。

それ以前は、そうは出来なかったろう。 何しろ、そんなに死なれちゃ、気づいてみたら誰もいなくなった、という笑い話になりかねないので。
それだけ、一人一人の人間が大切で、大事にされたんだと思うよ。 その時代の環境のなかで出来うる範囲内でね。
たとえそれが、今から考えると悲惨とも言える生活状況であったとしてもだよ。

そういうことで、国家は、一人の国民なりとも、守る責任・義務があるということになりませんか?
私は、そう思いますし、そう努力し続けることが国家の文明的・文化的発展の前提になると考えます。

なあ〜んて気張ったところで、誰も納得してくれなきゃ、何のために色んな角度から話題を提供してきたのか…
もう虚しくなってしまう、なあ〜んてジョーダンです。 何しろ、自己満足の世界ですから。

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