守る国民を守るってこと、それ自体はいいのですが、全体だけを意味するのであれば問題です。
だってそうでしょう、国民の大多数は、直接であれ間接であれショバダイ−税金を納めてきているわけですから。 まあ、多い少ないの違いはありますが、おまえは平均の半分しか納めてないから、おまえの命半分だけ守ってやる、というわけにもいかんでしょう。
それとも、必要な犠牲を出さざるをえない時、栄誉ある犠牲者は、納税額の少ない順に選ばれてゆくんでしょうか!?

ゴールキーパー私は、国家は国民一人であろうと、その時点で行使しうる、あらゆる力を駆使して、守る責任・義務があると思うんです… やはり変でしょうか?

変だよ! そんなイキがって言ったって、国全体のことを考えて行動しない国なんてあるかいな。 一人の人を助けるために、多くの人が犠牲になっても良しとするんか?

確かに、みんながそう思って納得しているところがあるよね。 でも、それじゃあ、ダメじゃないかな。 100年たっても200年たっても、なんの進歩・発展もなく、国は相も変わらず最低限、高額納税者と有名人達を守ればイイやと思い続けるよ。 何故って、彼等はうるさいからだよ。 彼等のうるささが多数の国民を煽動(せんどう)してしまうことにもなりかねないからね。

肥満なにしろ、TVの有名な司会者が番組で、あっ、これこれ、これって健康にとってもイイそうですよ!って言ったもんじゃ、翌週にはその品物が店頭からなくなっちゃうっていう時代なんだから。 でも、これはこれで恐いよね… ヒットラーのアジテーションみたいで。
まあ、私のような一般庶民は、新聞やTVを通じて日々はいってくる情報を、新興宗教的な受け止め方をしてしまうところがあるよね。


ところで、エッ?
おまえねえ、ところで、が多すぎない?
まあまあ、そう言わずに、もうちょっとだけ横道に入らせて、ねっ。

シマウマ広大な草原に群れをつくって生息している、シマウマやインパラのような草食動物がいますよね。
TVの野生動物ドキュメンタリー番組などで、ライオンがそういう群れを襲う場面を見て、何か違和感を感じたことありませんか?

広大な草原のなか、ライオンが草を食(は)んでいる群れを襲う。群れは懸命にライオンから逃げようとして駆け回る。弱そうな逃げ遅れた一頭がライオンの標的になり、ついには捕らえられてしまう。
すると、それまで逃げ回っていた群れは、落ち着きを取り戻し、ライオンに押え付けられている一頭から程近いところで、何事もなかったかのように草を食べ始めている。

初めてそういう場面を見た時、いつだったかは覚えてないけど、ものすごく変で(?)奇妙な印象を受けた記憶があるんだよねえ。 今では、それが自然界の掟(食物連鎖)というか、姿なんだなあ、そこに人間の感情を移入してしまうこと自体が人間の傲慢さなんだ、と思ってますけど…

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