種族の保存

履き違えた競争社会

履き違えた競争社会になってきているようなので、色々の角度から問題が表面化するんでしょうね。
利潤追求の企業社会は「競争」で良いんですが、共同体としての社会に徒(いたずら)に「競争」を取り入れることは共同体に住む、いや、共同体自体の意味を無くしてしまいます。 だってそうでしょう。 「競争」=「個々人の勝手」なんですから、共同社会に住む意味がないんじゃありません?

もっともらしいTBSの評論家が尊厳死や割り箸事件の医師が無罪になったことの話題に言及して、生命の尊さと医療行為の重要性を力説していました。 チャンチャラ可笑しいとは言いいませんが…
個人の生命の尊さも実質的平等でしかない、あるいは、現実的不平等だってことを、彼は分かってなさそうに思われたんです。

適切な医療を受けられる可能性があるとしても、可能性で終わってしまう患者の方がむしろ多いんじゃないですかね。 医療レベルが高度になるほど掛かる費用も高額になるんですから…
難しく重い病気の子供が話題になることがありますが、何とかなっても、義捐金(ぎえんきん)の力によるケースが殆どですよね。
生命の尊さをカンタンに力説しますけど、力説してカタルシス現象に浸っているだけなんですよね。 (そういう自分も、その一人ですが)

「この世の中は金しだい」

この状況を「是」とせざるをえないなら、費用を掛けて生命維持装置まで付けて生き存(ながら)えたいか否かの選択を、個人に委ねられるべきだと思うんです… 少なくとも医者にではなく。 理屈上そうなりません?

適切な医者・医療設備を享受できる経済状態ではなかったために命を失ってしまったケースは少なくはないと思います。 子供や若い連中の場合は余りにも悲惨ですよね。

色々な点で限界があるのなら、子どもや若い連中にだけでも、社会は十分な医療投資をするべきだあ!って言ったら、年配の方々は怒りますかねえ?
でも、子供は社会の宝なんですから、子供の家庭の経済力でもって医療に格差が生じる状況は、どう考えたって変ですよ!

(これは、自然の摂理でもある、「種族保存」という人間の根本的価値観に内包されるものだと思います。 これって、私の、酷く単純な、価値観です。 でも、この価値観でもって色んなことを見ると、非常に分かり易いですよ。 人間は、生物学上からだけではなく形而上学的にも、人間は動物の一種であることを否定してはいけないと考えてます)

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