カルト(新興宗教)の問題
「カルトの意味」
@ カリスマ的指導者を中心に、熱狂的な信者をもつ新興の宗教集団。(今回はこの意味です)
A 一部の熱狂的ファンに支持される映画・小説など。「─ムービー」
(済みません、のっけから横道に逸れます。もちろんショートカットして頂いて結構です)
日本語の学者は大変です
日本語の専門家は大変だろうなぁ。未だに、米国の侵略に晒され続けていると思いませんか? 学者が日本語の新しい単語を造る前に、英語をカタカナにされてしまうのですから、やってられんじゃないのかなぁ〜。
"KOBAN" って "小判"のこと?
最近、町の交番ですら"KOBAN"と表示されています。 変じゃありません? だって、誰のための"KOBAN"なんでしょうねえ?
外国人用とするなら"Police"と表示すれば済むことですよね。それに"KOBAN"て、"小判"のことですよね!?
カタナカ表記の問題点の一つで、発音を伸ばす「う」に相当する部分を省略してしまうってのがあります。どのみち英語の発音をそのままカタカナに移行させることは出来ないんですから、せめて"KOUBAN"と表記すればイイように思うんですが。
日本の言葉の文化は、ついには"カタカナ文化"になってしまうのか… 読まされる方はたまったもんじゃない!
不穏なカルトに取り込まれる若者達
不穏なカルトへ学生たちが −優秀とされる学生も含め − 入信するケースが目立つため、それを防ぐ対策を講じようとしている、学者を中心とした団体があるようです。大変な努力をなさっておられると思い、頭が下がります。
私の性分として、自分が出来ないことが出来る人たちを単純に尊敬してしまうんです。性根は素直なんでね…ハハハ。 エッ、子供と変わんない!? 胸にズキっとくることをおっしゃいますねえ。
でも、当たりです。
頭で考える…「おい、頭以外で思考できる機能が、お前にはあるんかぁ? セクシャルハラスメントまがいのことを言うんじゃないぞ!」 そうですね。それでは言い直しまして…考えを巡らすと、確かに大人になれるんです。ですが、体に染みついている価値観のようなものが、考える前に反応しちゃうことがあるんでよ。何才になっても、それから抜け出せないんです。 そういうことってありませんか?
以前一緒に働いていた会社の同僚が、多くの男女社員に小バカにされていました。新しく入社してきた人達にも、数ヶ月後には小バカにされ始めてました。問題は、取引先の連中にも小バカにされていたことです。仕事に差し障りがでますものね。
人柄は、酷く自己中的な部分を無視できれば、大変な好青年でした。(私自身のことではありませんよ、念のため)
そんな彼と朝の通勤電車で一緒になった時のことです。駅に降りて、いつものように大変な混雑で、9時出勤には余裕のない時刻でした。まさにラッシュアワーというもので、我先に出口に急ぎます。混み合う流れに押し出されるように、我々二人も出口から外にでました。ふと、隅の方でうずくまっている中年の男が目に入ったんです。前行く人々は精々一瞥程度で我関せずと通り過ぎてゆきます。
私も無視を決め込もうとしましたら、彼は近づいてゆき、「どうしました、大丈夫ですか? 駅員を呼びましょうか?」と声を掛けちゃったんですよう。仕方なく私も側に寄りました。後から出てきた人の群れが、立ち止まっている二人の肩などに当たりながら、迷惑そうな顔をして通り過ぎてゆきます。
「ああ… 大丈夫です。暫くこうしていると治りますから… 」
「そうですか。本当に大丈夫なんですね?」「大丈夫です… 」
ということで、我々は遅刻せずにはすんだのですが… 私は、口には出しませんでしたが、彼に負けたあ〜、敵わないと思ってしまったんです。その日、一日中ユウウツでした。
今でも比較的鮮明に覚えています。 単純バカですかね?
救援団体の学者にも分からない理由
判断力も備わった人々が何故カルトに入ってしまうのか判らない、と救援団体の学者が言います。私も実際のところは分かりませんので、これからは勝手な推測になります。
刑務所などの懲罰房は独房だってご存じですよね。ドラマや小説などにも出てきます。なぜ独房なんですかね? 何故、外界を遮断された狭い独房で一人にさせておくことが懲らしめになるんでしょうね?
東京に生まれ育った人が、周囲に誰もいないと不安に感じてしまうと言っていたことがあります。周囲にいるのであれば、見知らぬ人でもイイそうです。片田舎育ちの私は逆で、東京に初めて出てきた時は、周囲に人が多くて必要以上に自意識過剰になり困ってしまったものです。
ある学者のエッセイで、短期間で絶対に、しかも大巾に痩せられるという方法が紹介されていました。小さな部屋に閉じこもり、ずーっと雑音を流しておくんだそうです。一週間で、もの凄く痩せるそうです。何キロかは書いていなかったように思いますが。
ただし、但し書きがあるんです。
その但し書きは、"不可逆性(元に戻らない)の精神異常をきたす可能性が大きい"ということでした。学者がこんなヤバイこと書いてイイのかよ、と思いましたね。だって今の世の中じゃ、やってみようとする人がいるかも…
と考えても不思議じゃありません。何しろ、思いも寄らぬことが日常生活の中で起こってしまう今日この頃です。
エッ、途中で止めれば問題ない、とおっしゃるんですか? あなたも私と同様におバカさんですねえ。
閉め切った部屋の中での一酸化炭素中毒死ってありますよね。どうして途中で外に逃げ出さないんでしょう? エッ、自殺だから逃げるわけがない? イヤ、ゴメンなさい、事故死の場合です。
ヤバイと気付いたときには、体が動かせなくなっているそうなんです。
小部屋に閉じこもって雑音を流すケースも同じように危険なんですね。
精神的障壁による孤独
それはさておき、隔離されて孤独におかれると、たとえ大罪を犯すような人々でも耐え難き状況に陥るようです。これは物理的に作られた孤独ですので、その物理的な壁を精神異常をきたす前に取り除けば、即座に解放されるわけですよね。
それでは精神的な壁、精神的障壁による孤独状態はどうでしょうか? そんなもんはナイではなく、ありますよね。
物理的な物ではないので、そんな壁があるのか、あったとしても、どんな壁なのか周囲からは分かりません。しかも、物理的な壁と同様の働きをするようですから困ったものです。
私も、そのような壁が欲しくなり作るときがあります。 多分、誰だって、そのような時があるんじゃないでしょうか。
でもそれは、自分の意志で取り除くことのできる壁ですよね。
自分では開閉できない扉
問題の壁は、そんな都合の良い壁とは違うようです。自分では開閉できない壁なんです。 そういう人達の中には、その壁に慣れきってしまってマイペースで生活している方々もいらっしゃるでしょう。しかし、そんな壁から抜け出したいと悩み続けている方々も少なからずおられるようです。内なる孤独とでも言うんでしょうか…
言い方はどうでもイイことですけど。
高校時代に、心理学者であった宮城音弥さんの本を読んだことがあります。本の内容は、斑にさえなっていない程に忘れてしまってはいるんですが、妙に今でも覚えている部分があるんです。それは、悩める学生たちの相談相手になっておられる件(くだり)です。
ある学生が悩みの相談を認(したた)めてきました。宮城さんは簡単な内容の返事をだされます。その内容とは; お悩みの内容は分かりました。相談にのります。是非、私に会いに出てきてください。というようなものです。
宮城さんは言います。会いに出てくる方は治る… その悩みから自力で殆ど解放される… 私(宮城)は、単にキッカケを与えるだけだ、と。
なんか、神は自ら助くるものを助ける、とう言葉を連想してしまいます。私は神ではなく、その言葉を信じてはおりますが。
周囲には家族や友人や仲間がいてたとしても、それらはすべて皮相的な存在で、内なる孤独に陥ってしまい、自力では抜け出せない状況にある人たちは、誰かからの「キッカケ」というよりは、継続的な援助が必要のようです。 君は弱い、とか引っ込み思案だとかいう問題ではないのです。これは、ハッキリしています。
救援団体のような存在も大きな力になりうるでしょう。しかし、彼らには個人に対する継続性がありません。
そのような状況に至る原因について、専門家の方々が色々の角度から半世紀以上も分析・研究なさっておられますでしょうから、根本治癒の方法は、その結果を待つことにします。
日本も、心理カウンセラーが低コストでもっと一般的(周囲から異様な目で見られないよう)になれば良いんでしょうけどね…
(少々あきてきましたので、また偏見の極みのようなお話しをします。勿論、この話しの部分を飛ばして下さっても結構です)
大学生時代の友人に、女友だちが尽きない男がおりました。なにしろ、変な男ではありました。彼は夜明けと共に目が覚めるんです。ですから、一年を通して目覚める時間が違うんですね。何故って、日の出の時刻は一年のサイクルで日々変わってゆきますでしょう。そういうわけで、彼は朝が早いんです。朝の遅刻なんて考えられませんでした。
ところが、4年生になった頃、彼は朝、時々遅刻するようになったんです。仲間うちで、おい、鶏さんよ、体調でも悪いんか? とからかいましたところ、彼の返答に皆大笑いしてしまったんです。いやあ、参ったよ。アパートの前に高層ビルが建っちゃってね。朝日が差さなくなったんだよ。という返答に、こいつの体質は筋金入りだと思ったもんです。
ある日そんな彼の部屋で、高層ビルが建つ前に、仲間数人で飲んでました。(以下の会話は、私の虚構の世界です。実際にあったことではありません)
「お前はモテるのかモテないのか、よう分からんな」仲間連中は、一般的なプレーボーイとは掛け離れた感じのする彼に、女友達が多いことを不思議に思っていたのです。
彼も本当にモテるとは思ってないので、「おれはモテる方じゃないよ」
「しかし、彼女が途切れることもないしなあ」
「おまえら、積極的じゃなさすぎなんだよ」
「……おまえは、どうやてんだよ?」
「いいなあ〜と思う女の子が目に付いたら、声掛けるんだよ」
「それで付いてきてくれりゃ世話ないけど… そうはいかんわな」
「そりゃダメなときも多いけど、向こうからは声掛けてこないからね」(当時のお話しです)
「確かにそうだ… でもなぁ〜」
などと悩める若者たちの会話も進展してゆき…
「とろろで、おまえ、彼女とはどの程度いってんだ?」
「どの程度って… きれいな付き合いだよ」
「うそつけっ! どうやって口説くんだ?」
「……」案の定、彼はニヤニヤしている。
「なあ、教えろよ。参考にしたいんだから」
「そんなこと言ったって… 色々あるから」
「例えばどんな?」
「真剣にやることかな… 」
「だから、どんなふうにだよ?」
「まあ、二通りに別れるのかなあ〜」
「ふたつって?」
「一つは、短大生で」
「? ? もう一つは?」
「もう一つは、4年制だよ」
「へえ〜、短大と4年制でちがうんだ」
「う〜ん、違うような気がする」
「それで、短大生はどうやるんだ?」
「やるやるって言うなよな。盛りの付いた犬だぜ、おまえら」
「何とでも言え。出来ることなら犬みたいに積極的にやりたいよっ!」
「それは分かる…ハハハ」
「先に進めよ」
「……?」
「だから、短大生は?」
「ああ、短大生ね。短大生は難しい… 時間が掛かる」
「ふ〜ん、どうして?」
「理屈で納得してくれない」
「なんだ、それ? 理屈で口説くのかよ?」
「じゃあ、おなえら、どうやって口説くんだ?」
成功した経験が極度に少ない我々は「……ムード作りじゃないのか?」
「そんなの時間が掛かって厄介だし、OKが出てからでイイんじゃないの?」
「じゃあ、食事しながら、させて下さいって言うのかよ!?」
「そりゃ口説くんじゃなく、お願いだろうが!」
「お願いするんじゃないのか?」
「まあ、実質的にはお願いなんだろうけど…ハハハ。でもな、順序ってものがあるだろう」
「ふ〜ん、順序ね…」 安ウイスキーの一本目が空になり、二本目も半分程度になっている。
「女と男の自然の摂理に沿った成り行きを話すんだよ…」
「はあ? 哲学でも論じるんか? そりゃドッチラケになりゃせんかあ?」
「ちがうちがう、ちがうんだよ」
「どうちがうんだ?」
「こうなって、ああなって、だからこうなるのが自然だろうってさ」
「なんか分からんけど、それで?」
「納得してはくれるんだけど、イエスじゃないんだなあ〜、これが」
「… なんで?」何を言ってるのか、よく分からないが、とにかく話だけは先に進んでゆく。
「う〜ん、でもダメって言うんだなあ。どうしてって訊いたら、親がダメっていうからって子もいたな」
「ヘェー、そんな子もいるんだ」
「そうなると、もう駄目だ。要はイヤってことなんだよ」
「イヤよイヤよも好きのうち、ってことにはならないんだ」
「そこまで無理に確かめたことなんてないさ。その気もないし…」
「どうしてだよ?」
「できたとしても、そういう子はヤバイって感じがするんだよなあ」
「ヤバイって、どういうこと?」
「あとくされって言うか、まあ、そんな感じがするんだ。だから、きれいにそれでお終いってこと」
「ふ〜ん、そんなもんかなあ…」
「そんなもんだよ。一目惚れも期待できないし、短大生は苦手だな」見てくれがイイ男ってわけでもない彼の本音かもしれない。
「それから?」
「…それからって?」
「4年制だよ」
「ああ、4年制ね。4年制の女の子はイイね。食事に誘って付いてきてくれるならね」
「同じように口説くのか?」
「うん、多少ツッパッたところがあるけど、自然の摂理ってやつを納得してくれたら、殆どOKだね」
「なんで4年制はOKなんだよ?」
「変に独立心が強くって、頭で考えて納得したことに、多分、逆らえないんじゃないだろうかな…と思うんだけど」
「なんでだろう?」
「なんでだろうって、おれだって分からんさ。もしかしたら、論理的に生きたいとでも思ってんじゃないの」
「なるほど、そうかもな。断るときは、論理的に反論しなくちゃならないんだ…ハハハ」
「まあな。でも、嫌いじゃないからOKするんだろうな…そう思いたいけど」
「ハハハ、そりゃそうだ。それで、おまえデート何回目で口説くの?」
「三回目。それでダメだっらお終いっ」
「……」こんな奴にはカントの直観でもって、イヤ!って言えば済むことなのに…中途半端に思考力が高そうな4年制の女性たちも大変だなあ〜と思ったしだいです。
(これでお話しはお終いで、カルト問題に戻ります)
継続的に手を差し伸べられたい
内なる孤独に悩んでいる人たちは、継続的に手を差し伸べられたいんです。あるていど納得できて、仲間と一緒に夢中になれるものがあれば、彼らは壁から解放されるんです。自分の存在意義なんて考える必要がないんです。個としての自我を忘れ去ることができるんです。
な〜んて、イキがってもしょうがないんですが、現実には、そのような"継続的な手"を期待させてくれるような存在は…カルト以外にあるんでしょうか!?
現代の新興宗教の特徴は、"現世の利益"にあり、それなりの理論武装をしています。判断力があるからこそ、論理的に反論できなくなり入会してしまう場合もあるでしょう。重要な点は、新興宗教の活動家たちは、ご存じのように、勧誘にシツコイほど継続して積極的なことです。社会で、仕事で、学校で、生活上の色々な理由で孤独感や不安感に押しつぶされそうになっている人たちが、勧誘を受け入れたとしても不思議じゃありませんよね。
他に、誰に期待できるというんでしょうか? 良い悪いの問題じゃあ、ないんです。
社会が全体的に競争を激化させればさせる程、このような状況は悪化してゆくと思われませんか?
競争自体が悪いと言いたいわけじゃありません。競争の勝利者だけが享受できる経済的に恵まれた生活を、競争してまで得たいとは思わない人々の数は意外と(?)多いんではないでしょうか。そういう人々までも競争に駆り立てなければ、社会は発展してゆかないのでしょうか?
いや、駆り立てているのではなく、競争の名の下に、パイの配分を少なくしているだけかもしれません… それでもって少子化問題とか言うわけですね。経済界は大慌てしてますよ、きっと。
可処分所得を減らされ、多少の補助で子供は作れって言われたって、産まれてきた子供が可哀想だって思う夫婦がいても不思議じゃありませんよね?
それとも、有識者たちはマルクスだったかエンゲルスだったかの理論を信じているんでしょうか!? 底辺労働者の最大の快楽は"セックス"だってことですよっ!
貧乏人の子沢山って言いますでしょう。社会はピラミッド型ですから、底辺層の人口が一番多いんです。
その理論(?)は1800年代のものですよ。知識レベルで、時代が違いすぎますよ!!
平和な社会とは、読んで字のごとしです。みんなが平等で、お互いを尊重し助け合う関係にある社会が、平和な社会ですよね。(私は、それが正しい社会だと決めつけるつもりはありませんが、少なくとも多数の方々が求めている社会だと思います)
しかし、日本の現実は、最近のニューヨーク・タイムズ(9/19/06)に「日本が自慢をしていた平等主義に綻(ほころ)びが広がった」と揶揄(やゆ)された程です。
カルト問題の解決方法
カルト問題の解決らしき方法は幾つかあるとは思いますが… 心ある市民の方々に依存するボランティア活動だけで根本的な解決方向に向かえるんでしょうか?
方法として、たとえば;
@ 全体主義的な政権でもって、カルトらしき活動は一網打尽にする!?
A 現体制下で、法律の強化や新たな制度(報償金つき密告など)によってカルトらしき活動を
厳重に取り締まる。(なんか、既存の政権維持のためにまで利用されそうですね)
B 現状のままで、事件が起きたら一網打尽にする。
(これって、誰かが犠牲になるってことですよね!?)
C 心理カウンセラーを大巾に増やし、国の補助により誰でも気兼ねなく相談できるように
する。 (国の赤字が増える? ジョーダンでしょう。過激なカルトによる反社会的な行為が
もたらす社会の結果負担を考慮するなら、おつりが来ぐらいです)
D 中学・高校で、信教の自由を履き違えるな! という教育をする。
(無理らしいですよね。だって、宗教統制との境目が難しいんじゃないですか?)
E 宗教法人の資格内容を厳しくする。
(儲けすぎなんで、税金を課すことには賛成ですが…法人化を望まないカルトもあるで
しょうし、法人化されてから過激になるケースだって考えられます)
その他、小手先の方法は、複数の組み合わせも含めて色々あるんでしょう。ただ、強制的な手段でどんなに規制しても、内なる存在までも消し去ることは出来ませんよね。
また、過激カルトの主目的は基本的に反現実・反既存ですから、社会に不満分子が多くなるほど膨(ふく)れます。
是非、専門家諸氏に不穏なカルトに入信してゆく原因と背景を解明して頂き、根本的な解決策が講じられる方向性を見いだして頂きたいものです… なぁ〜んて、お出来になるんですかねえ?
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