かといって、陪審員制度もなぁ〜。 8人だったか12人だったか覚えてないけど、人のグループってリーダー的な人(正しい判断ができる人という意味ではないですよ)にどうしても引っ張られてしまうよね。 例えば、団地の自治会なんかは典型的なケースだね。 自治会役員といっても持ち回りで嫌々やっている人が多いから、でしゃばりで目立ちたがりやの世話好きがいると、他の人達は面倒臭いもんだからどうしても付和雷同になりがちなんだよねぇ。 エッ、なにっ、陪審員制度では皆まじめにやるから、そんなことはない!? ほんとかなぁ〜… まあ、裁判官の頼りなさを多少ともカバーできれば最高!…だけれどね。 事実関係を把握する能力を養うために はじめの話題に戻って、事実関係を正確に把握する能力を養うために、司法試験に合格したら警察の見習い刑事をやらせて2・3年現場で働かせるのが一番良いように思うけど… どうかな?刑事の方がよっぽど事実関係を把握する訓練をされた専門家だよね。 現場経験が必要なく、報告を受けて判断するだけのポジションの仕事はいずれコンピュータでプログラムされ、オペレータだけが必要とされるポジションになってしまうだろう。 本当だよ! そういう意味では、裁判官の将来性もないかも!? アメリカの昔の笑い話を思い出すよ。 ある裁判官が朝食べたゆで卵が(硬すぎたのか柔らかすぎたのか)気に入らず、その日の被告に酷い判決を下してしまったんだって。 裁判官も人の子だから、その日の気分・感情に左右されてしまうという笑えない話だねぇ〜。 何れにせよ、事実関係から最も遠い立場にある裁判官が事実関係を判断してはならないと思いますけどね。 |
心理的に統率されている集団は排他的になりやすい 神父や尼僧が神のご加護を祈る対象は金をくれた(寄付などした)人が主なんだよね。これ偏見なんだけど、そう思ってしまう場面を目にすることが少なからずあるよね。 |