今まで日本の洋裁では体型の数値化によるパタン作成技術が省みられなかったのは何故?
セミナーの来場者がこの体型分析の話しを聴かれて多くの方に訊かれる質問は『何故今まで日本ではこの様な理論は教えられ無かったのですか?』
と云う質問です。
これはそんな事はなく、約30年前から私は個人的なセミナーではミューラー理論は公開して参りました。でも今迄の量産体制や
商品回転の体制では従前の技術で現実に間に合っていた為に一部の研究者以外では一般的ではありませんでした。その背景には幾つかの原因が
考えられます。
@ ミューラーの理論は体型についての客観的な観測・データ収集による論理的な推論によって考えて行くので『小難しい理屈ッポさ』が
歓迎されなかった要素であったと思われます。そんな面倒な勉強をしなくても従来の洋裁技術やダミーによるドレーピングの技術の流用で充分間に
合ったからです。
A もう一つには洋裁技術の世間的な認識にあったと思われます。日本では伝統的に”お茶、お花”と共に縫い物は女性の『身嗜み』(教養)と
して考えられた延長で洋裁学校教育は婦人の教養教育として認識されて来た嫌いがあります。
その教え方は『やり方』を中心に教え、『何故その様に
するか?』には言及しません。伝統的な技術の伝承にはヨーロッパでも『クチューリエ』や『メゾン』と云う形で伝承が行なわれていて必ずしも
”可、否”の面からと考えるべきではありませんが、日本では『家元的な独尊の風潮』があり、ともすれば排他的な独善的な傾向があったかも知れません。つまり
色々と多くの考え方の中から選択してより良い方法を生み出して行く、と云う考え方がなかった、と云えましょう。
B もっと広く視野を拡げるて考えると”時代の変化〜技術の進歩”による『パラダイムの変化』 があります。パラダイムとはその時代の中心になる
考え方や技術の傾向を称しますが、かっての『個人の注文生産』が主な需要で『既製服』は其れより一段下の製品と考えられた時代から大量生産と
大量消費の時代へと変容し、企画・生産・消費もグローバル化し、生産過程もパタン情報はCADが中枢を占めて活躍する時代になりました。
C この様な時代の変化をパラダイムの変化と申しますがこれは私共の生産の考え方にも大きな変化を及ぼし、例えばパタンの整備は”ハンド作業”から
”CAD操作”へと移行して参ります。すると洋裁学校の教育では”好むと好まざるとに関わらず”CAD”によるパタン教育に移行せざるを得ません。卒業生は
業界へ就職して参りますがその業界の必要とする技術は新しいパラダイムの技術だからです。
何故,現在ミューラーの体型分析がクローズアップして来たか?
この様な様々な要因や日本社会の特異性によって今までミューラー理論は皆様の注目する処では無かったのですが、それでは何故、今になって
この理論が注目されるようになったのでしょうか?
これには先に述べたCAD”(コンピューター・エイデッド・デザイン)の発展、進歩があります。
D 先に述べた様に従来の洋裁技術には『何故か?』はありませんでした。最も伝統的なヨーロッパでのパタン技術は『ダミーによるドレーピング技術』
です。これは人体の体形に生地を宛がって裁断する『ブッツケ裁ち』から発生した手法で人体に模して『ダミー』(身替り)を作成し、それにトワルで
シルエットを造形して行く、最も感覚的な方法でシルエット作成法としては”此れに優る方法はない”と云えましょう。この手法には理論は
不必要で感覚的な熟練と永年に亘る修練が必要です。
しかも非常に手間を要する方法なので簡便にする為にイギリスで生まれた方法が『ミッチェル式』
です。それは背丈とバストの寸法から体形バランスの『近似値』を割り出してそれを元に体形の近似値の画像を描き、それを基に展開してパタンを作成し、
人体上で『仮縫い・補正』を経て縫い上げる、と云う方法です。日本の洋裁教育で行なわれた『文化式』や『ドレメ式』その他の方式はこれを元に
工夫された日本独自の方式です。
E この洋裁技術をコンピューターで扱う、とすればパタンの性質を規定する理論がないのですからCADはパタンと云う画像を『画像として』扱う
より他に方法はありません。つまりはパタンの線や点をCADの画面上でパタンナーの意図に従って『動かす』事のみに終り、丁度紙の上に定規や物差し
で図形を描く代わりにコンピューターを使って図形を描くだけに過ぎなくなり、コンピューターの特性を生かす方法とは云えません。
しかしCADはパタンの加工、例えば『縫い代付け』・『見返しパタン作成』・『生産指図書作成』・『工場への情報伝達』
等では絶大な生産性をしめし、それが業界にCADが広く用いられた要因といえましょう。
つまりパタンの性質を変えない
作業では絶大な効果を示しますが、パタンの性質に変化を与える作業では”ハンド”の代用にしか役立たないのです。
現在のCADの限界?
その例が『グレーデイング』です。CADでは多くのパタンナー
がバストの拡大寸法×1/4 を後身、前身に分け、比率で拡大したり、(比率方式)切り開いたり(切り開き方式)するのみで拡大パタンは体型に適合せず
悩んで居て、多くの場合、上下1サイズの小さな寸法差以外はダミーで組み直してパタンの作成を行なう、と云う状況です。ましてや体型転換のような
拡大・変更は出来ません。
F 要はこの状況はCADの性能の問題ではなく、パタン側の理論がなく、感覚主体でのパタン作成技術の為にCADはパタンの内容に踏み込めない状況に
あります。それでより高度なCADの性能発揮の為にはパタン側での
『体型の数値化・体型の製図方式の理論化』が必要とされる訳です。
G この様なCAD側の要求に適合する理論が『ミューラーのバランス理論』です。ミューラー理論では体型を立体として捉えて3次元の基準から
身長×バストのバランスを計測し、また体型を平面上に描き、動かす理論を構成します。他方では体型の身長×バストを基準とする各部位の
『バランス』を計測して多くの体型のデータから統計的に其れの類似性・差異性を数値化し、変化の傾向を法則化して捉えます。
この論理と数値の方式をCADに予め組み込んで置けばパタンナーは『パタン変更の意図と身体寸法を入力すれば』CADはその入力された意図に従って
人工頭脳的にコンピューターの機能を発揮する事が可能になります。
H 以上が今日ミューラーが着目され、クローズアップされる背景です。思えば衣料文化は戦後の60年間を見ても『ファッション』の変化として発展し、
『個別生産』から『既製服生産』として価格も量的にも拡大して参りました。それに従って生産方法も量産を軸に発展し、パタン作成技術を捉えて観る
と『ダミーによる造形パタン』から『割り出し原型』による個別生産を経て近年のCADによるパタン操作・管理の変化を経て参りました。
この様な変化は将にパタン技術の『パラダイムの変化』を観る思いです。2010年以降はCADの”高度な人工頭脳的な使われ方”がパタン技術の
発展の方向性になるでしょう。その為には『体型の数値的な認識理論とバランスによる構成理論』がその基幹の考え方になると思われます。
従来の方式での業務の転換の問題点は?
二年に亘るAGMS社の立体グレーデイングシステム組み込みが完成し、東京・大阪の展示会で『ミューラー理論の紹介の講演』では多くの方がその様な
パタン作成理論があったのか?”と云う新鮮な驚きや興味を示され、グレーデイングについての現在の手法では何故適合しないのか?についての
再確認をされて居られました。
また1月〜2月に東京で行なわれましたセミナーに参加された方が帰られて『いざ新しい手法でグレーデイングを
行なおう』とされた際に色々な予測出来なかった問題が発見されました。
導入の最初の障害は?
@ 最初に戸惑う問題は現在の業務で使われるパタンには『基準線や基準ポイント』が明確に入れられてない、事に気が付きます。原型には記入
されていてもデザインパタンには『基準線や基準ポイント』が記入されていない場合が多く、此れがないとバランスグレーデイングの操作をする
基準がない、事になります。
A それと共に企業のパタン作成現場には永年に亘って培われた『企業風土』とも云うべき、伝承されて来た『仕事のやり方』があるものです。それに
対して今までに無かった『バランス』と云う概念を持ち込む事には多くの場合に抵抗がある、と思わなければなりません。これはバランスの概念を導入
するには一番大きな障害になります。それに対するアプローチを考える事はバランス・裁断の導入に際しての一番難しい仕事になりましょう。
B しかし現在の職場にあるパタンの結果についての不透明感(何故かが解からない不安感)を皆が感じているとすれば何かに原因があります。
それは体型に対する理解と作成されるパタンとの間に説明出来ない『考え方の飛躍』が含まれているからです。例えばダミー上のシルエットでは問題がないの
にパタン上で多少の変更を行なう際には適当な常識で行なう為に『パタン作成過程の何かをいい加減に処理していると云う意識』で確信が持てない、等は
その様な例でしょう。
これは9号のダミーと11号或は13号のダミーとどの様に違うのか?は誰にも検証された事もなく、暗黙の内に適当な
大きさの相違として多くの人に了解されている、と云う事実、或はA社の9号はB社の9号と相違が誰にも検証された事もなく通用している、のも
考えてみれば不合理です。この様な事実は凡てパタン技術の『不透明感(何故かが解からない不安感)』となって皆が抱いている『考え方の飛躍』
なのです。
C 従って最初のテーマは職場全体の人が皆がこの様な共通の不透明感を抱いていてそれを
『立体の体型をバランスで理解する』と云う、共通の
問題意識の基準によって理解する事でしょう。例えば各号数のダミーのバランスを計測し、立体的にはどのような差で造られているか?を検証
して見るのも一つの方法です。近年これは近年のパタンナーとグレーダーの職掌分離が進んでいる職場では特に難しく、苦心する問題です。
しかし皆の意識が一致すれば具体的な問題の処理は意外と簡単に達成されます。それはパタンの問題処理が『バランスの概念』と云う基準に
沿って処理される様になるからでしょう。次に具体的な方法に触れてみましょう。
具体的なバランス概念の導入とは?
D 皆の問題意識が一致した上で次の様な事を励行します。
(イ)原型からデザイン・パタンを描画する際には必ずバスト線・BP・前後身頃の
合い印・を入れる。
(ロ)共通の使用するダミーのバランスを計測してその特徴を全員で確認する。
(ハ)以上をパタンナーとグレーダーが共通して行い、情報をお互いに交換し、共有する。
E 以上を皆で行うと自然とパタンの打ち合わせや情報交換なぞの会話は『ある原則』を軸に進むようになり、パタンも自然に『ある原則』を軸に
作成されるようになり、パタンの安定感は増加します。その『ある原則』とは
『立体と平面の意識とバランス』です。
洋服が個人の範囲で作成されている間には問題は有りませんでした。それから離れて
組織で複数の人が仕事を分けて行なう様になると『どの様な理念で制作されるか?』が重要な要素になります。
F 『共通の理念』とは(皆で良い洋服作りをしよう!)と云うような概念的なモットーではなく、もっと具体的な基準、例えば「原型は社の規定した
原型を使う」、或は「縫い方の基準」、のような基礎的な概念の共有でなければなりません。その中に標準としてバランスでの情報を共有する様に
すると全社のパタンの一貫性が出て来ます。それがブランドの他と異なる特性を育てる事になります。
G 洋服はかっては個人的な(手芸的な)製品でしたが、近年では組織の技術が創り出す工業製品として考えられる様になりました。勿論手芸的な
作品としての価値を追求する部分は無くなりはしませんが、私共の生活の中での中心を占める製品は『既製服』です。その価値基準は
#ファッション性、#価格、#多様性、等の多くの基準がありますがその土台部分は『#技術性』でしょう。そして技術性にはサイズの満足感、
カットの適合感、縫製の充足感、等の価値が含まれて居ます。そしてグレーデイングはサイズの多様性を支える重要なパートを占めます。
H 縫製はグローバル化により国外で行なわれる様な状況が多く見られる様になりました。デザイン〜カットはファッション性の中心を占める
価値ですがそれを支える陰の土台は『技術』です。そしてCADが技術を支える重要な役割を占める新しいパラダイムの中で今一度、私共の『技術』
を見直す事は次への大切な一歩ではないでしょうか?
従来のハンドの技術との関係は?
I この問題に関連して誰もが抱く疑念は
『では従来のハンドの技術との関係は如何に考えるべきか?』と云う事で、これはCADを合理的に導入して
行く上で必ず出て来る疑念と思われ、セミナーの質問でも『業務の転換の問題』でも多く訊かれました。
これはハンドが終わってCADへ転換する、と云う見方には組みしません。なぜならば洋服は『平らな生地を切り抜いて縫い合わせ、立体の体型を美しく装う』
と云う本質は変わる事はなく、追求されるテーマです。
従って先述のようにダミー上でシルエットを感覚的な手法で創り出す、と云う本質には
変化はなく、ヨーロッパでも多くの”メゾン”が制作を継続している様に日本でも同様でしょう。従って個人的なシルエットの創出と云う分野では
永年に亘って培われた技術は伝承されるべきでしょう。
J 然し時代の推移による需要サイドの変化によりその生産方式がハンドからCADへと移行するのは已むを得ない技術の進化と捉えるべきでしょう。
その意味ではハンドの技術とCADの技術とは『AかBか?』の選択の問題ではなく『AもBも』の,その特徴とする部分で相互に補完すべき
関係にあると思います。
Ladie's Patan Cutting のホームページ
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