第8回 日本の中小企業は頑張っていますが、 ブランド力もあり、営業成績自体が優良でも資金余力が無く、パートナーシップ戦略で海外展開を進めている会社もあります。そのパートナーに負んぶに抱っこという状態を続けてきたことで、市場戦略を立てる能力を育てることが出来ませんでした。その会社はパートナーの餌食となり、最終的に下請けメーカーの立場に追い込まれてしまう恐れがあります。 事業部長や営業本部長に40才以下の者を据えて、会社のカルチャーを刷新するかのように見える会社もあります。しかし、よく見ると決してそうじゃない…相も変わらずのやり方で、登用された若手も社長の顔色を窺っている。要は、社長のお尻がむず痒くならないような人事なのです。社長に劣らぬ能力を持つ経験豊富な年配者達は課長以下のポジションで押さえつけられている。登用された若手に刺激を与えて育てる人達がいない…由々しき状況です。 何れのケースにも、経営者の限界が陰を落としているようです。 変われる、改善できる余地が沢山あるにも拘わらず、変わろうとしない……簡単に給与カットを通達し、ボーナスゼロ回答を社員に対して済まないという意識の欠片もない経営者達……困窮するのは従業員達なんです。 第9回 退廃したマスメディア問題の核心に触れた記事 今回は、何番煎じなるか分かりませんが、5月28日に報道されたニューヨーク・タイムズ紙の記事を掲載します。和文ですが、専門家でもない私が出来るだけ原文に忠実に訳そうと努力してみたものです。ですから、それなりに、ですよね(^_^) 既に話題になっている記事ですので、色々なサイトで同様の記事を見ることが出来ると思います。より日本語的な訳を望まれる方は、どうか他のサイトを当たってみてください。なお、記事の中で中西輝政教授が引用されていますが、彼の発言は、「報道の自由」とはチョット外れた観点からの批判と捉えた方がイイかもしれませんね(^_^) それでは以下に添付します: New York Times Asia Pacific May 29, '09 スキャンダルの報道において、メディアはただ聞くだけだということで非難されています 東京ー東京検察庁は、堅固な自由民主党が次期総選挙で敗北を喫すると思われている正にその時に、傑出した野党勢力のリーダーの側近を逮捕したことで不利なスキャンダルに火を付けました。しかし、日本の大手新聞やテレビ・ネットワークの報道を見ただけでは、多くの日本国民が非難の声を上げたことに気付かなかったことでしょう。 実際に、メディアは、匿名でなされる相次ぐ申し立てを額面どおりに報道するだけでした。それらの情報の幾つかは、ある建設会社から反対勢力の指導者である小沢一郎氏に対して違法な選挙献金がなされたという捜査当局内部からの見え透いた情報漏洩でした。そのような悪評に数週間晒された後、今月、小沢氏は野党である民主党の代表を辞任したのです。 その辞任自体も、強権を持つ検察当局に対する、日本の政治的全領域から非難の洪水を引き起こしました。滅多に内部批判を行わない、元検察官の人達でさえもです。それらの苦情は、政府による干渉を告発することから、検察当局は単に逮捕時期に無頓着であっただけではないのかとう懸念にまで及びます。 しかし、学者達や元検察官たちが言うには、憂慮すべきことは、その苦情に対する回答を検察当局に求めなかったニュースメディアの怠慢であるということです。しかも、日本国民が、半世紀にも及ぶ自民党の支配を、より政権交代可能な二大政党制に今にも換えようとしているところかもしれない、日本の民主主義にとって大変重要な時期にです。 京都大学で国際政治学を教えている保守的な学者である中西輝政は次のように言います:、「日本のマスメディアは、何が危機なのかを国民に伝えることを怠っています」「日本は、政府を変えて政治的麻痺状態を解消する最大のチャンスを、正に失おうとしているところなのかもしれません。国民は、それに気付いてさえいないのです」 老練な政界のボスである小沢氏は、彼自身が代えようとしている自民党議員達よりも清廉潔白ではないのでないかという疑念を、その逮捕は有権者たちに確実に抱かせたようです。更に、その逮捕は、9月初旬までに行われることになっている総選挙に先立って、野党である民主党議員たちを、一時的にではあったとしても、脱線させたようです。世論調査での民主党の(支持率での)リードは侵食されました。スタンフォード大のエンジニア学位を持つ鳩山由紀夫が今月の党内選挙で新代表に選出された後に、多少のポイント上昇はありましたが。 日本のジャーナリスト達は、今までの報道は小沢氏に対して厳しく、そして捜査当局に対して一般的に肯定的だったことを認めています。新聞は、検察当局を批判している意見も記事にはしましたが。しかし、メディアは、検察当局の方針に従っているだけだ、あるいは、漏洩された情報をそのまま報道しているだけだという指摘に対して彼等はツンとなって怒っています。 日本の最大手日刊紙の一つである朝日新聞は「朝日新聞は、検察当局から漏洩した情報だけに基づいて記事を書いたことは一度もない」と、ニューヨークタイムズ紙の質問に対して書面で回答してきています。 しかし、ジャーナリスト達は、彼らの報道が日本のニュースメディアの独立性に対する疑問を提起させたことと、しかも、それは初めてのことではないということを認めています。日本の巨大なニュース報道企業は、中央権力と余りにも馴れ合いすぎているという批判に長い間晒されてきています。 実際に、学者達は次のように言います。小沢事件の報道は、体制派(既成の権力)に敢えて挑戦した因習打破的インターネット企業家である堀江貴史の時のような以前の逮捕に対する肯定的な報道を思い起こさせます、と。 「ニュースメディアは、権力に対する監視機関であるべきです」と、上智大学のジャーナリズム学教授である田島泰彦は言います。「しかし、彼らは、むしろ権力者を守る番犬のような役割を果たしているのです」 米国や他の国々でも政府寄り過ぎるという似たような批判に晒されていますが、日本では、それがより定着しているということが問題なのです。政府機関(省庁)との癒着は、日本の、いわゆる、記者クラブで形成されているのです。それは、カルテルのように排他的な協定を持ち、通常は大手の国内ニュース報道機関がメンバーとなっています。 評論家たちは、この記者クラブのシステムが表向きの説明に忠実で刺激のない報道の原因になっていると、長い間言ってきました。ジャーナリスト達は、記者クラブに関係なく、独立性を保っていると言います。しかし、彼らもまた、政府高官が折に触れて、情報が取れなくなると脅して、彼らが規則に従うよう強制しようとすると言っているのです。 先月、大手の全国新聞と比べて気骨のある報道をする小さな日刊紙として知られている東京新聞が、政権党の国会議員が小沢氏の件と関係する同じ会社から献金を受けたと言われる件の捜査を報道した後、三週間にわたって東京地検の取材を禁じられたのです。 東京新聞は、検察当局が公開を望まなかったことを報道したということだけで罰せられたと言います。「検察当局を妨害することは、最後のメディア・タブーの中の一つです」と、東京地検記者クラブの東京新聞チーフレポーターである瀬口晴義は言っています。 監視の役割を果たさないニュースメディアの怠慢は、検察当局が国民に対して説明することもなく自由に活動することを許してしまったのです、と野党である社民党議員の保坂展人は言います。彼は、今回の捜査に関して大々的に彼自身のブログに書いています。 保坂議員は次のように言いました。小沢氏は特別扱い(特別に追求)されるだろうと思ってました、と。何故なら、民主党の公約は、検察当局も含む日本の強権をもつ官僚組織を縮小することだからです。(東京地検は、この話の件に関するニューヨークタイムズのインタビュー申し込みを断ってきました。理由は、当社がそのプレス・クラブの会員ではないということです) 日本のジャーナリスト達は、国民はその時点で日本の次期首相となりそうな人間について知る必要があるという論点から、小沢氏の疑惑に注力したと主張したのです。彼らは更に、捜査対象となっている者たちに関してスクープしようとする記者達の一斉の突進が、小沢氏の記事がより多く書かれた原因でもあると言います。 「スキャンダルについて出来るだけ沢山記事にしようとする競争的な殺到があったのでしょう」と朝日新聞向けに記事を書いている東京地検担当の市田嵩が言いました。しかし、それは、今回の事件において、殆どの記者たちが当の会社が自民党の議員達にも金を送ったという陳述を何故に徹底的に調べなかったのかという、その理由の説明にはなっていないのです。 答えは、殆どの日本の記者たちは認めるでしょうが、検察当局の指導に従う方が、独自の報道をして検察当局の怒り(報復)を買う覚悟をするよりは、ずーっと安易だったからなのです。 ニュースメディアは、、かつてはそのように好意的な報道を享受した何人かの元検察官達でさえ批判をし始めている小沢氏に対する捜査報道に見られるように、捜査に関する報道は揺るぎなく支持的であるように見ることができます。 「私が検察官でしたときは、それは気分的に最高でした」と宗像紀夫は言いっています。彼は、退職していますが、36年間勤めた老練な東京検察官でした。「しかし、今は一市民ですので、私は裏切られた気分だと言わざるを得ません」 (オリジナル英文: NY Times May 29 '09) (参考: 小沢辞任 法務大臣の指揮権) |