都道府県 |
路線名 |
未成区間 |
距離 |
コメント |
北海道 |
名羽線 |
朱鞠内−曙 |
51.2Km |
宗谷本線「名寄」から羽幌線「羽幌」を結ぶ計画(名寄−朱鞠内は深名線)だったが、昭和62年に羽幌線が廃止となり、存在の意味がなくなり中止される。そして深名線も沿線道路の整備により1995年に廃止となった。
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北海道 |
美幸線 |
仁宇布−北見枝幸 |
56.7Km |
美幸線は仁宇布まで開通し、北見枝幸までの工事区間も8割は完了していた。しかし国鉄再建で当時、日本一の赤字路線だった美幸線は最初に廃止の候補に上がり、開業区間も廃線となりオホーツクへ結ぶのは夢となってしまった。
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北海道 |
興浜線 |
雄武−北見枝幸 |
57.6Km |
オホーツク海の町「興部」と「浜頓別」を結ぶ計画で工事着工。南は「興部−雄武」間(興浜南線)、北は「北見枝幸−浜頓別」間まで開業され、未開通区間もある程度の工事は完了していたが、沿線人口の減少で開業区間も廃線、北線と南線が結ばれることはなかった。
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北海道 |
根北線 |
越川−根室標津 |
44.5km |
根北線は釧網本線斜里駅から標津線根室標津まで結ぶ計画で、越川 まで開業していた。しかし利用者は少なく末期はレールバスで営業していたが、沿線道路の整備と共に廃止となった。国道244号線を跨ぐ越川橋梁跡(未開通区間)は有名である。
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北海道 |
白糠線 |
北進−足寄 |
42.3Km |
沿線の炭鉱輸送が目的で開通し、札幌−釧路のバイパスルートとしても検討されていた。しかし沿線の炭鉱が閉山し貨物輸送は激減、沿線人口も減少をたどり、未開通部分の延長どころか開通部分の存続も危機的な状況で、ついには営業区間も廃止となった。
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北海道 |
芦別線 |
芦別−納内 |
30.1km |
沿線の炭鉱輸送が目的で工事着工。石狩新城までの路盤工事がほぼ完成し、納内までも用地確保も進んでいた。しかし本来の目的である沿線の炭坑が次々と閉山となり、開通する目的がなくなり1972年以降、工事着工されることは無かった。
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北海道 |
戸井線 |
五稜郭−戸井 |
29.0Km |
戸井に軍事要塞を構築するにあたり、資材や物資、兵員を輸送するために戸井線は計画された。戦争による物資不足で工事が中断、工事完了まではあとわずかだったものの、戦争終了後は工事が再開されることなくそのまま放置された。
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北海道 |
松前線 |
松前−大島 |
24.0Km |
沿線の鉱山からマンガンなどを輸送する目的で建設が進められていたが、戦争中に物資や労働力を他の路線を優先することで建設工事は中断、戦争終了後もこの区間は工事再開されることは無く、一部は道路などに転用された。
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青森 |
大間線 (下北線) |
大畑−奥戸 |
25.0Km |
大畑線(下北交通)大畑駅より更に北へ向かう路線。大間にあった海軍の要塞の施設強化のために建設開始。しかし戦中の物資不足で工事は中断された。以後工事再開されることなく、大畑線も特定地方交通線に指定され、2001年に廃止された。
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栃木 |
長倉線 |
茂木−長倉 |
約11Km |
真岡線(真岡鉄道)の茂木から長倉を通り水郡線を結ぶ計画で那珂川手前まで工事が進んでいた。しかし戦争による資材不足で建設が凍結され、更には那珂川を跨ぐ鉄橋建設の予算が取れず、以後工事が再開されることはなかった
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静岡 |
佐久間線 |
遠江横山−遠江二俣 |
10.8km |
旧二俣線 遠江二俣駅(現:天竜浜名湖鉄道 天竜二俣)と飯田線佐久間駅を結ぶ計画で着工された。全長35Kmのこの路線は工事は始めたものの、国鉄再建法で工事は中止、トンネル等の一部施設は民間に払い下げられ別の用途で活用されている。
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岐阜 |
中津川線 |
飯田−中津川 |
37.8Km |
中央本線と飯田線を連絡する計画で着工。飯田市内の二ツ山トンネルとその前後のアプローチ部分が完成済み。長野県下伊那郡阿智村にある昼神温泉は、恵那山を貫くトンネルのボーリング調査中に湧き出した温泉として知られる。
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愛知 |
渥美線 |
黒川原−堀切 |
22.3Km |
渥美半島の軍事施設を結ぶ目的で計画された路線。黒川原までは豊橋鉄道として営業していたが、戦時中に三河田原-黒川原間が休止、工事着工区間も資材不足により工事中断、戦後、休止区間は廃止され工事区間も建設中止となった。
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奈良 |
阪本線 (五新線) |
五条−阪本 |
23.5Km |
五条駅と新宮駅を結ぶ計画で、阪本(五條市大塔町)間を阪本線として先行開通させる予定だった。国鉄再建法施行により工事が凍結、開通後も採算が見込めないとの判断で工事は中止、この区間はバス専用道路として活用されている。
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島根 |
今福線 |
下府−石見今福 |
15.6Km |
戦前に広島と浜田を結ぶ広浜鉄道として計画、広島側は可部線三段峡と結ばれる予定だった。しかし戦中に資材と労働力不足により工事は休止となった。戦後は、この旧路線を一部利用した新線で計画されるも、今度は国鉄再建法により工事中止となった。
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島根 |
今福新線 |
浜田−旭町 |
19.8Km |
戦後工事中止となった今福線を、新たに起点を浜田(旧線は下府)として鉄道建設公団により工事が開始された。しかし今度は国鉄再建法のため工事が凍結、引き受ける第3セクターも現れず、工事が再開されることは無かった
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山口 |
岩日北線 |
錦町−六日市 |
16.6Km |
岩日線(現:錦川鉄道)の終点、錦町から中国山地を縦断して山口線日原へ結ぶ計画で着工。 錦町から六日市町付近まで建設が進んでいた。ほぼ完成していた錦町の一部区間は、岩日北線記念公園として整備され、雙津峡温泉への専用観覧車を運行している。
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福岡 |
油須原線 |
豊前川崎−油須原 |
10.3km |
筑豊の石灰を苅田港に搬出のために着工された路線。路線は9割程完成していて車両を置けばすぐ走れる状態でもあった。しかし沿線の閉鉱に伴い上山田線が全廃、開通する目的がなくなり、この路線に列車が走ることはなかった。
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佐賀 |
呼子線 |
西唐津−呼子 |
15.5Km |
唐津線の西唐津より先、東松浦半島の城下町 呼子を結ぶ計画で着工された路線。ほぼ全線(22.8Km)にわたって工事は完了していたが、当時の採算基準に満たなかったため開通できなかった。高架橋などの建築物は一部を除き取り壊されている。
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宮崎/熊本 |
高千穂線 |
高千穂−高森 |
23.0Km |
九州横断路線の一つ(熊本−延岡)として、延岡からは日ノ影線(後に高千穂線、現:高千穂鉄道)、熊本からは高森線(現:南阿蘇鉄道)として両側から着工。しかし国鉄再建法が可決され、お互いの路線が結ばれることはなかった。
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